夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

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レッテル貼り

2016年12月13日 21時41分22秒 | 日記
 レッテル貼りと言う言葉を最近聞く。特に民進党が総理やその他の何かに決めつけ言葉を貼付け、次にはその言葉と本人の主従関係を逆にして攻撃する。

 日本語はこういう所業には極めて有能なのかもしれない。例えばハンカチ王子・・語呂がいい、英語なら prince of handkerchief ・・なんだこりゃ!だ。

 徒然草にある、何とかと言うエライ僧正さんのお寺の門に大きな榎ノ木があった、人々は『榎木の僧正』と呼んだ。『この名好からず』と彼は木を切ってしまった。大きな切り株が残った。人々は『切り株の僧正』と呼んだ。彼は苛立ってそれを掘り起こした、後に大きな穴が残って池になった。人々は『堀池の僧正』と呼んだ。
 
 田中角栄を今太閤と呼んだのは誰か?・・・これらは面白い例であるが面白くないレッテルもある。

 戦前、多くの日本人は保身の為には長いモノには巻かれろ、と群衆の中に埋没して生きた。中に自分の意見を持って人々とは少し違う言動をする人も居た。これを当時『主義者』と言って爪はじきした。また、『アカ』と言うレッテルもあった。主義者の内で共産主義思想を持った者の呼称だったに違いないが後には反国家的、反社会的、非協力的、独自路線を歩む人々を総じてアカと呼んだ。

 考えるに、そのような人々にとって、或は日本独特のナアナアなれ合い、長いものに巻かれて言いたい事も言えずぬるま湯に浸かるが如き生活を嫌悪する人々にとって終戦とGHQ憲法は救いの神であったろう。アカ、主義者、等のレッテルを貼られて苦しんだ人々にはその経験が心的外傷として残ったかもしれない。

 私は引揚者である。引揚者の多くが今でいう仮設住宅のような収容施設に何年か暮らした。そこから学校に通った少年少女は『ひっちゃげもん(鹿児島方言で引き揚げ者)』とのけ者にされた。戦に敗けなければ植民地支配階級として颯爽と生きられたものを・・・。

 施設を出ても家はなく人の家の6畳一間を借りて暮らした。『やどかいどん(宿借り人)』と」すぐさまレッテルを貼られた。子供心に恥ずかしく情けない思いで暮らした数年。

 憲法改正に反対とばね仕掛けの反応をする中には知的レベル、教養、極めて高い、一般社会で重要な地位に在った人々も居る。彼らが言語化出来ぬ無意識の底にこの日本人の【自分と異なるモノを排除しよう】とする性癖を見て居るのではないか?

付言:日本人の、自分達と異質のものを爪はじき、排除する性向の遥か遠くに私は古代イスラエルの選民意識を見て居る。
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