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早雲公園と墓所

2016-08-25 20:41:15 | Weblog

 こんばんは。

 天成園から、来た方向に上り坂を戻り、バス通りと並行する道を登り下りして、やっと早雲公園への入り口が見えました。公園の中の道は山の中の遊歩道の感じです。自然が一杯です。休憩場所もありますが、ゆっくり休める感はなく、歩き続けて公園を抜けました。良い森林浴の気分でした。早雲公園の写真を掲載し、紹介している、何方かのブログを見つけました。アクセスして見てください。

 私たちはそのまま早雲寺に向かいました。こちらも良い写真をネットで見つけました。我々が歩いた川沿いの天成園からの道でもさほど遠くなく、普通なら楽に歩ける距離でしょう。私は方角が良く分からず無駄歩きをしたかもしれません。坐骨神経痛には歩きがいのある距離でした。湯本駅から直行すれば、すぐです。循環バスのバス停を降り、北条家の墓所のある早雲寺に簡単に行けます。

 早雲公園の感想です。自然や草木が好きな人には良い公園かもしれません。私は草木は分かりませんので何も分かりません。でも、夏の暑いころに蝉しぐれを聞きながら散歩をしたいと感じました。犬を散歩させて良いかは分かりませんが、もしよければですが、この季節の犬散歩に最適かもしれません。

 北条家のお墓の感想です。早雲寺は臨済宗大徳寺派、御朱印を頂けるお寺。勉強になる遺跡や遺品がたくさんあるはずです。でもお墓も本堂の方も人影はなく静かなお境内でした。不思議でしょう。でも大徳寺派は一休和尚のお蔭で武家層に広まった流派でしょう。一休和尚の好みは大衆受けではなく、庶民の救済なのでしょう。早雲寺は愛想が悪いと言うより、一休和尚の教えを守っているように私は感じられました。

 高台の一画にお墓が寂しく、5つ並んでいます。元々の墓所は広大な早雲寺の中にあったそうですが、秀吉の小田原攻めの時に早雲寺は焼き討ちされ、墓所の場所は不明になったそうです。ですからお墓に御骨はなく、家光に許された子孫の大名が墓標を立てたそうです。安土桃山時代に北条の夢ははかなく消えたのかもしれませんが、関東における武士階層の宗教心は残っていると、私は正眼寺と早雲寺を見て、感じました。

 なお、北条氏滅亡に関する、面白い本があります。この本は昔少し一緒に仕事をしたことがある作家の伊藤潤さんが書きました。彼はシステム企画の能力も抜群でした。その人が30を過ぎてベストセラーをいくつも書くとは、彼も思っていなかったようです。でも、凄い人は何をしても凄いのでしょうね。

 今日はここまでにします。

コメント
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