私の「認識台湾」

個人的な旅行(写真)の記録を主眼としつつも、実態は単なる「電子落書き帳」・・・・

インドネシア、戦後60年目の『独立』

2005年08月19日 | 極東情勢(日本とその周辺)
「日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略) (日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである」(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士、アリフィン・ベイ氏)

大東亜戦争における日本軍は、「欧米列強を追い出す形」で東南アジアに勢力圏を拡大していったために、現地の人々からは解放軍として迎えられた側面もありました。マレー沖海戦でチャーチルご自慢のプリンス・オブ・ウェールズが撃沈された件に関して、インドのラグ・クリシュナン元大統領は、
「インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた」
と述べています。
日本は国際連盟の有色人種差別撤廃を訴え、最終的に連盟を脱退するに至りました。白人対有色人種、また帝国主義との決別という意味合いにおいて、大東亜戦争は天命であったのかもしれません。勝敗を超えて、日本が標榜した「欧米列強の白人支配からの解放」の理念がアジアの民を覚醒させ、それがアフリカに飛び火したという側面があるのも事実なのです。
64年の東京大会は前回のローマ大会と時を同じくして独立を果たしたアフリカ諸国も加わり、史上最多の参加国で争われました。それは「欧米列強からの大東亜解放」という大儀が具現化した瞬間だったのかもしれません。

◆めっきり減った「英雄」 元日本兵や日本のNGOも、独立60周年記念式典(じゃかるた新聞)
◆インドネシアに謝罪 オランダ 60年ぶり『独立』認める(東京)
◆インドネシア独立戦争 オランダ外相「遺憾」 1945年の宣言「有効」認める(産経)
◆「独立英雄」元日本兵(読売)

敗戦時日本は英軍に武装解除されましたが、約2,000人の元日本軍人はそのままインドネシアに残留して祖国防衛義勇軍に義勇兵として参加し、約1,000人が戦死しています。読売の記事にあるように、その中には「台湾」出身の「元日本兵」もいたのですね。台湾の旧同胞のウマル・ハルトノさんは日本のせいで数奇な運命をたどることになった次第ですが、
「あの決断から60年。今は、インドネシア独立に若干の力を尽くしてきたことを誇りに思っているよ」
というコメントに救われる思いがいたします。ハルトノさんは、60年前、武装解除後も他の日本人と共に義侠心からインドネシアの独立戦争に身を投じたわけですから、敬服の思いを深くいたします。
インドネシアは8月17日に独立宣言をしますが、これに反発した英蘭両国はインドネシアに宣戦布告し、インドネシア独立戦争が勃発しました。覚醒したインドネシアの民は、もはや白人に蹂躙される弱い有色人種ではありませんでした。日本兵は当初、蘭に協力するように見せかけ、武器をインドネシア人に横流しし、それがばれると独立軍に協力して全面戦争に参加しました。
4年5ヶ月にわたった独立戦争では80万人もの尊い犠牲者を出しましたが、各国の非難を集めた蘭は独立承認することを余儀なくされ、植民地・インドネシアから去りました。列強からの大東亜解放という大儀に殉じた日本兵の戦没者は国営英雄墓地に埋葬され、6名の日本人には日本人が独立名誉勲章(ナラリア勲章)が贈られています。
インドネシアタイムスのジャマル・アリ会長は、
『我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って歴史とプライドがある。「お金を出せ」などとは、360年間、わが国を支配した、オランダにさえ要求しない』
と述べています。実際は日本は戦後賠償を払っているのですが、かつて祖国防衛義勇軍の団長でもあった国会議長のアルジ=カルタウイナタ氏は、岸信介首相に対して
「では、独立のお祝いというつもりで賠償金をいただきます。日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません」
と述べたそうです。一方、蘭は独立の際に、逆に60億ドルをインドネシアに請求し、日本がインドネシアに謝罪するよう要求したそうです。

戦後60年目にして蘭の外相がインドネシアに「遺憾の意を表明」し、独立記念日を正式に45年の8月17日と認めたというのも、謝罪と賠償に明け暮れた我々日本人からすれば随分な驚き・・・・と申しますか、60年分の「遺憾の意の表明」(植民地支配の360年も含めて360+60=420年ということではないらしい・・・・)であれば、その分の利子もつけて表明したらどうなのか?と今や欧州の二・五流国の分際で随分図が高いものだと私などは思うのですが、「過去に和解する歴史的な時を迎えた。両国関係強化に資するだろう」というハッサン外相の未来志向のコメントは新鮮かつ清々しいコントラストを放っています。これが、彼らが見下し、360年もの長きにわたり搾取し続けてきた有色人種の精神なのです。

朝日新聞がいうところの「近隣のアジア諸国」、即ち極東反日トライアングルの連中の情報ばかりが耳に入る「副作用」は多くの日本人にもたらされているところで、それも偏向マスコミのせいかと思うと本当に腹立たしい思いもいたします。
当たり前の事実ですが、アジアというのは中国・朝鮮という錯覚に陥らないよう、積極的に意識し、視野を広げるよう努めたいものです。
インドネシアはアチェの問題や津波の被害等、まぁ、色々内憂外患もありますが、戦後60年目の『独立』に心からの賛意を送りたいと思います。

※写真・・・・インドネシアの独立広場と独立戦争の作戦参謀、古閑政義氏

インドネシアの中三の教科書の記述です。
「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた」

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3 コメント

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Unknown (ひとみ)
2005-08-19 20:12:15
TBありがとうございます。

とっても勉強になりました。



どうしても戦争というとあることないこと

日本の悪いことばかり書かれますが

この戦争がきっかけとなって発展することができた

国があるということも真実なんですね。
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Unknown (worldwalker)
2005-08-21 02:27:53
私の尊敬する帝京大学の高山正之先生が言っていました、オランダ人は世界一卑劣な国民だ。
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Unknown (つきん)
2005-08-24 22:19:01
インドネシアの教科書にはそういう風に書かれているのですね。勉強になります。マスコミも勉強してほしいですけど。

中韓よりも東南アジアの国がどう子供たちに教えているかのほうが気になります。



>独立のお祝いというつもりで賠償金をいただきます

どこかの国と違いますね。国民性が大きいのでしょうか?

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