今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

・台倉高山、帝釈山、田代山

2011年11月02日 | 山登りの記録 2011

  平成231029()  

 台倉高山2,066.7m、帝釈山2,059.6m、田代山1,971

 

 この日曜は早朝からイベントがあり、また天気予報でも曇りのち雨ということだ。しかし、土曜は穏やかな晴天らしいので、ここはすかさず山に行くことにする。

 前回も尾瀬方面だったが、今回同じ尾瀬国立公園のエリア内になった台倉高山に登ろうと思った。福島・栃木県境を作る帝釈山脈は、かつては縦走路と呼べるものがあった時代もあるようだ。辻まことの著作には奥鬼怒からこの帝釈山脈の山々が舞台になって、樵や猟師の話が沢山登場するが、その時代には今よりずっとこの山域はポピュラーな登山対象だったのかも知れない。ぼくが若い頃、帝釈山から黒岩山辺りの稜線は、かつての道も無くなり1982年の台風被害によって倒木が稜線沿いを塞ぎ、大倒木帯になって通過が極めて困難であるという様な事が当時のヤマケイに書かれていた。だから、帝釈山脈の山々は、既に田代山や帝釈山等道のある山を除いて、一般的には登山対象の山々では無くなっていた。

 

 田代山と帝釈山は25年以上前に2回ほど登っている。黒岩山も数年前に登っているが、最近道が復活したという台倉高山は以前から登りたいと思っていた。主稜線から少し外れた孫兵衛山だけが、未だに人を寄せ付けない藪山として残っている。今回、この孫兵衛山まであわよくば届くかな?と安易な考えで、一応地図やネット上の情報等を集め、GPSにも座標を入力しておいた。結果的にはこれは余りにも安易であることが直ぐ判るのだが…ノラさんや山部さんが渾身の思いで到達した山へ、そう簡単に登れる訳がないですね。

 

 金曜の晩に会津へ向かう。仕事が終わって家で食事をしてからということで、出発は遅くなってしまった。夜の9時すぎに家を出た。意外に交通量が多くて、スピードも出せずに道の駅たじまに着いたのが11時半。桧枝岐の集落で12時半を回り、そこから長い未舗装の林道を延々と走り、馬坂峠に到着したのは120分になってしまった。この時点では、孫兵衛も視野に入れていたので、5時半に起きて出発する予定でアラームをセットした。馬坂峠の広い駐車場には一台の車も無く、気温2度の夜空は満天の星空だった。

 

 5時半に一度目が覚める。薄明るくなっているものの、眠くて寝足りない、その上寒いのでシュラフにまた潜ってしまった。結局、6時なってやっと起きて支度を始める。6時半の出発では、孫兵衛山は既に無理だろうな…日も短いし(活動時間は11時間しかない!)。でも、引馬峠まで偵察するぐらいの気持ちは、まだあった。6時半に相変わらず他に車も無い駐車場から、『台倉高山登山口 馬坂峠』と書かれた標柱が立つ笹の刈られた登山口に入る。駐車場の反対側には帝釈山の登山口があり、そこには尾瀬と同じ入山者のカウント装置まである。その脇に新しい立派なトイレも工事中だった。こんなところも、国立公園のエリアに入ると変わるようだ。

 

 県境稜線の北側(福島側)を巻きながら、樹床は苔むしたシラビソとコメツガの原生林の中を緩く登っていく。今の気温は低いが、上り始めた陽射しは暖かそうな色合いで、今日は小春日和になりそうな雰囲気だ。森の奥からシカの遠音が響いてくる。これは、何時聞いても物悲しく聞こえるが、まあ生物学的に言えば繁殖期のオスのテリトリー宣言という訳で、様は「俺の縄張りに入るな!」というものだ。なんて言うと、猿丸太夫のあの有名な歌は未も蓋もない…ああ、物悲しい秋だなあ、恋の季節なんだなあ、というくらいに聞いていれば良いのだろう。そんな事を考えていたら、目の前に「鹿の休み場」という標柱が立っていた。登山道を整備して、こんな標識類もあちこちに立ち、かつての秘境台倉高山もすっかり普通の登山コースのようだ。

 

 水が湧き出している小さな沢を横切り、水を汲む。そこからやや傾斜がきつくなり、少し汗ばんでくるくらいの登りで稜線に登り上げると、早くも枯れ色の湿原が現れる。ここにも三段田代という標識が立っている。日光連山がシルエットになって、直ぐそこという近さで見えている。足元の小さな水溜り(池溏と言うには余りに小さい)は凍って光っている。木道は霜で真っ白で、また注意しないと滑りそうだ。一度シラビソの樹林を潜り、また小さな湿原を木道で緩く登っていく。背後には高原山が大きく見えている。その向こう、遠くには那須連山や男鹿山塊が見えている。湿原から稜線伝いには進まずに、福島側を巻いて行くと、ここで始めて行く手に台倉高山の小さなピラミッドピークが見えてくる。稜線を今度は栃木側に回り、さしたる登りも無く、820分に藪が3m四方ばかり切り開かれた台倉高山の山頂に着いた。三等三角点標石が中央にあり、桧枝岐村が建てた立派な山名標柱があった。

 

 陽射しは暖かく、少し汗をかいた。素晴らしい快晴の空が広がり、西には日光白根のドームが意外なほど近く見え、燧ケ岳や至仏山、平ヶ岳がくっきりと見える。遠くには越後三山の中ノ岳と駒ケ岳、荒沢岳が見えるが、これは少し雪斑で白く見える。北には鯨の背のような会津駒から三ツ岩岳まで目の前に大きく横たわる。東には全山樹林に覆われた帝釈山と田代山、その間に遠く七ヶ岳が見えている。高原山の手前には明神ヶ岳も近く、南は日光連山が大きい。全く文句の無い全周を山に囲まれた眺めだ。

 

 さて、燧ケ岳の手前には孫兵衛山や長須が玉山が至近距離で低く見えるが…。台倉高山の標識には東を指して引馬峠方面と書いてある。その方向に進むと足元に踏み跡があり、いきなり胸くらいの藪で埋まっている。少し藪を掻き分けてそちらの方に降りていくが、とても普通に歩ける藪では無さそうだ。踏み跡も薄く、この時間からこんな調子ではとても孫兵衛はおろか引馬峠までも無理だと思った。孫兵衛はあっさり諦めた。やっぱり、気合を入れて本気モードじゃないと無理でしょう。

 

 誰も居ない山頂で、四周をのんびり眺めながらおむすびを食べる。孫兵衛は諦めたので、じゃあ田代山まで久しぶりに行ってみるかなと思った。915分まで山頂でゆっくりして、引き返す。三段田代から下って行くと、登ってくる一団がある。馬坂峠に戻るまでに3パーティー、8人程の人とすれ違った。やはり結構登ってくる人は居るようだ。馬坂峠からアプローチも短いので、登りだす時間が遅い人が多いようだった。早くに登って正解。

 

 馬坂峠に1040分に戻ってくると、駐車場にはぼくの車以外に5台停めてある。ツーリングのバイクまで居た。工事中のトイレは作業員が仕事中だった。そのまま、反対側の帝釈山登山口に入る。北に少し巻いてから、帝釈山を一気に登っていくきつい登り。樹林越しに往復した台倉高山が随分遠くに見える。階段登りから木道になり、ジグザグな登りになる。急な上りで汗をかく、やはり今日はぽかぽかの陽気だ。シラビソの樹高がやや低くなって、1120分に一気に見晴らしの利く帝釈山の山頂に着いた。桧枝岐村で建てた立派な木製の標柱があり、栃木県側は岩がひな段状になって素晴らしい展望が広がっていた。根元まで露出した二等三角点標石が中央に突き立っている。福島側と東にはやや低い樹木があるが、それでもほぼ360度の大展望だった。

 

ここでハテナ?と考えた。25年前にこの山頂には一度登っている。しかし、その時の帝釈山山頂と今この山頂は一致しない。こんなに眺めが良かっただろうか?少なくとも会津側は樹木が邪魔をして展望が利かなかった記憶があるし、もっと山頂には大きな岩があったような覚えがあるのだ。後で、昔登った時の写真を見たら、やはり会津側は背の高い樹木が隠している、それと木賊温泉を示す傾いた大きな標識があり、この山頂から木賊温泉に下る道があったハズだ。しかし、ここから木賊温泉方面への道は今は無い。この後、田代山へ向かって行くと、現在の山頂のちょっと先に岩に囲まれた所が有り、ここが昔の山頂標識があった場所ではないか?と、この場所には記憶がある様に感じた。いずれにせよ、帝釈山の山頂は再訪したという感覚に乏しく、来たことの無い山という感じがつきまとった。

 

帝釈山山頂は、台倉高山山頂より更に素晴らしい展望台だった。幸い全く人も居なくて独り占めだ。栃木方面は日光山群が東にシルエットになって連なり、栗山の山々を俯瞰する。下の方の山肌は紅葉で紅く見える。馬坂林道が山襞をうねうねと延びて、その林道を走る車も見える。北西に燧ケ岳や平ヶ岳はやや遠くなったが、北の会津駒から三ツ岩岳の稜線は目の前になり、その東には、やや低く窓明山とその向こうに丸山岳が見え、更に右に会津朝日岳、少し離れて城郭朝日山と丸山が見えた。遠くには飯豊の山並も見える。そのまま南に視線を移していくと、ここからだと薙が目立つやや低くずんぐりとした田代山、その田代山の向こうには七ヶ岳・大嵐山・土倉山に枯木山が見えていた。南東には那須連山や男鹿山塊と高原山に明神ヶ岳と繫がって、南の目の前は低い山並が広がっていた。陽気のせいか、少し遠くは霞んでいた。

 

山頂のひな壇岩に腰掛け、大きなメンチカツパンを食べる。こんな大展望を独り占めは最高に気分も良い。12時丁度に田代山へ向かう。大きく見える田代山へはびっしりと樹林に覆われた鞍部に下る。帝釈山の山頂から少し東に稜線を伝い、岩の多い下りから眺めの無いシラビソの森に急降下。鞍部附近は重厚な原生林で、この辺りでかなり古い標識類を幾つか見た。ブリキ製の帝釈山と書かれた標識は、その書体から30年以上昔のものの様だ。樹の幹に打ち付けられているが、それと対を成す様なもう一つが登山道を挟んで反対側の樹にも付けられている。残念ながら、これには田代山と書かれていた様だが、錆びた半分しか残っていない。だらだらとした鞍部はやや長く、樹間から見上げる帝釈山はピラミッド型に形良く突き立っていた。

 

田代山へはまた急な登りになった。登りついた所はシラビソの平坦地で、建て替えられたばかりの避難小屋である弘法大師堂が建っていた。1248分に大師堂に着いた。小屋には4,5人の集団が休んでいるようで、そのまま通過する。小屋の前からは木道になり、すぐ先で田代山湿原の上の湿原に出た。枯れ色の湿原の入り口のところで2人のハイカーが休んでいた。25年以上前に2回程訪れた田代山だ。その当時は湿原に一本だけしか木道が無かったが、最近は尾瀬国立公園のエリアに入った所為もあるのか?登山者が多くなった為か?湿原の南と北に2本の木道が延びている。南側のは復路用、北のは往路用の一歩通行になっている。そのまま南側の木道を進んで、猿倉分岐まで歩いた。下の田代の猿倉分岐まで来ると、目の前に大きく枯木山が見える。昔登った時は、枯木山の名前も知らなかった。今は、丁度ぼくが登った西北尾根と乱杭歯の稜線が正面で懐かしかった。枯木山の山頂は、ここから見ると簡単に登れそうに見えるが…。この山は一筋縄ではいかないところだ。下の田代には人影も無く、シーンと静まり返っている。そこから北の往路の木道を歩く。今度は、正面に会津駒が大きい。この眺めは記憶に残っている。初めてこの山に登った時、会津駒を登った帰りにそのまま登ったので大変印象深い。

 

弘法沼まで来ると、青空を反映した弘法沼はシラビソの森を背景にして静まり返っていた。田代山の標柱がある所に木道のお休み場があり、ここで湯を沸かしてカップラーメンを食べた。人っ子一人居ない湿原で、しみじみと秋の山を堪能した。120分に荷をまとめ、のんびり復路を引き返した。上の田代の入口で1人ハイカーとすれ違う。

 

弘法大師堂を覗くと、奥に弘法大師?がお宮に収まり、賽銭箱が置かれてある。小屋の中に4,5人分のザックがあるので、行きに小屋にいた人たちは今晩はここにお泊りか?この一団とは帝釈山の登りですれ違った。3時丁度に帝釈山山頂に戻ってくる。さすがにこの季節では、もう夕方の雰囲気だ。行きの時よりも空気が澄んで遠くの山もすっきりと見えた。320分まで少し休んでから、そのまま下り、340分に馬坂峠に戻った。駐車場の車は3台になっていた。トイレ工事の作業員も帰り支度をしているところだ。全体に景色が赤っぽく夕暮れの雰囲気になった峠を後に、また長い林道を桧枝岐に降りた。桧枝岐に下りて直ぐ、燧の湯という日帰り温泉に寄る。入ってしばらくは人も多かったが、出る頃には疎らになってゆっくり湯に浸かった。真新しい檜張りの内装は大変ロケーションも良く、露天風呂からの紅葉も素敵だ。ほんのり硫黄の臭いがする湯も心地よかった。さっぱりとして会津を後に帰路に着いた。


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2 コメント

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帝釈山の山頂は確かに昔と違いますね (ノラ)
2011-11-02 21:08:08
あさぎまだらさん こんばんは。帝釈山の山頂写真を見ましたが,昔と違いますね。こんな名板はなかったですね。田代山の木道は私が最後に行った時は湿原をぐるっと取り囲むようにありました。その内,田代山の写真も載せます。
今昔物語 (あさぎまだら)
2011-11-02 23:26:53
ノラさんこんばんは
山は変わりませんが、道や標識は変わりますね。でも、帝釈山の山頂はやっぱりキツネにつままれた様な感じがします。
場所そのものが違うような感じなんですから…。

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