今日、寝る前にチラッとある情景が見えた。まさかと否定をした。何もかも状況合う。つじつまが合う。おまけに遺書まである。しかし、でも、それでも、どこにも隙が入る余地がない人工壁だって、覆せなければいけない場合もあるのだ。この私がいい例である。そうでなければ、世界が悪に流されるしかない。布団の中で西部邁さんが誰かに川に投げ飛ばされる情景が一瞬見えた。まさか、自殺とはっきりしているのにと・・・否定した。ところが、ネットで調べると過去に「息子に投げ飛ばされて、腰が痛い」と講義中に言った事があったそうだ。どうして、息子が通報した。息子が投げ飛ばした?悪い息子である。閉じるべき口を閉じるのが、死者を悼む心なのに、なんてひどい私なのかしら、このように、私は確かに昔も今も心が育っていない。だから嫌われるのだ。