中条村の現場で一緒に歩いていた人が、木の葉っぱの中から実を採って食べながら「懐かしいなー」といっている。大木になっているから下ばかり見ていると気がつかないのだが、桑の木である。かつて盛んに養蚕が行なわれたころには、桑の葉をかいたりして、枝さら切るということもあったから、木が大きく伸びるということはなかった。養蚕が廃れたとともに、桑畑は根抜されて、果樹が植えられたり、普通の畑に転換されていったが、比較的傾斜がきついような場所や、山に植えられていたような桑の木はそのまま今まで残っている木がある。中には大変な林になっていることもあって、遠目では桑の木の林となかなか気がつかないのだが、葉っぱを見れば明らかに桑の木なのである。
群馬県養蚕試験場の「桑の実図鑑」によると、どうも品種名「一ノ瀬」というのに近いように思う。そこに「蚕飼育用に仕立てると、実は着きにくいが、木を大きくするとたくさん実が着く」とあるように、まさしく木を大きくしているから、実がたくさんついている。木の下には、ぼとぼとと黒い塊が落ちていて、知らぬ間に靴の裏側は紫色になっていた。
子どものころ、まだまだ養蚕をしている家は多かった。我が家も養蚕をしていて、桑つみによくいったものだ。そしてこの季節にはやはり桑の実を採って食べた。ご存知の方はわかると思うが、桑の実を食べると紫色に口の中が染まる。歯や唇なんかにもその色がついたりするから、桑の実を食べたことはすぐにわかってしまうのだ。そんなことを思い出しながらわたしも桑の実を採って食べてみた。懐かしいといえば懐かしい。中条村にはまだまだ桑の木がたくさん残っている。残っているというよりも荒れていて木がそのまま大きくなっているといった方が正しいだろうか。数年前、飯田市箱川の現場で草を刈ろうとして山に(もとは田んぼである)入ったが、見上げるような林が数アールつながっていた。夏場だったので、藪の海をかき分けて入っていったが、丈の長い草を刈り倒して見上げると、やはり桑の木林だった。よくも伸びたものだと感心したが、農業の衰退はそんなところにもみてとれた。
桑の実とともによく食べたのが野イチゴである。少なくなったとはいえ、けっこう野イチゴが成っている。ちょうど桑の実と時を同じくする。今の子どもたちはそんなものは食べないかもしれないが、昔の子どもたちには貴重なおやつだった。
撮影 桑の実 中条村下長井 2006.6.27
野イチゴ 喬木村 2006.6.25
群馬県養蚕試験場の「桑の実図鑑」によると、どうも品種名「一ノ瀬」というのに近いように思う。そこに「蚕飼育用に仕立てると、実は着きにくいが、木を大きくするとたくさん実が着く」とあるように、まさしく木を大きくしているから、実がたくさんついている。木の下には、ぼとぼとと黒い塊が落ちていて、知らぬ間に靴の裏側は紫色になっていた。
子どものころ、まだまだ養蚕をしている家は多かった。我が家も養蚕をしていて、桑つみによくいったものだ。そしてこの季節にはやはり桑の実を採って食べた。ご存知の方はわかると思うが、桑の実を食べると紫色に口の中が染まる。歯や唇なんかにもその色がついたりするから、桑の実を食べたことはすぐにわかってしまうのだ。そんなことを思い出しながらわたしも桑の実を採って食べてみた。懐かしいといえば懐かしい。中条村にはまだまだ桑の木がたくさん残っている。残っているというよりも荒れていて木がそのまま大きくなっているといった方が正しいだろうか。数年前、飯田市箱川の現場で草を刈ろうとして山に(もとは田んぼである)入ったが、見上げるような林が数アールつながっていた。夏場だったので、藪の海をかき分けて入っていったが、丈の長い草を刈り倒して見上げると、やはり桑の木林だった。よくも伸びたものだと感心したが、農業の衰退はそんなところにもみてとれた。
桑の実とともによく食べたのが野イチゴである。少なくなったとはいえ、けっこう野イチゴが成っている。ちょうど桑の実と時を同じくする。今の子どもたちはそんなものは食べないかもしれないが、昔の子どもたちには貴重なおやつだった。
撮影 桑の実 中条村下長井 2006.6.27
野イチゴ 喬木村 2006.6.25