Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

情報に対しての住民の義務

2006-02-28 08:13:46 | ひとから学ぶ
 もう何年も前のことである。ある宴会である役場の方と言い争ったことがあった。公的な情報がいろいろ流れているが、一般の住民には情報をつぶさに読んで認識する余裕はないし、とくにどういう制度があるかなどということはなかなか公的文書を読んでも理解できないじゃないか、とわたしが言ったことに対して始まった争いであった。そして、わたしはわかったとしても、ほとんどの住民はわからないんでは、ということに対して、「そんなことはない」といい、「住民にはそうした情報を受ける権利もあるし、そうした機会がある以上、住民もそうした努力をしなければならない」という。わたしにはどうしてもこの言葉には、理解が示せなかったし、ではそうした情報に熟知している公務員は得をしているじゃないか、とまでは言えなかったわけである。

 長野養護学校を長野市に移管するという話を、長野県会で突然田中知事が切り出して、問題ありということを2/26付信濃毎日新聞社説で述べている。長野市出身者が8割以上である実情から市への移管を切り出したようだが、つまるところ、県に金がないなかで何を切っていくか、という短絡的な発言に聞こえてならない。社説でも述べているが、それなら県が行なっている18ある障害を持つ子どもたちの学ぶ施設全体の課題を詰めてからのことではないか、という記事は正しい。もっというなら、ならば長野県が公的に何を行なっていかなくてはならないか、というところを精査してからのことではないかと思う。いっぽうで話題となっている高校再編問題も考えてみれば同様であり、つきつめれば、高校は県立でなければならないのか、ということにもつながる。いったい公営とは何か、ということである。

 さて、松本市で指定管理者制度で運営しているある施設が、当初予定より赤字が大きく、松本市が補填するという記事がちかごろみえたが、この指定管理者制度による運営というものがこのごろ多くなっている。地方自治法で同制度が導入されたのが平成15年であるから真新しい制度であることはわかる。民間でも運営可能な公営施設を、民間の能力を活用しつつ、住民サービスの向上を図るとともに、経費の削減等を図ることを目指している、ということである。小泉改革のひとつなのだろう。しかし、地方にあっては、補助金でたくさん作った利用度の低い施設を、民間に手放してなんと経費節減しようというのが狙いになっていることは確実である。いずれはそうした施設以外の部分も指定管理者制度に移行されていくようで、いってみれば住民サービス低下につながる、なんていうことも自治労のHPなどには掲載されている。やはりケースバイケースであって、良い面もあれば悪い面もあるのだろう。いずれにしても、どうみても必要だと思ったもののそれほど利用価値がない施設を作っておいて、「管理は頼むな」的な放り出し運営がこのごろ多くはないだろうか。いっぽうでは、前述の養護学校のように必要な施設がたらいまわしにされる。いや、たらいまわしと当事者は思っていないだろうが、公な部分で論議されるべきものなのだろうが、銭がないといって運営主体を切り離そうとしているのだから、同じようなものだというわたしの判断である。そして、役所は放り出すだけ出しておいて、口だけ出しているのならこんな楽なことはない。

 冒頭の話に戻るが、どう考えても役所の人たちは公的情報の先端にいる。それを特権として認識していないとしたら、認識不足である。どんな種類の仕事をしていても、自分のやっている仕事に対しての情報はたくさん持っている。だから役所の人たちには役所の人たち特有の情報があってあたりまえで、加えてそれは地方とか国とかが何を目指しているかという面においては、新聞などの報道以上に詳しいはずなのである。まあ、それを認識してないとしたら、そういう役所の人はベルトコンベア―の上を流れている文書に押印しているだけの人だろうが。

 なお、情報の告知ということについては、「全国民に告知する方法」でも触れた。
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管理責任

2006-02-27 08:16:57 | ひとから学ぶ
 知っている人は知っているが、知らない人は知らない、そんな話から始まる。

 もう20年ほど前のことになるが、買ったばかりの新車がいまいち妙な音がしていたので、ディーラーさんのメカニックに同乗してもらってその音を確認してもらったのだが、なかなかわかってもらえなかった。それは仕方ないのだが、その際、音のことに集中していたこともあって、路面にできていた穴ぼこにタイヤを落として走ってしまった。よく冬場にできている舗装が壊れてできた穴ぼこである。その時代の車だから、今のようにタイヤが超扁平ということはないものの、それでも扁平気味のタイヤを装着していた。どうしても扁平ぎみのタイヤは、こうした穴ぼこに走行中に落とすと、タイヤに傷をつけたり、あるいはホイールが湾曲したりすることがある。そのとおり、タイヤに傷がついてホイールも若干湾曲してしまった。ディーラーさんにそのことを問い詰めることはしなかったし、仕方ないのでタイヤだけは交換してもらったのだが、もちろん自分でお金は払った。新車だったから自分としてはショックな出来事であった。

 さて、こんな話があった。さきごろわたしもときどき訪れることがあるドラッグストアーの入り口が、国道から少し入りにくい、というか普通に入るにはそれほど入りにくいという印象はないが、運転がへたくそな人には入りにくい構造になっている。国道に片勾配があって、その片勾配の低い位置から歩道を乗り上げて店の敷地に入るということで、車高の低い車なんかはちょっと入りずらい、そんな構造になっている。加えて入り口の幅が狭いので、国道が広いものの、入ろうとするとへたくそな人は大回りに入らないと縁石なんかに乗り上げてしまう。何度も入ったことはあるが、わたしにとってはそれほど入りにくいという印象はなかった。少しゆっくり入ればどうということはない。そこで事件はあったという。ある人がそこで側溝にタイヤを落として傷をつけてしまったという(妻よりのまた聞きなので詳細は違うかもしれないが)。その人は国道を管理している県の担当を呼びつけて、「道が悪いから傷がついてしまった」というようなことを言って、修理費を払えという。担当者はどうみても運転の問題ではないか、と思って折衝したが、その人は言うことを聞かない。仕方なく(仕方ないといってはまずいのだろうが)、少し負担はするから納得してほしいと言ったら、なんとか了承したという。

 本来この場合自営工事をしている店が、入りやすいようにするべきところなんだろうが、自営工事申請を県にした際に、それで承認している以上、現段階では管理者である県が対応の相手となるのだろう。ここで冒頭のわたしの話とあわせて考えてみる。わたしも当時は知らなかったが、舗装面に穴が空いていて自分に落ち度がないのに傷を負った場合は、道路管理者へその責任を負わせることができるらしい。冷静に考えれば納得のいく筋なのだが、これこそ知っている人は知っているが、知らない人は知らない。わたしの感覚でいけば、回避できるにもかかわらず、たとえば余所見をしていたとか、スピードを出しすぎていたとか、理由はさまざまであって、レールのように走る場所が特定されていたならわかるが、そうでないとしたら、運転している側が回避しなかったところに大きな原因があると思う。わたしはそのことを知っていても知らなくても、よほどの大事故になるほど道路に問題がなかったら、おそらく管理者へ責任転嫁することはなかっただろう。そのへんの境の問題もあるから、ケースバイケースなんだろうが、意外にもこうしたことで管理者が負担しているケースはけっこうあるという。ドラッグストアーでの事件については、明らかに運転技術の問題で、これを管理者に責を負わせようとすることはほとんどないだろう。あったとしてもヤクザの世界である。いわゆる「いいがかり」というものである。しかし、役所に対しては強く出る、という国民の悪い習性もあるのだろう、「なんとかしてくれる」というとんでもない責任転嫁なのである。こんなことに税金を使って補填しているのも、一般人にはちょっと納得いかない。まさしく「言う方が勝ち」という今の風潮を現している。

 この話にはもうひとつびっくりするような裏話がある。実は、ドラッグストアーでの交渉が終了したのち、このいいがかりの相手が名刺を出したという。その相手は○○町の中学校の教員だった。もっとびっくりするのは、その場では気がつかなかったのだが、対応した県の担当者の息子の担任だったというのである。ドラマ並みのストーリーである。新卒で採用になった教員で、もちろん若い。管理者責任を問うことができることを誰に聞いて認識していたかは知らないが、ろくに勉強の教え方も認識していない教員が、こんな管理責任を問うこと、いわゆる言ったほうが勝ちみたいなことを優先して認識していることに怒りを覚える。この国、いやこの県は「終わっている」とつくづく感じた事件である。
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耳かき店

2006-02-26 12:17:41 | つぶやき
 ビックコミックオリジナルを家族中で読みまわしている。全員が全編を読むわけではなく、それぞれが読む記事があってまわし読んでいる。妻が最近号を読んでいて、「山本耳かき店」を読んだか、と聞く。なにしろ耳かきに関してはうるさいわたしである。認識していなかったが呼んでみて、なかなか笑える。耳かきをすると確かに気持ちが良い。だから辞められない。そんな気持ちを不思議とかきたててくれる読み物である。ここに登場する女の子は、耳かきをしすぎて内耳でかさぶたになっているようだ。医者に耳をかかないようにと止められてはいるものの、どうしてもかきたくなる。そこで、耳かき専門店に行くわけだ。妻に「そんな店世の中にあるの」と聞くと、「あるってよ、飯田にも」という。「へー」と、またまた屁をこいてしまった。

 妻に「いいかげんにしな」といわれるくらい耳かきが趣味である。この漫画に登場する女の子ほどではないかもしれないが、ときおり強くかきすぎて血がにじむことがある。「まずい」と思いながらも、そのままかきつづけてしまうこともある。幸いにも内耳にかさぶたができるほどかいたことはないが、かきすぎのためだろうか、耳の中が「ぼわーん」としているときがある。居間には耳かきが常に何本かある。以前は妻がその耳かきを隠したりしたが、最近はあきらめている。耳かきもそこらの店で売っているものではいまいちなのであるが、道具まで凝るほどまでは達していない。

 今年になって事件があった。実はこのところわたしの愛用の耳かきは、「ののじ」という鉄製の柄に鉄線のループが3本張ってあるものだった。わたしが買ったわけではなく、妻がどこからか手に入れてきた。この耳かきがわたしには最もあっていた。鉄線のループが強くかこうとしても弾力があって曲がってくれるから、内耳に傷をつけることはない。そして、その弾力のある感触がとても気持ちよいのである。ところが、やはりというか強くかき込むため、ループを支えている部分が劣化して切断してしまうのである。支えているふたつの支点が同時に切れるということはないのだが(そんなことがあったら大変だ。耳の中に鉄線が残ってしまって、医者にでも行かなければ取り出せないだろう。)、片方切れてしまえば切れた鉄線がじゃまになるので、もう片方も切断して使う。3本が2本になって、だいぶ気持ちよさが減退してきたころ、事件は起きたのである。残った2本の鉄線が再び切れてふらついていた状態で、やめればよいのに「浅いところならだいじょうぶ」と思ってそのまま耳かきを始めてしまったのだ。鉄線の太さは零点何ミリという世界だから、内耳にそんなものを突っ込んで引っかかれば自分の肉に刺さってしまう。まさにそれが起きたのである。その日は妻が不在で息子がそばにいたので、耳の中をのぞいてどこに引っかかっているか見えないか、と頼むのだが、そんな事態が起きることそのものが想像できないから、どこをどう見ればよいかがわからない。しばらくしてなんとか刺さっていた鉄線は抜けたが、妻が帰ってきて「それみたことか」状態に、自ら反省。とはいうものの、その耳かきの鉄線を1本にしてしばらくまた使った。今はその1本も切れてしまって愛用品は葬られたが、その耳かきでかいたときのイメージは、今でも覚えている。

 わたしはのべつ耳かきをしているから、耳かき店では満足できないが(耳かき店を出られなくなってしまう)、人にかいてもらったらどうなんだろう、なんて思ったりする。確かに子どものころは、耳かきをしようと子どもがものを耳に突っ込むなんていことは危険だったから、耳を掻いてもらうというのが普通だったが、必ず母の役だった。母のひざの上で耳をかいてもらう、なんていう縁側に猫を抱いた婆さんが鎮座しているような風景が懐かしい。
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社会的・文化的な性差

2006-02-25 00:53:25 | ひとから学ぶ
 「天皇は人か」を書いてトラックバックをもらった「紀子さんと雅子さんとジェンダー」は興味深い。コメントがずらっと並んでいてさまざまだとも思う。わたしのブログの中でも、明らかに従来の女性の立場を肯定している文が多いから、ジェンダー肯定ということになるのだろうか。しかし、この論争に溶け込んで女性論を述べようとは思っていない。

 会社でこんな話があった。わたしの会社には臨時の女性社員がいる。正規社員より早く出社して掃除やお茶汲みの用意をする。いまどきそんなのありか、といえばけっこうよそでもあるのだろう。もちろんなんでもありの世の中なんだから、それが仕事で何が悪い、なんていうことにもなる。レストランのウェイターだって同じじゃないかといえば確かにそうだ。しかし、職安に出す求人カードの仕事内容に「お茶汲み」とは書いてないだろう。まあ、入社してあまりにも非人道的であったら、辞めればよい、ということになるのかもしれない。そんなわが社で、そうした女性社員が気に入らないと文句をいう人も多い。仕事ができないだの電話の対応が悪いだのいろいろである。じゃあ自分はどうなんだと質問したくなるようなことも多い。そんななかお茶汲みの話が話題に上って、ある年配の人が「お茶の時間といってきちっとお茶を出すなんていうことはやめて、飲みたいときに飲みたい人が飲めばよいじゃないか」と、まあ言ってみれば常識的な発言をしたわけである。そしたら自分の意見には間違いなしと勘違いしているやはり年配の人が、「おれの考えは違う。朝仕事の始まる前にお茶が飲めるようにしてあるのが当然だ」と言ったという。
 
 わたしも時にびっくりするような言葉を聞いて絶句することがあるが、この後者の言葉を聞いてまさしく「へー」と思った。前者のかたは、強引なる後者に何を言っても無駄だと悟って「まあ、いろいろ考え方はあるからな」と話を切ったと言う。「毎日の繰り返し」とか「普段の気づかい」でも触れたが、気持ちだと思う。ただし、その気持ちの奥にもしかしたら、後者と同じ意図を持っていたとしたら、それは嘘につながるのかもしれないが、それは性差に関係なく共通するものであって、女性だからとかいう意図ではない。たとえば、好きなようにお茶を飲めばよいじゃないか、と思うなかで、してくれたらありがたい、と思っていたとしたら結局は優しさをちらつかせた詐欺師のようなものだ。でも、もしかしたらそうしたところをみながら人を評価したり、あるいは性格を把握しようとすることがあるかもしれない。いや、人とひととのかかわりのなかで、何を得るかといえば、対峙している人と自分との間隔をどう保つかという、微妙なもののように思う。とくに生物学的(ちょっと今回のテーマでいくとこの表現は正しくないかもしれないが)な異性との対峙とはそんなものなのではないだろうか。それはジェンダーフリーな生活を送っている人たちだって、同じではないのだろうか。ただ、「紀子さんと雅子さんとジェンダー」で語られているように、経験を積めば積むほどに性差が緩和されていくということはあるだろう。それを強く感じるのは、女性がいくつで結婚するかによって、男性と女性の力関係に変化が現れることである。「紀子さんは社会に一度も出ることなく、学生のまま結婚して皇室に入りました。男女雇用機会均等法一期生として、総合職女性のシンボル的生き方をしていた雅子さんとの違いはここにあります。20代をどう過ごすかによって、女性が大きく変わるということがよくわかりますね。」と前記のブログでも触れられているように、同じようなことは一般の夫婦間でもよくある。
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夢のある話

2006-02-24 08:13:29 | つぶやき
 昨日だいぶ良くなった風邪が、今日になったらすぐれない。直り始めた風邪がぶり返すというのは、わたしにはめずらしい。どうも夕べよく眠れなかったのが影響しているようにも思う。だいたい夢を見るということは眠りが浅いということだ。わたしはふだん眠りについて朝まで眼を覚ますということはほとんどない。風邪をひいていて睡眠時間が長くなっているから、当然途中で眼が覚めるわけだが、けっこうこんなときに夢を見ている。普段は眠りが深いから夢を見ることは少ない。いいえ見ていても覚えていない、というのが正しいのかもしれないが、覚えていないんだから見ていない、ということにしてほしい。それが昨晩はいくつか夢を見た。メカニズム的にいえばレム睡眠時に眼が覚めているのだろうが、とはいえ記憶に確実に残っているわけではない。よくテレビドラマに夢の中を彷徨うような場面が設定されるが、あんなに明確に夢をあとで再現できない。夢の中に有名人が登場したりするが、そうした有名人は、ほとんど知っている人だけで、知らない人は登場しない。なぜその中にわたしが存在しているか、夢を見ている時は不思議に思わないが、目が覚めてからそれに気がつく。そして、時がすぎると思い出せないほどに消えていく。

 会社に来てから同僚の女の子にこの夢の話をした。「夢ですかー、いいですね」と、また得意の会話が始まる。
 わたし「えー、何がいいの」
 彼女 「楽しいじゃないですか」という。
 わたし「いつもそんなに楽しい夢ばかり見るんだ」と聞くと、にっこり笑っている。
でも前にも書いたように、わたしは夢をそれほど明確には覚えていない。加えて、それほど楽しい夢を見た覚えもない。おそらく見ているのだろうが、記憶に残っているのは、だいたい金縛りの夢ばかりだ。
 わたし「美味しいものでも食べた夢でも見るの」と質問して思ったのだが、味のある夢なんて見るのだろうか。自らの記憶にも食事をしているところの夢があったが、味など存在していなかった。だいたい夢を見たとしても、味とか匂いなんて覚えていないのが普通ではないだろうか。いや、味や匂いは夢に登場するのだろうか。夢そのものを覚えていないから、味とかに匂いなんていう装飾品は記憶から真っ先に消えるのかもしれないが、定かではない。彼女にも味とか匂いなんて夢の中でしてなかったでしょと聞くと、確かに記憶にはないようだ。もしそんな匂いとか味が登場する夢を見た人がいたら教えてほしいものだ。どんな設定なのか。

 さて、夢の舞台ほど妙な世界はないが、意外にも仕事の夢もけっこう見る。でもそういう場面にも登場するはずもない有名人が出てきたりして、「何それ」とはやはり眼が覚めたあとに気がつく。
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国会議員公募に思う

2006-02-23 08:14:27 | つぶやき
 民主党が次期衆議院選と参議員選の候補者を3月から公募するという。資格は25歳以上の男女で履歴書のほか「政治を変えるために、私が取り組みたいこと」をテーマにした論文を添付して申し込むんだという。最近こうした公募制度が国会議員に限らずあちこちに氾濫している。こうしてかの杉村先生も誕生したというわけだ。当選直後はたくさん話題提供してくれた杉村先生も、最近は自民党の単なる広告塔のようだ。直後の言動からは、国会議員の不思議をたくさん公開してくれると思っていたが、このごろは自らいかに税金を少なくしようか企んでいるようだ。こんなふざけたやつが国会議員になれるんだから、国会も地に落ちたものだ。まだ若く、フリーターなんかやっていた人が、世の中の何が語れるというのだ。社会経験がないんだから、とぼけた国会の世界が常識だと教えられて育つとしたら、やはりこんな若いやつが議員になってはいけない。

 公募とは確かに良いシステムかもしれないが、一時の表面だけ見て選択していたら、あとになって大変痛い目に会わされることもある。とくに利権の絡むような立場を公募するというのはどうだろう。政党政治が成り立たなくなってきて、党員になってくれる人が減少すれば、党の代表として議員を選択するのも難しいということはよくわかる。しかし、本来同士が集まるべくして固まって党を形成しているのなら、その中から選択するのが筋ではないだろうか。それができないような政治になっているのなら、根本的にシステムがおかしいとなぜ気がつかないのだろう。

 考えてみればかつて基礎票を安定して計算できていた共産党でさえ、衰退の一途で、いずれは地方のどこにでも候補を立てるということは不可能になるだろう。それほど政党がまるで新興宗教の団体とさほど変わらないのじゃないかと、今の若い人たちは認識しているかもしれない。政治が二大政党化に向かっているなんていう世論もおかしい。本来なら多様化の時代なんだからどんどん分化した政党ができてもおかしくないのに、選挙システムを議員たちが自らを安定させるために変えてきただけのことである。むしろ二大政党化というよりも、政党対その他の時代なのである。しかし、分化したものなら同意できるのに、まさしく国家政治のためだけに二つに集約されていくことに、この国の民はノーといっているような(いやイエスといっているのかも)気がするのである。
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高校入試

2006-02-22 08:08:19 | つぶやき
 先日長野県では高校入試前期試験の合格者発表があった。前期試験は、かつての推薦入学を変更して、自己推薦として面接などの試験を受けるものだが、まだ始まって間もない。中学校の対応もさまざまなようだが、推薦と自己推薦とどう違うかといえば、採用する側に選択肢ができるということだろうか。推薦ならば試験ではないので、推薦する側、中学の意図となる。ところが自己推薦の場合は、採用人数よりも多く受験して、その中から選ばれるということになる。新聞報道にも見えたが、その合否判定が不明瞭である、という意見が受験生の親からも聞こえる。基本的には推薦同様に、中学での生活態度はもちろん、学力がものをいうのは当たり前である。高校のランクから、この学校ならこのレベルの点数が必要、というようなことになる。話によると、ほぼ中学での評価基準がそのまま反映されていく。だから番狂わせなるものはほとんどない。にもかかわらず、受かったら儲けものと捉えて前期試験に挑む生徒も多いという。そのあたりは中学の指導の仕方なのだろう。学力試験がないのだから、採用する側も判断するのは面接だけでは無理だろう。

 そんなことはまだまだ先のことと思っていたら、息子も来年は受験である。希望する学校が得点数で何点以上なのかを認識しながらこの1年を過ごさなくてはならない。しかし、前からも述べているように、いろいろな問題を自ら認識している。部活の顧問もある科目の担当教員だが、仲良くはない。幸いなことに5教科の担当ではないが、理科の担当ともしっくりこない。以前通知表をもらった際に、試験の点数とっていたのに理科の数字を見て「なんで?」ということを言っていた。結局は先生に文句もいわずに従順にしている子どもの方が好かれる。日常のことなら「そんなアホな先生ほっとけ」と言えるが、こと受験のことを思うと「そうはいっても」ということになる。前後期なく一斉での学力試験で合否が判定されるのならいざしらず、前期の試験で合格を目指すには、なかなか難しいことがある。

 前期試験の合否が発表されて間もなく、後期の希望校が提出される。前期に落ちた者がそのショックをカバーできないうちに次のことを考えるには、時間が少ない。そんなこともあって前期試験に儲けものなんていう意識で受験させることはあとのことを考えるとやめた方がよい、という意見もある。何を思ってこんな試験制度にしたか知らないが、長野県では高校再編問題も含めて、これから受験する子どもたちにとっては不安定な時代である。
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ムラのお医者さん

2006-02-21 17:06:50 | ひとから学ぶ
 予想通り風邪をひいてしまった。先週末から傾向があったが、大事にしていればこのまま熱も出ずにやりすごせるか、と思っていた。しかし、月曜日見事に熱が出て、加えて熱の高さの割には椅子に座っているのもつらいほどだった。これほど具合が悪いのは久しぶりである。医者に行ったところ、インフルエンザではないという診断だった。風邪のとき、はわたしには治す得意技がある。電気毛布を使って汗がでるほど温度を高温にして寝るのである。さらに汗が出るようにこたつも併用すると完璧である。
 
 赴任先での出来事ということで、近くにある医者に行ったわけであるが、ただの風邪でも処置の仕方は医者によって違う。ここ何年かこうして熱が出たときに行く医者は、かならず点滴をしてくれる。それも1時間半という長時間の点滴である。妻が言うには早く直したかったら○○医院、というほどよく効く。昨日訪れた医者も点滴をしてくれたが、15分ほどのものだった。

 わたしの生まれ育った家は、隣組にお医者さんがいた。町の中ではない。田舎のど真ん中、いや端尻尾のようなところであったが、お医者さんがいた。軍医をされていた方で、歯科と内科と小児科と、それぞれの医師免許持っておられた。今ではそんなお医者さんはなかなか会うことができないだろうが、昔の軍医だったような人には珍しいことではなかったのかもしれない。今でも開業されているのだろうが、もう90歳近いのではないだろうか。子どものころから、何かあればそのお医者さんで間に合った。祖母も祖父もそのお医者さんに看取ってもらった。かつてのように誰でも車で出かけるということができなかった時代には、身近にお医者さんがいるということは、大変ありがたいことであった。その地域には200戸程度あったのだろうか、ほとんどの人がお世話になっていたし、隣接する地域にお医者さんがなかったこともあって、その一帯では貴重な先生であった。生まれたときから身近にお医者さんがいたということで、お医者さんが遠い存在ではなかった。結婚して家を離れるまでは、ずっとかかりつけのお医者さんで、結婚後もしばらくは歯の治療には訪れていた。
 このお医者さんは、風邪をひいてもすぐには注射をしてくれなかった。なるべく薬に頼るということをしないように、という治療の仕方であったように思う。とくに子どもの治療では、そんな意図が感じられたものである。小学校6年のとき、修学旅行目前にした前日に熱が出始めた。先生はすぐに熱を下げる注射を打つことはできたのだろうが、旅行はやめた方がよいといわれた。それから旅行の間中、わたしは寝ていることになったのだが、意外にも途中から薬を変えてくれて、すっかりよくなった。社会人になると、仕事を休めないということもあるのだろうが、すぐ直したいというと、注射をしてくれたが、基本的には強い薬を利用しない治療だった。
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ソースカツ丼

2006-02-20 08:19:26 | ひとから学ぶ
 「ごぼとん丼」に触れたが、こうした町の名物として売り出そうとする動きは、全国的にさまざまなものがある。松川町でも近在の成功例として、今ではずいぶん知られるようになった駒ヶ根市の「ソースカツ丼」に追いつき追い越そうという意気ごみである。
 
 何度も書いてきたが、わたしはあまり外食はしない。それは最近のことで、一時はけっこう外食をしていた時期もある。外食の定義にもからむが、わたしにとっては、会社で弁当をとっても、あるいは会社の食堂で定食を食べても外食に変わりはない。外食産業の材料を使っていても、少し外食っぽいと思ったりする。一時的にそうした外食に頼ったことはあっても、さらにさかのぼれば、金のなかった若いころも外食をすることは少なかったし、さらに昔は外食をするなんていうことはめったになかった。かつての農家の子どもなんていうものは、外で食事をするのは、何かの行事があるときくらいだったから、年に一、二回のものである。そんなこともあって、そもそもカツ丼というものをわたしが初めて食べたのは社会人となってからのことである。それも地元を離れて暮らしていたときに食べたのが最初だったということもあり、カツ丼とは、玉子とじののったカツ丼が当たり前だと思っていた。ところが地元に帰ってきてカツ丼を頼んだところ、ソースカツ丼が出てきて、「なんだこのカツ丼は」 と驚いたものであった。それから地元であちこちで食べてみると、どうも上伊那郡一帯にはこのカツ丼が多いということを知った。駒ヶ根で売り出す以前からこうしたカツ丼が、この地域の特徴だったのである。

 さて、駒ヶ根市でこのカツ丼を名物として売り出したのは、平成4年のことである。商工会議所が中小企業庁の補助金をもらって地域おこしをしようとした時、たまたま外部の人が言った「駒ヶ根市のカツ丼は珍しい」という言葉を思い出し、栃木の佐野ラーメンのように同じ地域おこしをしている所を視察したり、研究を重ねて始めたという。ソースカツ丼はほかの地域でもあるといわれており、例えば桐生市あたりもソースカツ丼だという。ただし作り方が違っており、桐生市の場合は、キャベツがのらないという。駒ヶ根市では、松川町でも考えているように、地元産の肉やキャベツを使って作ろうと始めた。このソースカツ丼であるが、東京などでは大正時代ごろから始まったといわれ、駒ヶ根市でも昭和初期には始まっており、老舗の店も二店ほどあるという。現在多くの店が 「駒ヶ根ソースカツ丼会」 に加盟しており、特にソースのたれについて工夫している。揚げたカツをたれに浸して、よく味付けしてからキャベツの上にのせるのがこのカツ丼の特徴である。この地域ではソースカツ丼のたれをスーパーで売っており、このたれを買ってきてそれぞれの家庭で、それぞれの形でカツ丼を作る人が多〈、むしろ自分の家で作った方がおいしいという人もいる。
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ごぼとん丼

2006-02-19 00:28:48 | つぶやき
 松川町で名物として売り出そうとしてはじめた「ごぼとん丼」を、ためしに食べてみた。ごぼうと豚肉を丼に載せたもので、「こぼとん」と名づけたようだ。信濃毎日新聞の過去記事から拾ってみると、昨年の6月23日新聞に「「松川町の味」が決定 地元産使った肉ゴボウ丼に 研究会 7月提供開始へ」という記事がある。松川町の飲食店経営者でつくる「松川町の味研究会」が、町の名物として売り出す料理を豚バラ肉とゴボウを使った丼に決めた、というものである。そしてその名前を「信州松川のごぼとん丼」と名づけたとある。このブランドで売り出す「ごぼとん丼」は、餌にリンゴを使った地元産の豚肉とゴボウを使うことが条件だという。

 そして、8月23日付新聞では、「松川町の名物料理「ごぼとん丼」 懸垂幕が完成―店頭に 目を引く金文字」という記事が踊る。松川町の味研究会が、名物料理として売り出す「ごぼとん丼」をPRするのぼり旗と懸垂幕が出来上がり、町内の店頭に飾られ始めた、というものである。

 さて、その後スタンプラリーなるものが始まり、いよいよこの丼で売り出すことになった。せっかくの商品にけちをつけてはいけないが、日記だから正直に感想を述べる。まず、ごぼうと豚肉ということで、なかなか色合いはよくない。食べる前からあまり印象はよくなかった。加えてごぼうは一般向けの材料ではない。実は、今回食べてみたごぼとん丼の店は、肉丼なる商品が昔からあって、妻の実家の父はこの肉丼を大昔に食べて美味しかったということで、家で真似して「ごぼう丼」と題してよく食べる。ごぼうをささみにして切って、豚肉を加えて炒めて食べるのだが、こちらはごぼうの味が出ていて、一般向け材料ではないが、予想以上に美味しい。店で出していたという肉丼とはことなり、だいぶオリジナルになっているかもしれないが、始めた原点にはこの店があった。そんな縁もあってこの店の「ごぼとん丼」を選択した。

 実際食べてみての印象は、予想以上に美味しかった。豚肉は角煮が載っていて、そこそこの味は出ている。しかしである。脂身が多くて(角煮だから仕方ないが)五切れ肉が載っているのだが、ちょっとハードだ。中学生の息子も、肉の脂身を少し残した。妻の実家の父母にも食べてもらったが、年寄りにはきつい。一人前すべて食べたのはわたしだけだった。そのわたしでさえ、けっこう胃にこたえる。調子がよくないともたれるかもしれない。「ごぼとん」といっているのだから、ごぼうがもう少し印象に残ればよいが、やはり、ごぼうの印象をあげると人気が薄れるのかもしれない。正直いって、ごぼうはおまけ程度の添え物である。ごぼうはかなり味付けが濃く、ごぼうの素材の味はあまりしない。店によって少し作り方は異なるようだが、ほぼ素材が同じだから、現在のところはそれほど差がないのかもしれない。町内にはそれほど食堂など多くないが、けっこう何店も加盟している。
 総合評価だが、妻の弟にもかたわれを試食してもらったが、彼は味にはうるさい。いわく、「角煮がいまいち」という。わたしにはそこそこと思ったが、味にうるさい人には○はもらえない。外食をほとんどしない家族の評価だから、外食盛況の現代人の評価はもっと高いかもしれないが、逆にいえば、こんなものばかり食べていたらまず長生きしない。一般的視点でいけば、中年以上にはお勧めできない。脂ぎっている若年層なら好評かもしれない。「ごぼとん丼」に決定する際に、ほかに味噌カツと煮カツもあったという。その中で、町長などに試食してもらって決めたという。総合イメージは味噌カツや煮カツの方が私には好みだ。しかし、地域性と新たなるブランド名ということから考えると、「ごぼとん」になったのだろう。一食850円という値段からして、一度は食べてもよいが、カツ丼や煮カツが同程度の価格で並んでいたら、わたしはそちらを選択する。

 以上が「ごぼとん丼」初体験の感想である。おそらく二度と食べないと思う。
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長野県の中学校教育に物申す

2006-02-18 00:31:28 | ひとから学ぶ
 学校の先生のことをいろいろ言っても仕方ないとあきらめているが、いったい学校を全体的に見なければいけない校長や教頭はどうしているのだろう。息子の入っている卓球部は、土日になるとすごい勢いで練習をする。内容があって充実していればまだしも、だらだらと長時間やっている。朝8時から始まる練習は昼にとりあえず終わるが、午後になっても自主練習が始まる。夕方終わるのだが、土曜日はその後夜7時から再び2時間余、町の社会体育に参加する。1日10時間あまりの練習時間である。これで全国大会に行くほど強豪校ならわかるが、県大会にも運がよくないと行けないほど弱いチームである。いや、高森町で社会体育を指導している卓球の著名な指導者は、1日2時間程度練習すればよい、という。たくさん練習すればよいというものではないのである。あまりの練習時間の多さに、息子は内容がない練習はいらないと、自主練習はもちろん不参加。部活も言い訳を作ってはあまり参加しない。加えて顧問の先生はえこひいきばかりで、レギュラーの子どもたちに盛んに練習試合をさせる。あたかもレギュラー以外の部員は必要ない、というような雰囲気がある。そんな雰囲気も含めて、さらには以前にも書いたがいじめられたこともあって、レギュラーではあったが、息子は部活にあまり集中しなくなった。それほどのえこひいきなのだ。いろいろあったことを担任に相談したところ、これからはわたしに言ってくるように、といわれたものの、その担任でさえ、「○○先生も一生懸命やっているから」といって、このごろは信用できそうもない。
 
 息子と同じ小学校を出て、かつ家も比較的近くてさまざまな部分で縁のあった女の子は、ある部活で県大会優勝をし、全国大会にも出場する。ペアで競技をするのだが、その相手が小さいころから熱心にやっていたということで、親も熱心だという。縁のあった女の子は、4人目のペアだという。簡単に言うとそれまでの3人は、ペア相手についていけずにペアを解消したわけである。なにしろ親が熱心で、その過激さにペアが続けられないという。4人目のその女の子も、なるべく相棒の邪魔をしないようにと言われているという。部活のあり方も、いずれ変わるのだろうが、目立ってくるとやたら回りが何でも許してしまう傾向がある。親が何を言おうと、それを抑えて学校の趣旨をしっかり語れない先生も多い。
 
 息子が理科を教わる先生は、何を言っているか生徒が理解できないという。おじさんが理科の先生をしているので補習をして息子はなんとか理解しているようだが、クラスでも大方の生徒が「わからない」と言うらしい。おそらく、教員だってプロなんだから、上司がその教え方を少しでも見れば、専門が違っても能力のない先生だとすぐわかるはずだ。だから、校長や教頭は何をしているのだ・・・と思うのだ。

 ある学校では、昨年まで合唱コンクールに出場したりして、音楽にも熱心な学校だったという。ところが今年になって変わった先生は、好きな音楽のCDを持って来いと生徒に言い、持ってこさせたCDを授業中に聞いて、音楽鑑賞だといって時間を過ごしているという。そんな授業が平気で行なわれていてよいものか。

 さまざまな事件を含めて、子どもたちの質の低下もあるし、加えて親もろくなものじゃないからすべてを先生のせいだとは言わないが、そうはいっても最後の砦である「勉強を教える」力ですらほとんどない先生が一人や二人じゃない。従来から勉強に力を入れているというような学校は伝統があって、しっかりした教育をしているようだが、ダメな学校にはますますダメな先生が集まってくる。子どもたちには選べない先生である以上、義務教育であっても、学校を選ぶしかない、それが長野県教育の現実である。
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道州制への懸念

2006-02-17 16:41:06 | 歴史から学ぶ
 思ったとおりである。道州制について今までにも何度か触れているが、飯田市長が地方制度審議会専門小委員会が近くまとめる道州制答申について懸念を表明した。「地方制度調査会の道州制について」に書いたように、県単位で区切ってしまうと、本来の交易圏という視点からいくと、行政枠が大きくなるにもかかわらず、隣接地とものごとを共有できない地域も生まれる。隣なのに今まで以上に遠くなってしまう、という印象はぬぐえないのである。結局明らかなる境となす線引きができないような地域では、県単位という道州制は不可能なわけである。そしてもっともこの枠に順応できない県が長野県といえるかもしれない。だからこそ、田中康夫知事は道州制に対して前向きでないし、分県されることを不安視している。しかし、道州制に進むとするのなら、いずれはこのことについて長野県民は本気で考えなくてはならない時がくるはずだ。

 ところで今日の中日新聞に興味深い記事があった。「この国のみそ」という特集で「第2部 東と西二またの悲劇―ナゴヤの成分 真ん中の宿命」というものである。ナゴヤ圏においては、東と西のどちらに所属するのか、そのせめぎあいにあう。「西」に該当するものに電話や周波数がある。いっぽう「東」に該当するものに夏の甲子園のグループ分けがある。そして分断されるものとして、全国高校サッカーでは、愛知と岐阜は東、三重は西に入る。こうした事例から、ナゴヤは日本の真ん中にありながら、東西から引っ張られ、引き裂かれる「裂け目」となる。記事では「このごろはサッカー大会で済んでいるが、歴史上の「裂け目」はもっと過酷で非情だ」という。鎌倉時代の尾張、美濃の武士たちの非情はもちろんだが、とくに顕著なものとして幕末の尾張藩の悲劇をとりあげている。
 尾張藩は御三家筆頭であり、14代当主慶勝はその立場上東の幕府、西の朝廷の間で揺れ動くわけである。長州征伐では嫌々ながら幕府軍の総督を務め、大政奉還後には薩摩や長州とともに新政府の発足にかかわる。旧幕府軍対新政府軍の戊辰戦争で態度表明を迫られ、新政府軍への忠誠を誓うこととなる。そして1868年1月、慶勝が「旧幕府軍と組んで朝廷に反逆を企てた」として藩士14人を打ち首にした松青葉事件が起きる。この事件については、「新政府の忠誠を披瀝」するために仕立てた「大バクチ」だったともいわれる。そこまでしながら、旧尾張藩の人材は明治政府では薩長勢力に排除されたという。真ん中でありながら、決定的な東西の判断が見えなかったがために、どちらからも利用されただけで終わったことを歴史が示しているわけである。名古屋市名東区の明徳池近くに17体の菩薩像があるという。造られたのは昭和初期といい、「木曾三川の堤防工事で亡くなった薩摩藩士の慰霊だと聞かされた」と近在に住む人たちに伝えられている。しかし、菩薩像の背後には、松青葉事件で斬首された藩士の名があるという。記事の最後で、「事件後、半世紀以上を経ていても表立って弔うのがはばかられたのか」、そして、「カムフラージュのために三体多くされたとする菩薩像が、「裂け目」の闇の深さを物語っている」とまとめている。

 東西とか南北とか、二者択一の判断が求められることは多い。そして、世界をみても国内をみても、そうした二者のどちらにつくかで、歴史が語られてきている。実際には第三国とか、二者以外の世界も語られるが、人々の判断は「どっちにするのか」で常に葛藤するように、どうしてもどちらかを選択せざるを得ないことが多い。だから地域の分割もそうした視点になることは致し方ないが、真ん中でありながら境界域という現実は、その地域で生まれ育った者にしかわからないことかもしれない。中日新聞には掲載されても、東や西の新聞に掲載される記事ではないのだ。つまるところ、境界域の意思は無視されることになるのかもしれないが、この新聞記事は道州制の枠決めに対してのヒントであるように思う。

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ムラ境の厄神除け

2006-02-16 08:20:16 | 民俗学
 2月15日、下伊那郡松川町上片桐の諏訪形集落において、厄神除けの草履つくりが行なわれる。この日、ちょうど仕事の関係で飯田の事務所を訪れた。その帰り道、吊るされたばかりの草履を写真に納めた。朝10時から草履つくりが始まるということで、その現場を訪れることはできなかったがいつかは日程を合わせて調べにいきたいと思っている。この草履は、かつて青年会が年に2回、春は八十八夜、秋は二百十日に作って集落の入り口に吊るしたという。昭和20年に途絶えていたが、昭和54年から老人クラブの人たちによって復活し、毎年この日に作られるようになった。草履の大きさは長さ1.2メートル、幅0.8メートル程度ある。諏訪形の集落は、JR上片桐駅の南に位置し、東西に細長い集落である。集落の中を「なかみち」という道が東西に走り、集落南側の片桐松川の段丘崖上に「やまみち」という道が、やはり東西に走る。このやまみちの東のはずれと、西のはずれに草履が吊るされる。東のはずれには吊るすための棒が立てられ、西のはずれでは、木の枝に吊るされる。以前訪れたときは、道の両側に縄が張られて、そこに吊るされていたが、今年は木の枝に直接吊るされていた。
 
 同じような行事を拾ってみると、諏訪市豊田上野では、「二尺くらいの大わらじを作り、ムラの上と下につるした。魔よけや悪病除けのためといわれた。わらじ作りが下手で大きなわらじを作る人に「お前のわらじは魔除けになる」といって笑った」という。また、南信濃村十原では「神社へムラの衆が集まって百万遍の念仏を唱えたあと、ムラの入り口に注連縄を張って大きな草履を吊るした。これをミチキリといい、悪病の入り込むのを防ぐのだといった」という。このように草鞋を吊るす事例は多いが、天然痘や伝染病か流行ると、ムラのはずれに注連縄を張って草履を吊るすというところもけっこう多かった。

 こうしたミチキリの行事は全国的にも多い。巨大な草鞋を吊るすことで、このムラには恐ろしい巨人がいると思わせ、疫神を防ぐ。呪物で疫神をまどわすという意図もさまざまな形で見ることができる。「節分」でも触れたが、夕方小さい紙きれに「カニ・カヤ」と二行に書いて、戸間口、戸袋・蔵の中・便所・厩などに貼ることも、鬼が来たときにまどわせる意味があったようだ。さらに「芦の尻のドウソジン」もよそからやってくる疫神に立ちはだかる神を模している。芦の尻では、ドウソジンの横の道に、ミチキリの縄が張られていた。こうした行事の日取りはまちまちではあるが、2月8日、春彼岸、4月8日、田植えごろ、6月8日、盆前後、二百十日、9月節句、12月8日などで、疾病の流行りそうな時期が選ばれているようだ。
 長野県内でも「かつてやっていた」という話はよく聞くが、実際行事を続けているところは少ない。
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「前向き」ということ

2006-02-15 07:49:06 | ひとから学ぶ
 前向きな視点とか、発言という言い方をわたしもよく使うが、果たして「前向き」であることによってすべてがうまくいくとは限らない。信越放送の「ニュースウィークリー」で田中康夫知事の後援会長が出てきて、知事の悪いところばかりをとりあげるのではなく、「前向き」に良いところを伸ばしていってほしい、というようなことを述べていた。その通りだと確かに思う。マイナス点を検証してそれを糧にすることは大事だから、過去を振り返ることも大事だし、もちろん失敗を謝ることも必要だ。しかし、そればかりに眼をやっていては、ことが進まない。今の長野県はそんな感じだ。だから少しくらいのことでいろいろ言うな、ということにもなるだろう。その視点は正しい。
 しかし、人の性格にはいろいろある。もちろんリーダーになるような人間に、引っ込み思案な人はいないだろうし、気の弱い人はいないだろう。しかし、それでもいろいろな人がいる。少しくらいのことは許すから、どんどん前へ進めというと、「少しくらい悪いことはやってもいいから、どんどんやれ」ということになって、勘違いしてしまう人もいる。そのへんの調整ができればいいが、できない人もいれば、まわりがそれを引き止めるということもある。だから、安易に同じ視点でものを言ってはいけない、ということになる。同じようなことは、ふつうのつきあいや、会社という組織でもある。確かに言っていることは正しいかもしれないが、どう考えても言っていることとやっていることに差がある人もいる。だからこそ、前向きになることは必要だが、おだてて前に引っ張らせるということも危険なことが多い。とくに、あることがらを賛成すると、その本人が考えることすべてに賛成している、と勘違いする人が多い。それを説明していてもらちがあかないなんていうこともよくある。わがままな性格の人には多い。
 同様に、地域で暮らすとかいうときには、たとえば役員とか、係というものは、まんべんなく多くの人に経験してもらうことが大事となる。行動や考えというものをひとつの尺度で共有してもらう。その上でその矛盾を認識することも必要だし、矛盾であってもそれに従うということも大事となることがある。地域のリーダー育成とか、有志による懇談会への参加を呼びかける際にも、そのへんを認識しながら行なわないと、けっきょくそういう場面に声のかからないような人たちは、そうした活動に理解を示さないし、認識しようともしない。一部の行動派とか知識人だけで前向きになってしまうことのないようにしなくてはならないが、あたかも行動力のある人たちは、そういう錯覚に陥ることか多い。どの世界も同じだが、そのあたりをみながら前向きな行動をしなくてはならない。もしかしたら前向きとは認められていなくても、その意図は説明していかなくてはならない。が、なかなか難しい。
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原田雅彦の失態

2006-02-14 08:13:55 | つぶやき
 ユリアンティラコーチの「不運なハプニングで残念だ」発言もそうだが、新聞記事ですら「大舞台で何をするか分からない、この選手らしい失敗ともいえる」と述べる。冬季オリンピックでジャンプノーマルヒルで失格になった原田雅彦へのこれは賛辞なのかもしれない。初歩的ミスと本人も言っているが、批判ももちろんあるが、新聞記事でもわかるように、この失態に対して、予想以上に日本人の論評は甘い。「60キロでいいと勘違いしていた」と原田はいうが、たとえていうなら、サッカーでゴールキーパーでもないのに手を使って捕球して、「手を使ってはいけないと知らなかった」と言っているようなものだ。61kgに0.2kg足りなかったというところがクローズアップされているが、そんな微妙な話じゃないのだ。こんな基本的なことを認識していない選手を起用した競技関係者も程度が知れる。
 まだラージヒルの競技がこれからというところでこんな話もなんだが、ジャンプは選手の選択が難しい。飛びぬけた安定感があればよいが、そうでないとすると状況によって波が大きい。わたしがそれをつくづく感じたのが、前回の冬季オリンピックの時である。当時のジャンプ競技に選出されたメンバーに、山田大起選手がいた。最年少のジャンパーは、オリンピック前の競技大会では大変好調であった。ところが直前あたりから調子は下降気味となり、オリンピックでは成果を出すどころか、途中から控えにまわった。ジャンプの場合は、当日に好調な選手を選択できるかどうかにもかかってくる。今年の場合、シーズン当初は日本の選手は不調であった。オリンピックのジャンプ競技には派遣しない、などという言葉も出たほどである。ところが、一時、岡部孝信選手が調子が良かった。しかし、そのときわたしの頭によぎったのは、このままオリンピックまで調子がよいとは限らないということであった。このごろ絶対的な力がなかった日本人選手だっただけに、きっと波があると思ったわけである。だからこそ、直前がどんなにひどくても、原田がオリンピックでけして不調であるとはいえなかったわけである。多くの選手を代表して出ているからこそ、こんな低レベルな失格は絶対にあってはならないわけである。
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