大晦日、年取りである。午前に門松を立てた。玄関口の正面に杭棒を立てて注連縄を張る。杭棒は、普通なら新しくとってきた棒の皮を剥いて立てるものだが、今年は昨年の杭をそのまま使った。檜の杭棒であるが、このごろは山に手ごろな檜がなくなってきた。そんなこともあって、新しい棒を使えなかった。杭棒には竹と松を縛り付け、オヤスも一緒につける。
年取りだからお神酒をつけるものなのだろうが、日本酒を飲まないわたしには、形ばかりのお神酒で、一年にこの日だけ家に日本酒がやってくる。しかし、一口つけただけで飲まないから、「もったいない」代物である。このごろは、年取りといっても年取りの食事とは限らない。家によっては、寿司を食べたり、焼肉だったり、それぞれのようだ。そこにいわゆる年取りの品が並ぶかどうかというようなことになっている。年取りといえば、酒粕の鰤、田つくり、数の子、昆布、なます、豆、たこなどだろうか。こうしたご馳走も、このごろはご馳走ではない。味気ないと若い人たちは言うに違いないし、精進料理のごとく捉えるかもしれない。だから、最近はそうした年取りの常連たちも顔を出さないのじゃないだろうか。常に美味しいものばかり食べているから、特別年取りとはいえ、それぞれ好きなのものを食べようとなる。ふだん美味しいものをたべているから、このときばかりと、かつての年取りの食事をしてみるというのもよいかもしれない。わたしの家では、息子が粕汁を好まないこともあって、鰤は食べたが照り焼きで食べた。「食べるものがたくさんあるから、鰤は食べなくてもよいかな」と、妻に促されたが、せっかく鰤があるのなら、年取りなんだから少しでも食べようということになった。わたしの実家は昔から鰤を食べたが、妻の家ではかつては鮭が年取り魚だったという。松本より南では鰤、北では鮭なんていう大雑把な言われ方をするが、それは大枠であって、細かくみていくと、必ずしもそうした分け方にはならない。鰤が高級だったころには、違う魚で年取りをするところもあったし、同じ地域の中でも必ずしも同一ではないということもあったようである。
鰤のほかに、田つくり、黒豆、なます、キンピラなどで、必ず食べるのに「年取りの汁」というものがある。ごぼう、大根、にんじん、里芋、糸こんぶ、豆腐、じゃがいもが入っていたが、本当はここに竹輪も入れるのだというが、今年は入れなかった。この汁に元旦の朝、餅を入れてお雑煮とする。
このように、何を食べても文句はいわれないだろう、というのがこのごろである。ここ数年、大晦日には兄が蕎麦を届けてくれる。伊那の平らでは、蕎麦を食べるという風習はそれほどなかった。したがって、年取り蕎麦なんていう言葉も、よそのことであったが、このごろは蕎麦を食べる人も多い。兄は年末にたくさん蕎麦を打っていて、会社の人たちなんかに分けているようだ。10年近く前に盛んに蕎麦うちに励んで、級なのか段なのか知らないが取得した。プロ並みの蕎麦を打つ。ただ、いつももらってから妻と話すのだが、そば粉があまりよくない。妻の実家でも親戚からもらったそば粉で蕎麦を打つが、とてもプロ並とはほど遠いが、味だけは蕎麦の風味がしておいしい。一度そのそば粉で兄に打ってもらおうと思っているが、いまだに実現していない。さて、蕎麦をもらったものの、年取りにはなかなか食べるものがたくさんあって、今年も年を越してからの「年越し蕎麦」となる。
年取りだからお神酒をつけるものなのだろうが、日本酒を飲まないわたしには、形ばかりのお神酒で、一年にこの日だけ家に日本酒がやってくる。しかし、一口つけただけで飲まないから、「もったいない」代物である。このごろは、年取りといっても年取りの食事とは限らない。家によっては、寿司を食べたり、焼肉だったり、それぞれのようだ。そこにいわゆる年取りの品が並ぶかどうかというようなことになっている。年取りといえば、酒粕の鰤、田つくり、数の子、昆布、なます、豆、たこなどだろうか。こうしたご馳走も、このごろはご馳走ではない。味気ないと若い人たちは言うに違いないし、精進料理のごとく捉えるかもしれない。だから、最近はそうした年取りの常連たちも顔を出さないのじゃないだろうか。常に美味しいものばかり食べているから、特別年取りとはいえ、それぞれ好きなのものを食べようとなる。ふだん美味しいものをたべているから、このときばかりと、かつての年取りの食事をしてみるというのもよいかもしれない。わたしの家では、息子が粕汁を好まないこともあって、鰤は食べたが照り焼きで食べた。「食べるものがたくさんあるから、鰤は食べなくてもよいかな」と、妻に促されたが、せっかく鰤があるのなら、年取りなんだから少しでも食べようということになった。わたしの実家は昔から鰤を食べたが、妻の家ではかつては鮭が年取り魚だったという。松本より南では鰤、北では鮭なんていう大雑把な言われ方をするが、それは大枠であって、細かくみていくと、必ずしもそうした分け方にはならない。鰤が高級だったころには、違う魚で年取りをするところもあったし、同じ地域の中でも必ずしも同一ではないということもあったようである。
鰤のほかに、田つくり、黒豆、なます、キンピラなどで、必ず食べるのに「年取りの汁」というものがある。ごぼう、大根、にんじん、里芋、糸こんぶ、豆腐、じゃがいもが入っていたが、本当はここに竹輪も入れるのだというが、今年は入れなかった。この汁に元旦の朝、餅を入れてお雑煮とする。
このように、何を食べても文句はいわれないだろう、というのがこのごろである。ここ数年、大晦日には兄が蕎麦を届けてくれる。伊那の平らでは、蕎麦を食べるという風習はそれほどなかった。したがって、年取り蕎麦なんていう言葉も、よそのことであったが、このごろは蕎麦を食べる人も多い。兄は年末にたくさん蕎麦を打っていて、会社の人たちなんかに分けているようだ。10年近く前に盛んに蕎麦うちに励んで、級なのか段なのか知らないが取得した。プロ並みの蕎麦を打つ。ただ、いつももらってから妻と話すのだが、そば粉があまりよくない。妻の実家でも親戚からもらったそば粉で蕎麦を打つが、とてもプロ並とはほど遠いが、味だけは蕎麦の風味がしておいしい。一度そのそば粉で兄に打ってもらおうと思っているが、いまだに実現していない。さて、蕎麦をもらったものの、年取りにはなかなか食べるものがたくさんあって、今年も年を越してからの「年越し蕎麦」となる。