Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

死語

2016-10-28 23:31:27 | ひとから学ぶ

 少し前に「土人」発言が話題になったが、発言されたのは29歳の機動隊員だった。死語という言葉があるが、そもそも「土人」なる単語が生きていたのか、と驚いた人も多いだろう。証拠にネット上ではこの「土人」を検索する人がとても多かった。日本中のどれほどの人が「土人」という単語が流れてその意味が解ったことだろう。あえてわたしも「土人」を検索してしまった。差別語であるということは認識していても、ふだん使わない、というより死語化していたから、「どういうときに使っただろう」と記憶を遡らないといけないほど。あらためて検索すると、「土人」についてはウィキペディアにもあって、「律令制度の「本貫地に居住している人(土人)。「其の地に生まれ住む人。土地の人。」「原住民、現地人」、現代では「原始的生活をする、土着の人種」を第二語義とする辞書もある。」と示している。土地の人、ようは現地人ということになるだろうが、こう捉えれば生まれし土地に暮らしていればみなが土人なのに、なぜ差別語になるのか。アイヌの人々を蔑視して使われたというあたりからそういう立ち位置になっていったのだろう。たとえば柳田國男は、大正14年の『山の人生』において、「今も時としてその姿を幽谷の間に見る者があって、土人は一様にこれを山男と名づけている」と記しており、おおかたは現地の人も土着の人という捉え方なのに、死語になった背景には差別語という捉え方があったからだろう。その単語が若い人たちの口から発せられたというのが意外だったわけだが、彼の記憶に入り込んだ背景にどんなことがあったのだろうか。おそらくそれほど意識なく使ったと言えるのだろうが、反面それが大きく問題視される。今は軽やかに、容易に言葉を発せられない時代になっているとも言える。ましてやそれがすぐに広まってしまうのだから。わたしの記憶では「土人」には原始人という認識があった。おそらく子どものころには使っていたのだろうが、原始人=未発達、ようは発展途上も含めてそうした人々を捉えていたのかもしれない。したがって蔑視しているということになる。必ずしも問題の所在にそれがあったかは解らない。いわゆる彼から発せられた「ボケ」と「土人」のどこが違うのか、と。「死ね」と言ったらもっと問題だったのか。でもこの発言の背後にはいわゆる「死ね」と発せられていても不思議ではない流れがあるし、そもそも公務員が発することばとしてどうかということになるのだろう。やはり私語のレベルである。

 死語についてはネット上にもたくさん一覧化されているが、それは一時流行った単語であって、「土人」のような事例はあげられていない。「死語」といって良いかはひとそれぞれだろうが、「相乗り」という言葉というよりは行為もそのひとつかもしれない。今や渋滞緩和のために「相乗りしましょう」なんていうフレーズを聞かない。通勤時間帯に走っていても、相乗りしていると思われる例は皆無だ。周辺でも渋滞がかつてより緩和したのは、道路整備が行き届いたということもあるかもしれないが、そもそも人口が減少している。とりわけ定時に通勤しなければならない人の減少は著しいだろう。それでも渋滞するのはまた違った理由が考えられる。30年から20年ほど前にはよく広報された言葉が前述のフレーズ。少ない資源を大事にしようという意図もあっただろうが、今やそれらは技術によってクリアーされている。かつて流行った言葉も行為も、今思えば「何だったんだろう」と思うようなものがたくさんあるのだろうが、もはや忘れ去っている。そのひとつに「土人」もあったのに、俄かに現代に引き戻してくれた。

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