Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

外のひとびと

2017-07-13 23:59:09 | つぶやき

 積極的に避けているわけではないが、いつしか疎遠になるということは、それなりに理由がある。もともと彼は専門外(ここでいう専門とはかなり狭いもの)の分野の仕事にかかわり、たびたび「僕は専門が違うから」という言葉を発した。しかし、仕事でかかわっていけば経験からくる知識が自然と備わる。そこに性格のち密さが加われば、自ずと成果はあがる。そうして地域では第一人者とまで言われるようになっていくわけだが、あくまでも仕事で得た名声だから、当たり前と言えば当たり前だ。かつて「毎年訪れる不可思議な日」で触れたが、公衆の仕事を長きに担った方たちには、それこそ公から褒めていただける。でもそれだって仕事でやっていたことだから、では生涯農業を担い、身体が動けなくなるまで働いた人はどうなんだ、となる。名声とはそんなもの。ある場面で書かれた報文に第一人者は褒め称えられていたが、仕事で築き上げられたものは、「努力」などといった単語で飾られても誰もがやっていることだから「そんなのあたりまえだろ」と思ってしまう。卑しいと言われればそうかもしれないが、ではこちらがお願いしたことをちゃんと覚えていてやってくれたか、あるいは立ち話で軽々口にした約束でもちゃんと実行してくれたか、となる。そんなことで振られた折には、不信感がしだいに募る。もともと友人でも何でもなく、かかわった世界で知り合いとはなったが、こちらにどんなに期待を持たせても、そしてどんなにこころ膨らませても、答えをもらえないとわたしから疎遠になるのも無理はない。そしてこちらの期待とは裏腹に、自分のためには頼みごとをする。それでも覚えていれば時にはそれを棒に振る。

 それでも世の中はちゃんと成果は評価する。人間性などとるに足らない。どれほどお国が褒め称えようと、わたしのこころの中でそれをひっくり返すような事実は消えない。こんなことは世の中にたくさんあること。運が良いか、悪いか、いいや、それこそが育ちなのかも…。

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