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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

和知野へ

2017-03-18 23:41:33 | 民俗学

合戸馬頭観音

 

和知野一石三十三観音

 

和知野馬頭観音

 

 鬼ヶ城の道祖神から和知野川に下る途中に合戸という集落(今は集落と言って良いかは解らない)がある。北向き斜面にある集落だが、谷の正面には阿南町の和知野や平久の集落が南向き斜面に展開する。この道端に写真の馬頭観音が建っている。表情そのものには豊かさはないが、注目は何と言っても台石にある馬の浮き彫り像である。2頭の馬が野を走っるが如き姿は活き活きしている。「弘化四年」(1847)銘がある。

 合戸を下り和知野川を渡ると阿南町和知野である。天龍村でも合戸のような地域は、村役場のある平岡へ出るよりも阿南町役場に出た方が近い位置にある。和知野川沿いの集落から傾斜地を登っていくと和知野中心とも言える四ツ辻に出る。近くに集会施設があるが、その近くの道端に一石三十三観音が建っている。一石三十三観音についてはこれまでにも何度か触れてきている。下伊那南部にはこの形式の石仏が幾例も見られる。井戸寛氏による『日本の石仏』(日本石仏協会)118号と130号に掲載された一石三十三観音のデータについては、「一石三十三観音」に記した。この中にもある「下伊那郡阿南町和知野 路傍(集会所付近)文化10(1813)100×55×25」というものがこれにあたる。このあたりでは5体×6段の上に3体を配置した形式のものが多いが、、和知野のものは6体×5段に3体をプラスした形式のもの。単体の表情はもはやうかがえないほど摩耗している。

 隣に欠損著しい馬頭観音があるが、よくみるとこの馬頭観音は「石仏に彩色するということ[30]」で触れた道祖神や青面金剛のようなごく僅かな彩色痕が見られる。胸部から下体にかけて大事な部分を欠いているため、そこにどれほどの彩色がされていたかはわからないが、下体の下部の衣に彩色された痕が見られるとともに、頭上に彫られた馬頭の耳のあたりにも朱の色が僅かに残る。馬頭からうかがえるのは、表情豊かな馬頭観音であったのではないかと思わせる。本体も上下にヒビが入っていて、針金で落ちないように吊り上げられている。


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