Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

「献体」の先に

2017-12-11 23:15:10 | ひとから学ぶ

 「死後の献体希望者が年々増えている」という記事がNEWS ポストセブンに掲載されていた。都内在住の会社員A氏の言葉は次のようなものだ。

「60歳を前に保険の見直しプランを練っていたら、妻から『高い保険料を払って死亡保障を手厚くするのはもったいない。“献体”なら火葬費用もいらないようだし、考えてみたら?』と冗談交じりに言われました。1人娘にも『私が嫁いだらお墓を継ぐ人もいなくなるし、いいんじゃない』と追い打ちをかけられ、返答に窮しましたよ」

 あまりに献体が増えて、大学によっては保管スペースがなくて登録を制限するようなところもあるという。なぜ増えたのか、興味深くはないか。一説には「東日本大震災後は、『人生の最後に人様の役に立ちたい』という登録者が増えた」」と言うが、それだけではないらしい。「“子供や孫に迷惑をかけたくない”という理由で献体する人も増えている」と言う。そして、負担が少ないから「献体」だという。解剖後の火葬費用は大学持ち。葬られるまですべてお任せともなれば、選択する人も多くなって当たり前。極めつけは「大学の用意した納骨堂が満杯になり、遺骨の引き取り手がいないと献体登録できない大学が多く」なったという。ようは遺骨が邪魔だといわんばかり。

 わたしも遺骨などという厄介なものは、いずれ消滅しても良いモノという意識が高まるのではないかと思っていたから、この現象はわたしのイメージを裏付けるものとなっている。もちろんあくまでも増加しているという程度のもので、世の中の遺骨に対してのイメージが大きく変わりつつあるとまでは言い切れないだろうが、遺骨をゴミのように捉える人もいなくはないだろうし、もっと言うと遺骨に故人の面影をイメージする感覚は、むしろなくなっていって良いとわたしは思う。葬儀はもちろん、墓の捉え方は、いずれ大きく変わる、そう思う。

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