Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

手の届かない川

2006-08-24 08:06:04 | 自然から学ぶ
 生家を訪れた際に、久しぶりに近くを流れる与田切川に行ってみた。10年余ぶりの子どものころ遊んだ場所である。行ってみて驚いたのは、かつては堤防上にあるダンプ専用道路からさほど低くないところに流れていた川が、5メートルほど低いところまで下がっているのである。そんな低いところを流れるから洪水が出ても堤外地に生えている柳やニセアカシアを流すこともなく、幅広い川の真ん中の低いところを水は流れていて、その周辺の河川内は林のように木がいっぱいである。わたしが遊んだ35年ほど前は、河川内に木はあっても中州のようなところに柳がある程度で、石がごろごろしてイメージとしては、「白い川」という風景だった。今や川というよりは荒地、あるいは山という印象さえある。

 よく遊んだ家の横あたりから少し下ると、昔からそこに農業用水の取水があった。考えてみれば川底が5メートルも下がってしまっているのに、取水はどうしているのだろうか、そんなことを思ったが、もう少し下って下流の様子を見に行った。吐き出しといわれる天竜川との合流点近くまで下ると、河床は昔とさほど変わりはない。確かに河川整備が行なわれ、上流で石の流下などが抑えられるようになって、荒れなくなったということなのだろう、やはり河川内に木々が密集している。木が目立つから、かつてより川幅が狭いという印象もある。

 10年余ほど前に訪れた際にはそれほど河床の状況が変わっていなかったのに、なぜこれほど河床が下がったのだろうと、再び上流に移動してみると、200メートルほど上流に先ほどの農業用水の取水口が造られているのである。その取水口は写真のようにコンクリートで堰堤を造ったようなもので、いわゆるコンクリートの頭首工が造れたのである。おそらく少しずつ河床が下がっていくうちに、水が取れなくなり、堰上げ式の取水口が造られたのだろう。その当時はこれほど河床は下がっていなかったのだろうが、これだけ急流だから洪水時にコンクリート堰堤の下に水がたぎり落ち、ますます下流側が掘られて河床が下がってしまったのだ。下流側に造られた護岸の根が出ていることからもそれはわかる。

 自らこういった事業に関わっている者として、複雑な思いでもある。我が家の農地に引く農業用水の取水工ではないが、常に遊んでいたころは、その農業用水の取水上は、河川内の簡単な維持管理程度で取水できていた。そして維持管理された堤外の簡単な土水路をまたいでは遊んでいた。堤外の土水路は、川が下がってしまったことから、木々の生える藪の中になってしまい、そこから少し上ったところでいきなりコンクリート堰堤となって取水されている。堰堤を造ったから河床は下がった。いずれもっと下がってしまうようにも思う。手の届かないところに川が行ってしまった、そんな思いなのである。

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