Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

牧ケ原橋

2017-05-18 23:45:19 | 信州・信濃・長野県

 昭和56年1月19日信濃毎日新聞朝刊に掲載された「道-新たなアングル」の51回目は「沖田・牧ケ原線」であった。昭和55年1月9日に始まった同特集は毎週日曜日に以後掲載されてきた。「新たなアングル」と副題からは新しい道、あるいはそうでなくとも地域に期待されている道を取り上げて1面(実際は2/3)を利用して特集を組んでいた。そういえばと思い出すのは、かつての信濃毎日新聞は、こうした1面を利用して特徴ある連載を継続することが多かったと記憶する。そしてそんなかつての特集記事を思い出すと、今の紙面にはそうした特集が見られないようにも思う。魅力がなくなった一因かもしれない。

 わたしの過去の記憶はすでに遠ざかっているが、こうした古き記事を取り残したのは、社会人になったころの昭和50年代後半から昭和60年頃までのこと。同じことは残されたフィルムからも本日記ではたびたび資料として利用される。言ってみれば社会に反発して、多感な時代だったからこその残骸だ。しかしながら当時の思いを記録から読み取ることができないのは、今のように一定の文字で綴っていないからだ。そう思うと、今はまだ心に余裕があるということなのかもしれない。

 さて「沖田・牧ケ原線」、3月彼岸に訪れた〝町(大草)の数珠回し〟が行われた場所が「沖田」であって、ここから天竜川対岸の牧ケ原へ渡って、国道153号線まで続く道路を指しているのだと思う。かつて「台地の新興住宅地」で扱った写真の右手奥に写っている橋が、この記事の主役である「牧ケ原橋」である。もちろん深い谷は天竜川。釜淵峡の上を一気に渡る橋で、西側は昭和33年8月に合併するまでは片桐村、東側は南向村だった。これほどの大河を挟んだ地域が合併するからには相応の将来への構想があったただろう。ちなみに天竜川を挟んだ地域がひとつの市町村を編成している市町村は伊那谷にはたくさんある。しかしながらそのほとんどは川西にもともとの中心があり、今もってその中心は川西に存在する。あえて言うなら伊那市が、伊那町から市役所が川東に移転してマチが川東に展開するようになったかもしれないが、まだ川東を「中心」だと意識している人は少ないだろう。それ以外ではもともと中心が川東だった天龍村と中川村のみが川東に合併時に中心を置いていた。天龍村は現在も川東が中心となっており、その地位が逆転していることはないが、中川村については明らかに川東から川西へ中心が「動いた」村と言える。役場に限って川東に今も置かれているが、それ以外のほとんどの公共施設も、そして人口も川西の比重が高くなっている。かつて両岸にあった小中学校も、今は「台地の新興住宅地」で触れた写真の左手「牧ケ原」に統合されている。そのほか文化センターや図書館、歴史民俗資料館など主だった施設はすべてこの牧ケ原に集約されている。それをなし得た要因が、すべてこの「沖田・牧ケ原線」だったのである。まさに信濃毎日新聞のこの特集に取り上げられるべく典型的な新たなアングルの「道」だったといえる。これほど深い谷に挟まれた両村が合併する中で、ふたつを繋ぐまさに架橋だった牧ケ原橋。完成したのは昭和53年だった。わたしがまだ高校生だった時代。当時わたしの同級生には中川村出身者が4人ほどいただろうか。そしてそれぞれの地区にあった中学の出身者がいたのである。当時は人口からみればまだ川東が多かった。記事によるとこの永久橋の架橋の前につり橋を架ける計画があったという。幅2.5メートルの鋼製橋で現在の橋と同じくらいの橋長だったのだろう、かなり具体的なところまで進んでいたというが、村民から「そんな程度の橋では川の東西の村民の一体化に何の役にも立たない」という考えがあって実現しなかったという。その数年後だという、現在の架橋が現実となったのは。記事の中では「東西の懸け橋」という表現もしている。橋による懸け橋なくしては両村の合併はあり得なかっただろうが、実際にこの架橋が実現するまで合併から20年ほど要している。それまではそれぞれの対立が激しかっただろうことは容易に予想される。

 とはいえ、かつてこの村で聞き取りを行ったとき、まだ合併する以前の村に生まれ育った方たちから、この深い谷を下って渡る場所があって、対岸に行った話を聞いた。上流は昭和8年に架けられた「坂戸橋」、下流は昭和35年に架けられた「天の中川橋」(平成21年に架け替えられた)と、それぞれの村を結ぶには離れすぎていた。なおかつ当初の天の中川橋は通行料を要した時もあったという。とりわけ洪水による災害を被ることも珍しくなかったこの地域にあって、天竜川を克服することこそが「ひとつ」なれる優先課題だったとも言える。これほど地域にとって比重の高い橋は、ほかに例を見ない。

 ※牧ケ原橋から見た南駒ヶ岳

 

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