Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

母のもとへ

2017-06-18 23:27:02 | つぶやき

 毎週土日のどちらかに母の入所している特養を訪れる。以前にも触れた通り、以前入所していた老健とは大違いで、土日といっても静かなもの。老健では休日といえば催しのようなものがあったから、騒々しいくらいに賑やかだったし、表現すれば活気のようなものがあったのかもしれない。ところが母はそれが嫌で、とりわけ耳に障るようなうるさい場所を敬遠する方だった。そこへいくと今の特養は、まるで静かなもので、まさに「墓場前」のような陰気臭さが漂う。それも仕方のないこと、と理解はしているが、どこの特養でもこうなのか、それとも母が入所しているところに限ったことなのかは定かではない。いずれにせよ静かな環境は賑やかだった老健時代よりも合っている感じはするのだが、復活に向けた取り組みがないだけに、身体が弱っていってしまうのは否めない。ほとんど会話もしない同居人たちに、盛んに話しかけているのかどうか、わたしが訪れる際には、周囲に座っている人から聞いた話を聞かせてくれる。食事の際に隣に座る女性は、わたしが訪れるといつも共同空間で椅子に座ってテレビを見られている。以前お茶の時間に母とともに近くに座ったわたしに、興味深く反応された。ほとんどの入所者は入所者の家族が訪問していても反応を示さないなか、彼女はわたしにいろいろ話しかけてきた。とりわけ隣に置いた人形と会話をしながら、わたしにも人形が語ることばを解説してくれる。けして痴呆があるというふうでもないが、彼女にとっては隣に同居している人形が、唯一の家族のような存在だ。わたしにいろいろ聞かせてくれた話の内容から、彼女は自立して歩行ができ、さらにベランダに出たり、階段すら降りれるようなことを口にされた。入所者のほとんどは自立して歩行できない人たちの中で、介護度という観点で予想すると、介護度3には達していないのではないかと思うほど、ほかの入所者とは違う。

 必ず背を向けてテレビの近くにいた彼女が、今日も同じようなポジションに姿を見せていた。「いつもと変わらない」そうわたしには見えたのだが、今まで女性しか見えなかった空間に、ひとり男性の入所者の顔が見えた。よく見ると共同空間の机の並びが今までと違う。違和感をもって母を訪れると、隣の人に何か変なことを言われたようで、場所を変えて欲しいともめたようだ。そこで今までの母のポジションが変わった様子。違和感は母のせいだったのだと気づく。こんなことを繰り返しながらも、母はこの空間でしだいに身体が思うようにならなくなっていく。訪れるたびにわたしは「動かないとだめだに」と繰り返すが、本人も重々承知ながら、あそこが痛い、ここが痛い、と言い訳をしながら身体の変化に同調している。何よりまったく痴呆性がないのが救いだが、耳がよく聞こえなかったり、目がよく見えなかったり、と必ずしも痴呆性がまったくないとは、家人(兄や義理の姉)すら思っていない。

 特養に入所来、ここで母を訪れた人と訪問時に顔を合わせたことは一度もない。それだけ家人も老健時に比べると足を運んでいないということ。そんななか、今日は駐車場に着くと声をかけられた。前の老健にいた際に世話にもなっていた介護士をしているいとこだった。母のところを訪れていたよう。しばらく立ち話をして母の様子などについて語った。わたしたちも母をなかなか外に連れ出すことができなかったのだが、いとこが外出させたいと言ってくれた。母がなかなか身体を動かしていない様子を見てのことなのだろう。周囲に介護の必要な年寄りばかりで、思うようにならないこちらの環境を見かねてのことなのだろう。もちろん申し出を断る必要もなく、快くお願いしたが、今は親戚筋と顔を合わせると、こんな苦労話ばかりが会話のネタである。

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