Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

「池の名前と村の記憶」②

2016-10-18 23:29:57 | 民俗学

「池の名前と村の記憶」①より

 安室氏は「一つの池でありながら、共時的または通時的に複数の名称を持つ池が多数存在する」と指摘されたわけであるが、まずわたしの生業(ここでいう生業は、仕事上と農業上というふたつの経験値をいう)の中で接するため池の周辺をうかがってみる。

 ため池に限らず農業用施設の名称には固定していないものが多い。なぜかと言うと、そもそも小規模な施設に対して特別な呼称持ち得ていないという事実がある。ここ数年来飯田下伊那地域のたくさんのため池を見てきたが、「このため池の名前は何というのですか」と聞いても「特別な名前はない」という回答を得ることはしばしばあった。安室氏の記述の中にも登場するが「○○さんちの池」なんていう話もけっこう多い。そもそもため池の成り立ちはさまざまだ。以前にも触れたことがあるが、ため池が上流にあることに対して、今なら危惧される方も多いだろう。とりわけ東北の大震災ではため池が決壊する事例もいくつか見られた。したがって自治体もその危険度に対して敏感になってもいる。とはいえ意外に地域住民には無頓着な人も多いが、ところによってはその危険性を指摘するような人びともいる。当然のことながら決壊したら下流域に暮らしていると危険だ、と思うだろう。実際のところ巨大なため池と違って小さなため池の場合貯水量も少なく、その水が流れ出したとしても、河川などの洪水のような被害を与えることはよほどのことがなければないだろうが、直下に暮らす人たちにとっては不安があって当然だ。ということで、今の世にため池を造るともなると、周囲の理解を得るのが大変だろう。したがってあまたあるため池が造られたのは、かなり年数を遡ることになる。今でこそ水利組合などの共同利用、共同所有というため池も多いが、小さいものには個人の土地に造られたものも多く、小さいだけに今では利用者が減って、結果的に地権者の所有物のように捉えられているため池も少なくない。そして、来歴をうかがっても地権者ですらはっきりせず、地権者が故に「自分の家のものなんだろう」と答えられる方も少なくない。しかしながら、ため池の下流にある水田の地権者から推定すると、一時的には共有されていた施設だった時期があったはず。でなければ当時の水利が説明できないからだ。繰り返すが今となってはほとんどの水田が放棄され、水利組合も消えてしまってため池だけが形だけ残った、という事例も見られるのである。そうしたため池の呼称など、近在で聞いて回っても誰ひとりとして答えられないし、もし答える人がいたとしても、それが本当のため池の名前なのかもはっきりしないのである。

 仕事上でため池を一覧化する際に、当たり前だが最初に掲げられるのは「ため池名称」である。これらは戦後に作られた「ため池台帳」に記載されたものを踏襲していくのだが、時には、あるいはその時々の自治体の担当者によって名称は微妙に変化することもある。ようは「調べに行って名前を確認したら○○と言われたから」と変えられる。しかしながら、あくまでもその時に対応してくれた地元の方が「そう言ったから」というもので、もしかしたらその名前はその方だけが抱いていた名前なのかもしれないのだ。そしてさらに厄介なのは、調べた人がそれを真に受けるか、それとも従来のままにしておくか、という選択肢が生まれる。ようは共時的名称も必ずしも一定時期に再確認されて再編される、というわけではないということになる。いずれにしても、小規模なため池にはまともに名前がないものも多く、行政が一覧化する際に付けられた名称が、逆流して地域名称に固定するということも珍しくない。井水においては比較的名称が固定化するものの、ため池においてははっきりしないのは、ため池の水利により衰退が著しかったためといえるだろう。

続く

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