Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

たかが「クオカード」、されど・・・

2016-10-14 23:32:53 | ひとから学ぶ

 今でこそ「そんなことするわけないだろう」と思うようなことを、昔は当たり前のようにやっていた。昭和時代の終焉とともに無くなったのは、食事の提供だ。たとえば国や県の職員が、地方の自治体へ訪れると、昼になれば食事が提供され、夜まで仕事が延長されれば、もちろん夕食が提供され、もっといえば仕事が延長しなくても宴会が開かれ、迎えた側がその費用を負担するようなことはよくあった(どこの自治体もそうだというわけではなく、田舎の小さな村ほどそういう傾向があった)。もちろん民間では「接待」といって現在もある程度行われているのだろうが。これは逆に自治体同士で行っていたから、必ずしもお上ばかり提供を受けていたわけではない。こうした食事の提供があったからこそ、地方の小さな村の食堂も潤ったのだが、平成になるとそういう潤いはまったくなくなった。小村の食事処が傾いたのは言うまでもない。それだけではなく、村の活気も失われた。もちろんそれをもって村が活気づいていたのが正当かどうかには異論もあるだろうが、いずれにせよかつては税金によってそれぞれが支えあっていたと言ってもよいのだろう。

 この変化と同時にコンビニ全盛時代が訪れた。食事の提供がなくなれば、自ずと自費で食事をとることになる。すると安く済まそうと思えばコンビニのような存在が求められる。何といっても昼時にコンビニの駐車場が溢れんばかりの今の姿を見れば、時代性だけではなく、食堂に向かわなくなった客がそれを支えているのも事実だろう。

 妻は「せっかく行ったんだから」と言ってその地域で知られる飲食店に入ることを薦めるが、そもそも常に外食をしていて、そういう意識で食べるところを選択しないかぎり、今はなかなかどんな飲食店があるかすら頭にない。記憶にあるところ、いわゆる行きつけの店以外に足を運べるところにない。その証に、先日の小布施行きでも、仕事に追われて昼はコンビニ弁当で短く済ませた。余裕のないところに、こころの余裕も育まれない。そういえば、かつては出張すれば日当が支払われた。ふだんは弁当持参なら、出張が多いと安給料の出費が気になったものだが、日当が補完してくれた。

 『生活と自治』(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)の9月号の「数字を読む」という連載に、“「1185600円」それくらい見逃してくれよ”という記事が掲載されている。ホテルや旅行の検索予約サイトにコンビニで使える千円分のクオカード付きプランがあるという。宿泊費にそれが上乗せされているから割安でもなんでもないのに、こんなもの誰が利用するのかと思ったという。ところがこれをサラリーマンが出張時に利用するんだと。ようは出張では交通費と宿泊費が実費で支給されるが、出張手当が出ない会社が多い。出張で泊まるとなると、弁当持ちというわけにもいかないから、自ずと外食になって出費が嵩む。「最近は出張先で接待もなし、旅先の名物も縁なし。クオカードを握りしめてコンビニ弁当と缶ビール1本を買って、狭いホテルの部屋で食べるんだよ、わびしいもんさ」と。領収書に「宿泊費」とだけ書いてもらえば、上乗せされたクオカード分も支給されるというわけだ。まさに「わびしい」というかわずかながらの補填なのである。何の価値もないだろうと思われるサービスなのだが、それを望む人々がいる寂しい話だが、シビアすぎる世の中に喘ぐ姿かもしれない。ところが先ごろ東京都知事を辞めた方、パリ・ロンドンに出張して118万5600円も使って当たり前だと考えていた。クオカードの千円にこころを奪われるサラリーマンとは次元が違うようだ。

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