全回取り上げた木下19号の南50メートルほどのところに系統二つ目の分水工がある。幹線水路から直接吐き出された上流側水槽で2方向に分水されて、すぐさま再び2方向に分水されている。田んぼごとに東西方向に支線水路が流れていて、水路の密度がとても混んでいるのがこの木下19号甲の系統である。箕輪町の最南端にあるこの分水工から排水された水は、隣接する南箕輪村との境にある小さな沢を形成して段丘を降りていく。北沢川と呼ばれているが、そもそもが段丘崖の湧水と、西天竜の余り水が作り上げている沢だから水量はとても少ない。段丘崖には人目にはなかなかつかないが、わさび畑が谷の中に広がっている。南北に凹凸のある地形のため、一つの水路は南側だけ、あるいは北側だけを掛けるという具合に専用水路になってしまい、水路の密度を高くさせている。前回も触れたように『西天竜史』によると、19号甲における灌漑面積は14ヘクタールとあるが、現在は10ヘクタールほどに減少している。
上流側の分水工と形はそっくりであるが、微妙に大きさは異なる。前回触れなかったが、その分水工にもこの分水工と同様に水槽内に隔壁があったものの、側面から水槽へ導水するように変更したためか、その隔壁は壊されていた。前回と同様に上が東である。二つとも北から流れてきた水を東(流れに対して左に曲がる方向)と南(流れの方向)に分水するものである。西天竜の広域な水田地帯をくまなく歩いていると、このタイプの分水工がけっこう現存している。いわゆる幹線水路の脇だけを歩いていた当初には認識していなかったものを最近いくつも発見している。「円筒分水工」の本来の構造とは異なるものの、微妙な水量調整が簡単にできるシステムは、この地に適した施設と言えるのだろう。
堰窓は高さはすべて15センチであるが、幅15センチのものが5個、22センチのものが1個、23センチのものが1個の合計7個である。ここまで多くの分水工を見てきたが、堰の窓が多ければ必ずしも灌漑面積が多いというわけではなさそうだ。勾配の緩やかな水路には窓が多く、急な水路には窓が少ないという印象がある。まだ印象という程度で明確な数値では表せないが、さらに堰高によってもそのあたりが制御されていると思われる。ただし水槽の老朽化や、補修によって手が加えられていて、計算されてそれらが意図通りに造られたかどうかは今では判断が難しい。
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