Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

衰退を思わせるとき…

2017-04-19 23:31:04 | つぶやき

 この4月14日発行の『日本の石仏』(日本石仏協会)が送られてきた。第161号を数えるが、冒頭の巻頭随想において会長の坂口和子氏が「四一年目の始まりに寄せて」を寄稿している。その中で41年目に入り、これまでの活動を少し縮小するという。何といっても季刊であった『日本の石仏』を年に3回へ変更することだろうか。わたしも含めて多くの会員は購読会員に近いと思う。したがって機関紙の発行が減るということは、そのまま活動縮小という印象を受ける。今号の目次を見ても、講演録に加えて2編の論文や調査報告のみ。ここから投稿論文の減少がそうさせたのか、と思わせたのだが、随想には「会費収入だけでは現在の季刊誌を年4回刊行することは難しく」と、予算上の都合というのが表向きのよう。本会ではずいぶん昔から賛助金を募って会運営を補っていた。もちろん賛助金をしたことのないわたしが言う必要もないことだが、同好の人々の集まりであるならば、予算は会費収入によってなすべきもの。寄付を募ってずっと運営してきたあたりに無理があったのでは、と少し思ってしまう。

 福澤昭司氏はブログで「原稿が足りない」と嘆いておられる。長野県民俗の会と信濃史学会、その両方の編集をされているなかで、どちらかといえば前者を優先させて編集を組み、後者は会員にこだわらず、若手中心に依頼原稿で組んでおられる。40号という記念号を発行する長野県民俗の会の方に、今年はより重きを置かざるを得ないなか、後者の民俗特集号への原稿依頼が思うようにいっていない様子。そもそも発効日が前者が早く、後者が遅いというタイミングも、後者に悩みがつきまとう結果となってしまう。会員減少という流れはいたるところのこうした研究会につきもので、仕方ないことではあるが、とりわけ初期の『日本の石仏』にくらべて、今のそれの文字数はあまりにも少なくなった。前述したようにほぼ購読会員であるわたしにとって、この後高齢者の仲間になったとき、真っ先に整理せざるを得ない会になることは確かかもしれない。そうした流れを紡いできた『日本の石仏』のように思う。

『長野県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 賽の川原 | トップ | お花見 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL