Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

かつての拠りどころ

2018-01-31 23:48:13 | 農村環境

 

 かつて「顔の削り取られた六地蔵」を記した。もう10年も前のことだ。現在の農村ではまさに「十年一昔」、以前は10年などたいした年月ではないと思っていたが、今は違う。10年前のものが無くなるのは少しも珍しいことではないし、人も変わる。とはいえ、かつての「顔の削り取られた六地蔵」で触れた伊那市新山上手の空間は、今も少しも変わっていない。あえて異なるといえば、当時の松が、だいぶ枝張りが大きくなってきたということだろうか。ここにはかつて立派な太い松があったという。年老いた松にありがちな、幹に空洞できてしまい、その中にアカバチが巣を作ったという。その巣を採ろうと、誰かが煙幕で燃やしたのだろうか、それがせいか松はますます弱っていったという。そして平成になっての時期外れの4月の大雪があった際に、枝が折れてしまってすっかり弱ってしまったという。それを伐採したわけだが、先代の松の種が既に小さな芽を出していたらしく、地域で大事に守っていたら、その松がもうこんなに大きくなっているのである。地域の象徴的な松ともいえる。

 周囲を道がぐるりと囲んでいて、以前にも触れたようにかつてはここがバスの回転場となっていたという。もともと道の真ん中にあった空間ではなく。北側(写真の左手)にはかつては道がなかったという。崖になっていて、その下には田んぼがあったという。この辻から上を上手上といい、下を上手下というふたつの集落になっている。宝蔵はふたつの集落の共有のもので、上手で葬儀があれば、この中に納めてあったお膳など客呼び道具を使って葬儀を行ったという。もちろん今は自宅で葬儀をする家はないので、もう何十年も使ったことはないという。葬列の道具も納めてあるのかと聞いてみたら、それは上新山全体で共有していたといい、上新山の宝蔵に今も納められているというが、もちろんこちらももう何十年も使われていないはず。

 上手ではかつて豆腐を自家用で作っていたといい、製造する建物があったという。別の場所にあったが、後にこの宝蔵のある空間に移されたと言うが、それも今は既にない。もっと言うと、今は辻の上にある消防のポンプ小屋は、この空間の写真で言えば手前側にあったという。いずれにしてもこの空間が上手の中心であったことに間違いはないのである。写真手前のあたりに広場があって、子どもたちが集い遊ぶ空間だったという。今もって中心であることに変わりはないのだろうが、高台の石神・石仏に対する信仰は、見た限り無いといってよいのだろう。中心ではあるが、心の拠りどころとしての存在価値は、すっかり落ちてしまったようだ。


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