Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

スコップで耕すひと

2016-10-13 23:43:44 | 農村環境

 

 先週小布施町を訪れた際、りんごが赤く色づき始めた果樹園の脇で、お年寄りの女性がスコップで畑を起こされていた。近くにほかに農具はなく、女性はスコップで畑をすべて起こすつもりなんだろう。ミニトラでもあればすぐに起こし終えるスペースなのだが、これではなかなかはかどらないだろうと思いながら、横を通り過ぎた。果樹園が主体の小布施町においては、畑が少ないわけではないが、それらは自家消費用の野菜などを作っているのがほとんど。もちろん自家消費用だからお年寄りの力なくしては、なかなか畑には実がならないということになるのだろうが、起こすのぐらい誰かやる人がいないのか、なんて思ったりもする。そもそもスコップで耕起をするなんていのうも道具違いのようなもの。

 ここは先ごろから記している延徳田んぼの続きで、集落に近い方は転作された水田が多い。西側には延徳の水害によって移住者が多かった矢島集落がある。9月の上旬に訪れた際に「広い延徳田んぼの中で、稲刈りを終えた水田はひとつもなかった。まだまだ青々としている水田も多い。(中略)我が家も稲刈りにはまだ早く、まだ水を掛けているような状況だが、さすがに延徳田んぼの用水路には、どこもかしこも一滴も水は流れていなかった。水を止めるには少し早いんじゃないか、そう感じた。」と記したのだが、その理由が解った。この広い延徳の田んぼは、すべて千曲川と篠井川の合流するあたりからポンプアップして用水を供給している。したがっていつまでも水を流すとそれだけ電気量がかかるというわけで、早いうちに水は止められてしまうようだ。歴史上水害に悩まされてきた地域ながらも、必要な用水はやってこない。ようはいらない水はくるのに、必要な水はないという空間。まさに水で苦労されている地域と言ってよいのだろう。そもそもかつては沼田だったから今のような用水量はいらなかったかもしれない。今秋は雨続きで水田がぬかってしまって稲刈りができないでいる、ということを何度も記してきたわけであるが、そんな条件が稲刈りが目安になったのはそれほど古い話ではない。そもそも沼田だった時代なら、水田の状態にかかわらず稲刈りがされただろう。我が家にもそんな沼田がかつてあったが、手刈りの時代だったから、苦労はしたが、ぬかっているのは当たり前だった。ところが今は人手は機械に委ねられたから、水田の状態が気になる。水を止めたら、すぐに乾いてくれるような水田が好まれる。今の延徳たんぼは、まさに水を止めると乾ききった印象があるが、水が流れているとそのイメージは一変する。嘘のような昔とは違う光景だろう。

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