Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

丸彫り青面金剛

2014-11-03 23:54:53 | 歴史から学ぶ

 

 彩色された石仏に注目しながら訪ねているせいもあるが、とりわけ最近は青面金剛を見るたびに車を停めて様子をうかがうことが多い。先日大鹿村鹿塩の西という集落を訪ねたのは道祖神目的だったのだが、道端の祠の中に珍しい青面金剛を認めた。はじめは青面金剛とは思いもしなかったのだが、それは丸彫りだったからだ。丸彫りの青面金剛を見た記憶は写真ではあるが実見したのは初めてだったのかもしれない。いや中川村の銭で一体拝顔したことがあったことがよみがえる。このあたりには事例は少ないが、丸彫りの青面金剛が何体かあるようだ。竹入弘元氏も『伊那谷の石仏』の中で「丸彫りの庚申塔はそう多くはありませんが、何故か東部の山村に見かけます」と述べている。

 像高69センチの像はのっぺらとした顔の表情で、彫りとしては稚拙といってもよいだろう。女性風の顔立ちで、これをもって青面金剛とはなかなか思えない。「寶永六己巳五月吉日」とあり、1709年建立のもの。中川村銭の丸彫り青面金剛もそうであるが、一面四臂で持ち物も右1手に宝珠、右2手に数珠(竹入氏は蛇としている)、左1手に剣、左2手に索と同じである。銭のものは享保12年に建立されたもので、1726年と西のものが建立されたほぼ17年後である。同じような丸彫りの青面金剛は大鹿村大河原の中尾にもあり、これもまた稚拙な彫りで持ち物も同様だ。建立年代は不詳である。いずれも像容が似ていることから、西の例をまねて彫られたものなのかもしれない。中尾のものも、また西のものもいずれも裸足である。

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3 コメント

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Unknown (うおちゃ)
2017-06-02 08:18:36
初めまして。
友人から御ブログを教えられました。
紀年銘が「寛永六己巳五月吉日」とのことで、驚きました。
手持ち資料「続日本石仏図典」によりますと、刻像青面金剛の最古は福井県にある正保4年となっており、大鹿村の丸彫り青面金剛については掲載されていませんでした。
「図典」は平成7年の刊行で、この10年間に各地での調査が進み、情報は年々更新されているため当該青面金剛が日本最古となっても不思議はありません。
ただ、紀年銘の写真などがありましたら是非拝見したいと思い、コメント致しました。
Unknown (うおちゃ)
2017-06-02 11:12:02
上記コメントを削除できませんので追記します。
大鹿村の教育委員会にも問い合わせたところ、寳永を寛永と読んで資料に掲載したことが判明しました。
したがって正確には寳永六己丑五月吉日であり、1709年の作となります。
おわがせ致しました。
指摘ありがとうございました (trx_45)
2017-06-02 12:51:04
本文も訂正させていただきます。

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