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地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

「池の名前と村の記憶」⑤

2016-10-24 23:44:19 | 民俗学

「池の名前と村の記憶」④より

 安室氏は山口県防府市大道にある行政上で「明昭池」「西西金寺池」と言われるため池に関連して、「「新池」や「旧新池」がどうして生まれたかといえば、その地域に元からある溜池に対して築造の歴史的前後関係を示す必要があったからだと考えられる。地域住民にとって、水利の歴史を示すものとなっており、それと同時に水利に関する諸々の権利を再確認させる働きもしている」と述べ、名称がため池の歴史を伝えるとともに、権利関係をも示しているという。そして「こうした水利慣行についてはむしろ明文化されることの方が珍しく、巨大溜池においてでさえ文書記録として残るのは何か問題があったときの交渉事や届出そして紛争に関連することかほとんどで、日常的な水管理の営みについてはほとんど明文化されることはない。」と述べ、名称は記録装置でもあるという。なるほど明文化されたものがなければ、それを推定する装置かもしれないが、実際のところ明文化された記録がないため池ばかりではない。むしろ戦後の農地解放以降の激変期を経た後、記録を残すようになった例が多いのではないだろうか。

 やはりわたしの稲作空間にあるため池を例にとってみてみよう。このため池には「記録簿」なるものが存在しており、このことは以前「ため池慣行のムラ」と題して14回に分けて綴った。この「記録簿」の始まりは昭和37年。この年が必ずしも記録の「始まり」であったかは明確ではないが、冒頭の書き出しを読んでも継続している記録とも明確に判断できなかった。この「記録簿」は昭和37年5月2日に行われた受益者による総会記録から始まる。冒頭に協議事項が8項目箇条書きされており、そのあとに当番者名が数年にわたって記載されている。これほど内容濃く記載されている年はほかになく、そういう意味ではこの年の総会が、ため池の受益者にとって重要な位置づけだったことがうかがえる。ようは規約とは記載されていないが、それに代わる基本事項が箇条書きされたと思われる。当時は5月に「井ざらい」が実施されていて、箇条書きの中にも「井ざらい」の実施時期が定められている。ちなみに現在も地域で行われる「井ざらい」は、本ため池に関わる受益者のみによって実施されるものではなく、いわゆる集落単位で行われる「井ざらい」である。かつてため池に関わる水路が「井ざらい」されてのに現在行われていないのは、「ため池慣行のムラ」にも記した導水路のパイプライン化があったからだろう。もちろんその工事の内容についても詳細に記録がとられており、請負で工事業者に施工を依頼したのではなく、自分たちで冬季間に工事を実施している。数百メートルというパイプラインを自ら実施したという事実は、当時らしい背景があったのかもしれない。何より底樋管を鞘管にして中に塩ビパイプを設置しているが、内径500ミリ程度の管に潜って管を挿入したのは当時受益者で最も若かった者だったといい、今もって当時の施工話をたびたび口にされる。

 昭和37年に始まっている現在の記録簿は、今もって継続され当番に引き渡されている。年によっては当番の名前だけが記載されている年もあるが、「ため池慣行のムラ⑥」に示したように、記録にはツボの収穫量が記載された年もある。ちなみに、先日実施した“ツボ採り”がはじめて記録に登場するのは昭和55年のこと。二つ連なっている下流側のため池にも同様の記録簿があって、当番に引き継がれている。

続く

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