Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

納骨の際の違和感

2017-03-05 23:38:15 | つぶやき

 先ごろ義父の四十九日の法要があった。このごろは当たり前になっているが、この際に納骨をする。墓石下のカロートに納骨室があってそこに納骨するわけだが、以前にも触れたが、生家のお寺は納骨する際に骨壷から遺骨をあけて納骨することにこだわっていて、納骨する際に檀家ともめたこともあったという。妻の実家のあたりでは骨壷さら納骨するのが当たり前となっていて、納骨の際にはカロートに骨壷さら納めるわけなのだが、今回は25年ほど前になくなった義父の父の遺骨が先に納められていて、義父の骨壷を入れるには窮屈。そこで先に納められていた骨壷の遺骨をカロートの中へあけて、今回の納骨となったわけであるが、てっきり今回の遺骨もあけて納めるのかと思いきや、そうではなく、以前の遺骨をあけた上に今回の骨壷を納めるということになった。どうせ次の納骨の際に骨壷からあけるのなら、この際にあけてしまえば良いと思っていたのだがそうはならなかったのだ。ちなみに今回は、前に納められていた骨壷から遺骨をあけたのはわたしだった。何十年も経っているというのに、骨壷に納められていると、遺骨は火葬をしたときと変わらず骨壷の中から姿を現す。ようは骨壷に納められていると「土に還る」とはほど遠いというわけだ。だからこそ、以前の遺骨をあけた者としては、今回のものもすぐにあけてしまえば良いと頭には浮かんだのだ。

 とはいえ、カロートの中にあけたとしても、果たして土に還るものなのか、とその時に思った。ようはカロートの中は石で囲まれていて、土の中に埋葬されるというのとはちょっと違う。おそらく降った雨などがしみてきて骨壷の中に入れたままの状態とは異なるだろうが、それでも土に埋めているわけではないから土に戻るのは果てしなく遠いという感じ。ましてやカロートの中の底が土になっていればともかく、石の中に納めていれば風化するにも容易ではない。これではかつての土葬のように「土に還る」埋葬とはかけ離れているというわけだ。いつまで経っても骨の形が残る今の墓石の形態が正しいものなのか疑問が湧いてくる。この構造になってもう長いのだろうが、実際に墓を持つ人々からその疑問の声が聞こえないのが不思議だ。

 そう思ってウェブ上で検索していると、カロートを設けず、遺骨を石塔の下、もしくは墳墓に埋葬する墓地形式もあるという。その目的はわたしが感じた通り、早く遺骨が土に還り自然に還るようにというもの。そもそも骨壷のまま墓石下に納めるくらいなら、ずっと身近においておいてもなんらかわりがない。故人が忘れられないと思うのなら、わざわざ納骨することもなくなるというわけだ。むしろ納骨する、という行為からみれば「早く土に還って欲しい」と思うのが普通。だからこそ今の墓石下カロート構造は、主旨に合っていない、そう思うわけだ。

 妻がそろそろ自分の墓のことも考えておいて、という。以前から触れているように我が家では墓地を持たないことにした。とはいえ実際死を迎えた時のことはまだ考えていない。先ごろの納骨の際の違和感を話をしながら考えたのは、わたしだったら早く土に還る方法をとって欲しい、そう思った。そう考えると今なら樹木葬なのだろうか。


コメント    この記事についてブログを書く
« ひな人形の処分 | トップ | 能力低下 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事