Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

乾麺の蕎麦が美味しくない、というわけではない

2016-03-06 23:31:29 | つぶやき

“本格的な手打ち蕎麦屋が乾麺のそばを出す話はあまり聞きませんが、気軽に行くようなお蕎麦屋さんが、乾麺を使用している可能性、実は少なくありません。お店に卸す製麺屋いわく、機械で製造した乾麺を使っている名店も、意外と存在するんだとか。”

こんな言葉をウェブ上に拾った。たとえば「“熱い”」で触れた蕎麦屋さんは、お世辞にも美味しいと思ったことはない蕎麦屋だ。でもこのあたりで蕎麦屋といったらこの程度の蕎麦屋しかない。「食べなくなった“蕎麦”」でも触れたが、かつて外出すると蕎麦ばかり選んでいた時期もある。もっと言えば遡るとそばで触れたように、成人にも達していなかったころに初めて口にした“富蔵”の蕎麦は、すでに忘れてしまったが美味しさではそれをしのぐ蕎麦に以来出会ったことはない(飯山に暮らしていた時代には毎年末に食べていたが)。もちろん蕎麦そのものに慣れていなかった時代に口にしたから、今同じ蕎麦を口にしてもとびっきり「美味しい」と思うかは別だが(あの農家で食べさせてもらった蕎麦は、もう食べることもできないだろうが・・・)。ようは蕎麦についてはそこそこ味を知っているとわたしは自認していた、かつては。以前にも記したが、金子万平さんという蕎麦通の方がおられる(『信州そば紀行』信濃毎日新聞など蕎麦に関する著書をいくつか書かれている)。金子さんのメモ“「そば通」を目指すなら食べておいた方がいいだろう店、いくつか。”には、県内、とりわけ北信を中心とした蕎麦屋さんが○×△で示されている。現在形のメモで、かつて美味しかったとしても「最近は材料の変化・変質、機械化の進展によって、評価が難しくなった、困った事態です」という具合に、「毎年数回ずつ修正」されている。県内の観光地というところで蕎麦屋さんに行っても、知らないと期待はずれなのが実際。でも、だからといって知識を持っていても、混雑していてなかなか食べられないというのも事実。もちろんこれも「食べなくなった“蕎麦”」で触れた通り、値段と美味しさを総合的に判断すると、わたし的には○にならない店が普通だ。故に“蕎麦”から冷めてしまったというわけだ。

 ところが家ではけっこう蕎麦を食べる。妻がいろいろな乾麺をどこからともなく手に入れてくる。いちいち銘柄をチェックしていないが、最近の乾麺は美味しい。というか、蕎麦屋で一食千円もするような蕎麦を食べることを思えば、乾麺は実に美味しい。冒頭の言葉を並べているページでも、「実は、乾麺だからおいしくないというわけではありません。つまり、生も乾燥も、どちらもおいしい、おいしくないがあるということ! 一般的に、乾麺は、「シコシコとした歯ごたえ」、生麺は、「プリプリとしたみずみずしさ」が特徴になっていますから、まずは、食感の好みで選択するのが良いでしょう。」と記されている。まさにその通りで、乾麺が蕎麦屋さんの美味しいと評されるような蕎麦を越えることはないし、値段を加味すればそれぞれの良さがある。「手打ち蕎麦」の看板を出している蕎麦屋さんの蕎麦と比較して、「こっちの方が美味しい」と乾麺を自宅で食べて思うことは数え切れない程ある。言ってみれば、外食で提供されている蕎麦にこそ、擬い物が多い。付け加えておくが、「つゆにもよるが」。とりあえず我が家では、少し美味しい蕎麦が食べたいと思うと、高森町にある「旬彩館」のお持ち帰り用手打ち蕎麦を買ってきて食べる。もはや、よそへ食べに行く暇もなければ「これが一番」なのである。妻はなかなか外食もままならないが、ここ数年わたしが外食で口にした「美味しい」と言われるどこの蕎麦屋の蕎麦も、これを越えるものはなかった。

 ちなみに乾麺では山形のそば(山形県)が美味しかった。栄村の「福幸そば」も美味しかった。そのほか銘柄は忘れたが、数々あり。

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