Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

できなかったこと

2017-10-30 23:28:59 | つぶやき

 昨日も記したように、記念号に原稿をあげようと思っていたが、実現できなかった。とりわけ「書こう」と思ったのは、これまで宿題にしていたものではなく、ある地域社会の姿からの今後を現わそうとしたもの。先ごろ日本民俗学会年会で唯一聞いた研究発表(危機的集落から見えた答えは)は、危機的集落ながら示したものは前向きな視線の上にあった。いいや、研究者が発表するにあたり、後ろ向きな視点で発表するわけにはいかず、前向きな視点で描いた構想かもしれない。しかし、現在の農村社会には、前向きにはとてもなれそうもない課題を含んでいる。だからこそ、前向きな、そして行政視線でゆけば模範的な方向で展開しがちな農村社会に、必ずしもそいった環境にない地域もあまたあるということをわたしは常々思っている。さもなければ、今後訪れるであろうこの社会の行く末など示せないと思っている。

 先ごろ訪れた集落は、周囲とは一線を画す集落だった。これほど多様化し、例えばそんな人々が会社で生業である仕事場で顔を合わせれば、能力という面で推し量る物差しは地域社会とは違った、素性とは無縁な等しい物差しにかかる。しかし、あちらこちらの集落を訪れると「この違いは、雰囲気は何なんだろう」、そう思わせることがよくある。もちろんそう思わせる景観は、裕福な景観である。そしてそれは自分が生まれ暮らした地域社会との比較の上に成立する。人は自分の見てきたものと「違う」ことに意識し、そして疑問を持つ。そして違う社会ではふつうに自分と同じように飲み交わす人々が、ひとたび家に帰ると、この景観をつくりあげた地域社会の人々とつきあっていく。そのつきあいにはいったいどんなものがあり、また、その地域社会でその人はどう意識し、人々と対峙するのだろう、そんな興味がわく。どれほど無縁化しても、地域社会と無縁というわけにはいかないのが現実。そうした地域社会が形成された背景には、ほかの地域社会とは異なった背景があるはず。もちろん今の世となってはその内面を露わにするような聞き取りはできないだろうし、多様化しているから皆が同じことを言うわけでもない。それでも何らかの地域社会を成す背景が読み取れれば得るものもあるのだろう。

 と、そんなことを思うが、実際のところ興味本位で塀に囲まれた世界に飛び込むことはたやすくない。ということで、とりあえず自分に密接な地域社会の現実を現し、地域社会の行く末を想像してみたいと思った。が、とりあえずこの宿題も来年に持ち越すこととなった。

『長野県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 記録を残す、ということ | トップ | 西陽 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事