Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

捻挫

2005-08-09 08:19:21 | つぶやき
 足を挫いた。捻挫という言い方をあまりしなかったが、挫いた=捻挫だという。草刈り後の刈った草を片付けていて、ちょっとしたことで足を捻ってしまった。捻る、挫くで捻挫だから字のごとくといわれればそのとおりである。妻は、若い頃に捻挫をして、接骨院でさらに捻られて、いまだに足首が痛いという。加えて、わたしの運転していた車に車がぶつかって、むち打ちをしてから、体の調子は常に悪い。したがって、接骨院から外科から整体と、いろいろはしごしているから、その手の医者には詳しい。しかし、いろいろはしごしたが、結果的に最良なところを見つけていない。飯田によい整体があったが、本人が病で、一般患者を受けなくなって、それからというもの、あちこち歩いている。今は、駒ヶ根市にある接骨院に日々通っている。
 さて、わたしがどこへ行けばよいかと聞いたが、そんな状況だから明確なことはいえなかった。捻挫なら一度で治す、と豪語していた地元の整体にも妻は行ったことがあり、そこはどうかといった。ただし、そこは保険はきかない。ほかにもたくさん接骨院などあるが、どことはいえない。近所に聞いてみたら、○○接骨院がよいという話になったが、そこと、豪語した整体とどちらに行くか悩んだが、二週間後に息子と富士山に登る、ということにもなっていたので、一回で治ると豪語する整体へ行くことにした。ところが、そこへ行ってみて、入ったとたんに怪しいと感じた。しかし、怪しくてもなんとかなったらもうけものと思い、治療まで待った。しかしである。やはり、怪しかった。妻も来たことがあるんだから、この怪しさは察知しただろうに、妻の場合は捻挫ではなかったため、「捻挫なら一度で治る」という言葉は怪しいものの、信用してみることも一つの手と思ったようである。結局、帰宅してから、再度妻や子どもが治療に行っている接骨院に行くことにした。あまりに整体が怪しかったため、その後行った接骨院が、すごく立派に見えた。
 世の中、あまたの同様の治療機関がある。昔から「○○がよい」なんて噂を聞きながら、あちこち行く話を聞くが、人によってあうあわないがある。病も怪我もそうであるが、いざとなれば、頼るのは医者やそうした治療院である。なかにはそうした場所でも治らないといえば、祈祷師や神頼みとなる。人の弱みに対しての頼りの綱は、考えようによっては信仰の世界である。帰ってきて整体の診察券をみれば、「診察券」とは書いてない。「会員券」なのである。先ごろ岐阜の方で怪しい事件があったが、つまるところ、信用してそこを訪れるわけだから、信仰なのである。
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