Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

身近なところで探すしかなかった

2017-02-28 23:56:16 | ひとから学ぶ

 倉石あつ子氏は「長野県民俗の会通信」258号(3月1日発行)において、次のようなことを述べられている。

民俗学は生活文化を研究対象とし、そのすそ野は広く、誰もがかかわれる学問で、そこにこそ民俗学の良さがあると思っているからである。したがって、私はむしろ生活者であり、主婦であり、女性であるという立場の視点を失わないように、そしてその視点を活かした資料調査を行い、資料を組み立てることによって論文を構成したいし、してきたと思っている。毎日の私たちの生活の中にはいくらでも問題を発見することができ、問題は無限に転がっている。それを問題とみることができるか否かは、それぞれの人のものの視方と、視かたの訓練によって培われるのではないだろうか。

倉石氏はそうしたスタンスで多くの実績を残されてきた。したがって「誰もがかかわれる」学問とは言うものの、誰にもできないようなことをされてきたのではないだろうか。そして次のようにも述べられている。

さまざまなことを楽しんで視ることを心がけることが肝要であろうと思っている。不謹慎かもしれないが、冠婚葬祭の義理への出席などはその最たるもので、資料を見てくると思えばその義理も苦痛ではなく、むしろ楽しい。写真などは撮れないことも多いが、何かの紙の隅にでもちょっとしたメモをしておき、行ってきたら忘れないうちに文章化しておく。細切れでもよいのでともかく文章化だけしておき、後で、じっくり見直せばよい。そうした作業は、家事のちょっとした合間でもできるので、気分転換にもなって楽しいものである。

 子育てをされながら積み重ねることは、簡単そうで実践しようと思ってもなかなかできないもの。わたしが仕事を持ちながらまったく別世界のことを積み重ねようとするのも、実際のところ身構えてしまっては何もできない。だから日々見えているもの、聞こえているもの、そうしたところから共感するものを拾い上げてメモっていく、でもメモ嫌いというかメモをすることが不得手の者にはそれもままならないもの。仕事上でもメモをし忘れて後で困ることがよくある。そのときはメモもとらず頭の中に入れておけば、と思うのだが、結局時を経て忘れてしまうのだ。日記を書いても3日坊主だったわたしには、忍耐というものが備わっていなかった。それでも何かをしようとすれば、結果的に日々の暮らしから探すしかない。

 あつ子氏のご主人である。倉石忠彦氏も昨年お話をうかがった際に同じようなことを述べられていた。「ともかく民俗は身近にある、どこでも存在する、だからどこでも調査ができるんだ」と。団地の民俗を書いた上田時代のこと、学校は忙しくてなかなか調査に出られなかった。そこで身のまわりでできることを探したら「団地の民俗」になったという。これまた比べものにもならないが、とてつもなく仕事が忙しかった時代にも、けして民俗から身を遠ざけることはなかった。むしろ忙しかった時代の方が意欲があったかもしれない。結局身近でできることで繋がるものを探した。もう10年以上続くこの日記も、ふつうの日記なら3日坊主だったのに、よくも続けたもの。あつ子氏が言われるように、毎日記憶にあるものを少しずつでも良いから、と書き続けたものが積み上がった。ろくなものではないが、ここから拾い上げて原稿化することも最近は多くなった。日記といえば日記だが、メモ帳でもある。このメモ帳は検索が容易だから、過去に書いて忘れていてもキーワード検索で「こんなことも書いていたんだ」と思い起こすことができる。もっと簡単なSNSが流行っているが、書き溜めたものを後利用するにはブログが最も効果的だし、ウェブ上でどなたか書かれていたが、最も他人に検索されやすいツールだ。わたしの性格上の欠点を補ってくれたツールとも言える。


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