Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「軍次」

2017-11-19 23:51:26 | ひとから学ぶ

 先日昭和19年に生まれたという方と話しをした。その方の名前は「軍次」という。どなたがつけられた名前かは聞かなかったが、ものごころついたころから、この名前が嫌で仕方なかったという。「軍を次ぐ」そう捉えられる。したがって生まれが戦中ということは、つけた側にとってみれば、戦争への思いが強かったと考えられる。軍を次ぐような存在になって欲しい、そういう意図があったのだろうか。軍次さんは「戦争に勝っていたならともかく、負けたあとの世に“軍次”などという名はそぐわない」と、その名を重く意識したという。

 当時の同い年の人たちには、同じような名前を持つ人が多かったという。「軍を治める」という意図なのだろう、「軍治」という名前を持った人が身近にいたとも。名前には時代性が現れるのはよく言われる。典型的な事例と言えるが、当時のことを知らないわたしたちでも、「軍」を冠した名前の背景の複雑さはなんとなく理解できる。これほどの例でなくても、きっとつけられた名前で悩む人も少なくなかったのだろう。社会情勢をイメージさせるような名を、あえてつけなくてはならないような社会性。しかし、戦前によくつけられたという「勝」とか「勇」程度の名前ならともかく、戦後排除させられた「軍」を意識する名前は、とうていつけられた本人にとってはなっとくいかないものだっただろう。そう考えると、今流行りの名前には、そうした社会性を帯びたものはないだろう。今は良き時代である、そう言える。


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