Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

同窓会

2017-05-29 23:18:04 | つぶやき
 今生業としているものが高校の勉学の延長線上にあるから、一応役に立っているということなのかもしれないが、そもそも多感な十代は、おとな社会への反感むき出しだったから、高校なんて形だけの人生上の記録でしかなかった。したがってその高校に行ったきっかけも、「ほかの人が行かない高校」という選択肢であったことも事実。どこでも良かったと言えばそれまでだが、だからといってどこでも行けたわけではないので、出来の悪いなりの選択肢しかなかったといってよい。だから高校の3年間は、まさに空白の3年間だったかもしれない。おとな社会への反感を増幅させたのが中学時代だとすれば、高校はすでに「無」の時代。投げやりなところもあったかもしれない。ようは将来に対する希望などまさに「無」であった。したがって高校の同級生はいてもほとんど交流はないし、恩師などというひとは一人もいない。たまたま同級生である、というくらいで、「どこの高校を出たの」と聞かれても、若いころはもちろん今も進んで答えを口にするほど、高校に対しての思い入れはまったくない。
 
 ところが仕事が延長線上にあるということが禍して、今住み着いた地域でも「〇〇高校出身」ということは住み始めて間もないころに解ってしまって〈近くに先輩が住んでいたということもあるが〉、入りたくもない同窓会に入ることに…。年会費といってもたいした金額ではないので、気にもしていなかったが、いよいよ地区で役がまわっきた。といってもそれもたいした役ではなく、会費を集めるのと少々の配りものをする程度。どうということはないのだが、確かに「次はお前さんだから」とは聞いていたものの、いきなり配りものがポストに投げ入れられていた。その宛名は「同窓会支部役員殿」、併記して「評議員殿」とある。わたしはそのどらにも該当しないのだが、そもそもこの文書は誰宛なのか、そう思いそれらしいひとに確認すると、「前に言っただろ」と。でも「わたしの身分は」と問うと、前任の方もよくわからない。いったいわたしには役がついているのかもよくわからない。とりあえず投函されていた配りものを「配ればいい」ということなので、すでに締め切り間近の案内をこれから配るというわけだが、この意味不明な組織も、そして役も、納得できないものであることに違いはない。前述の文書には訳名がいくつか出てくる。「地区役員」というのは誰で、「各地区の副支部長」とは誰なのか。この文書を投函したひとすらはっきりしない。初めてなのだから投函ではなく、手渡しをして一言ほしかった。さすがに「高校はどこですか」と聞かれても口にできないような学校、だと悟った次第。
 
 先日会社の若い彼に「大学はどこだかわかるけど、高校は」と聞くと「答えたくない」、言う。わたしも同じようなものだから、その気持ちはわからないでもないので、それ以上は聞かなかった。でも、口にしたくないような高校でも、ちゃんと成人して、社会人となり、しっかり働いているのだから、言うまでもないが社会で通用するのは「学校」ではない。

コメント    この記事についてブログを書く
« 和合 | トップ | 長野へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事