「大寒小寒 山から小僧がとんできた」などという言葉を今では聞くこともないが、記憶をたどると、わたしの子どものころには使った呼びかけ言葉だった。間もなく立春とはいうものの、寒さの厳しいこの季節、子どもたちにとっては外で遊びたいのは寒くとも変わりはなかった。今では夏でも子どもたちの姿が減ったが、冬ともなると子どもはおろか、おとなの姿も消え去る。もちろん昨日触れたように歩く人がたくさんいるムラもある。隣近所を見回して、歩く人といえば同様にウォーキングをしているか、犬の散歩をしている人たちくらいである。子どもの姿はそこにはない。『長野県史』民俗編南信地方「ことばと伝承」にこの呼びかけことばが並んでいる。箕輪町長岡では冒頭のことばの後ろに「なんていってとんできた 寒いといってとんできた」と続く。また「とんできた」の部分を「泣いてきた」と言うところもある。死語ともいえるこのことばの風景が消えたわけではない、そのことばを語る子どもたちがいないのだ。
雪が降り積もることを楽しみにしているのは子どもたちばかり、それが普通で、今も雪積もれば子どもたちの声が聞こえないわけではない。しかし稀であるといっても差し支えない。子どもの絶対数も減っているのだろう、そして個々の世界に陥った社会はよそへのアプローチは親がしない、となれば子どもたちも親に振り回される。どうも身のまわりは、けして山間ではないものの、顕著な農村の病に蝕まれている。
このところ何度も触れている旧高遠町の世界、藤沢川の支流松倉川沿いで雪だるまの姿をいくつか見た。諏訪社の境内に作られていたものは、檜の葉で象られた手がつけられていたが、だいぶ黒ずんでいて、溶け出した身体に顔の表情はなかった。いっぽう松倉川の護岸天端に〝雪だるま三兄弟〟が並んでいた。兄弟みんなが同じように川の上流を向いていて、それぞれ身体を右へ左へと傾けていた。昔と同様に定番のように炭で眉毛と目、そして口が描かれていた。日本ではこのような二つの玉を重ねた形のものが一般的であるが、欧米ではまさに団子のように三つ重ねだという。日本人には三つ重ねは違和感があるだろう。なぜ三つなのかと考えてしまう。日本の場合は、まさに達磨の形と同じである。そして達磨同様に手がない雪だるまが似合う。おとなが作るはずもないだろうから、子どもたちが作ったのだろう。山間地なのに、ちゃんと子どもたちが作ったであろう雪だるまを見て少しではあるが元気をもらう。くれぐれも脇の松倉川に落ちないでほしいと願うばかりである。それほどこの川に落ちたら大変なことである。
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