Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

造立年号を刻まない理由

2017-11-12 23:38:04 | 歴史から学ぶ

 発行の決議がされてからすでに2年ほど経過する。ようやく「長野県道祖神碑一覧」の校正が始まり、体裁を整えたうえでの発行となる。『長野県中・南部の石造物』に添付された道祖神一覧の校正ミスへの指摘から始まった今回の事業。みな忙しい合間をぬって作業を進めたから、時間を要したのは致し方ないとして、おそらく引用文献を明確にして一覧化したとしても、「ここが違う、うそこが違う」という指摘は受けるだろう。これが民俗的発想で作成した仕方ない面だと思う。ようは、データの正確性を求めたものではないということ。正確性を求めるならすべて悉皆調査を自ら行わざるを得ない。あくまでも基礎資料をもとに一覧化するというもの。そうしたものが今までなかったから、やることの意味は大きいと考えた。しかしながら道祖神というマイナーながらその世界ではメジャーな存在が故に、詳しい人たちには「何だそれ」みたいなものなのかもしれない。

 初校の締切が過ぎたのに、いまだチェックをしているわたしは、結果的に担当されたエリアをすべてクリアーできず、他の方に手伝ってもらったしだい。今年は少しくらい余裕が出るだろうか、と思っていたらむしろ昨年以上の生業の忙しさ。部署が変わったということも響いた。

 さてそんななか担当した町村のデータを見直していて気がついたのは、なぜ石造物を建てたのに年号を記さないのか、ということ。たとえば北安曇郡池田町の道祖神を見たとき、73箇所(「体」と言いたいところだが、自然石などのものに複数1箇所にまとめられているものがあるためこう表記した)の道祖神のうち、年号が刻まれているものは半数の35しかない。寄進者が自ら彫るという例は少ないだろうから、石工などに彫ってもらったと思われるもの。それなら造立年くらい最低でも刻みたいものなのだが、それがない。とりわけ馬頭観音のように個人で建てたものならいざしらず、比較的集落のような集団で建てたものが多い道祖神に年号が刻まれないのが不思議だ。もちろん年号が刻まれないものは道祖神に限るわけではないが、今もって信仰対象として篤く祀られている道祖神にもかかわらず、年号が刻まれなかった。昔の人々にとって年号などさほど意味を持たなかったのかもしれないが、裏を返せば半数のものには年号が刻まれている。おそらくこの年号を刻むというあたりも地域性のようなものが反映されているのかもしれない。そう考えると確かに池田町の中でも、ある集落ではほとんど年号が刻まれていなかったりする。これは造立された場所、あるいは祀られている場所の統計的な中でも色濃いものが見えるのかもしれないが、そうした視点で石造物を見ている報告は見ない。

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