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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

2016-07-12 23:38:38 | 民俗学

 しばらく前のこと、天竜川右岸の段丘上の地へうかがった折、その地域特有の掟のようなものがあることを聞いた。そこは段丘上の傾斜地で、木曽山脈の麓からは1キロほど下る。地形勾配は10パーセントに近く、水田も点在するが、主に果樹園が広がる。水田が主たる景観になり得なかったのは、水量に乏しいということがあったのだろう。伊那谷では西山と言われる木曽山脈は比較的水量豊富な谷を形成するのだが、以前から触れているように下伊那郡に入ると水田景観から果樹園景観に変わるように、土地利用は大きく変化する。それに合わせたように深い谷が段丘を削り取る光景も少なくなる。いわゆる田切地形と言われる地形は、上伊那郡飯島町あたりまでで、それ以南では飯田市内を流れ下る飯田松川あたりまで南下しないと大規模な田切地形は見ない。やはり土地利用の変化は河川の姿に比例するのだろう。傾斜が急になるから土地利用として畑作地帯になったというわけではないのだ。

 訪れた地での掟のひとつに、水田を転作した場合、農業用水路の水を利用してはならない、というものがある。一般的には水利権があれば転作しても畑に水を利用するのは当たり前。ところがここでは転作すると水利用ができなくなるのだ。畑作物は水田に比較すれば少量の水利用で済むから、むしろありがたいはずなのたが、水田にのみ水利用は許される。その理由が水が乏しいということにある。山麓から流れ下ること1キロ。段丘上の末端だから、上流域で水を利用されてしまうと、ここまで水がこないというのだ。地区が山麓まで同じならまだ融通がきいたのだろうが、ここは段丘上に展開する集落。したがって集落を形成しているすべての人たちが水不足に悩まされていたというわけだ。だから転作するとこれ幸いと、水利用を制限したわけである。この地区では毎年行われる総会の折に、この掟が復唱されて確認されるという。

 もうひとつここ特有の掟に、家を建てる場合、耕作地から一定の距離をおかなくてはならないというものがあるという。ようは日陰地を他人に発生させないため、自分の土地の中で日陰地をおさめるようにという意図があるようだ。新たによそから移り住むにも隣接地の了解が得られなければ家は建てられない。これもまた総会の席で復唱されるという。よそからは住み替えづらい土地柄かもしれない。


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