Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

年をとらない時代

2016-12-08 23:47:48 | つぶやき

 人は歳をとるもの。なぜ「とる」と言うと、「年取り」からくるものなのだろう。だから正確には「年をとる」と書くのだろう。周囲がわたしよりほとんど年上だった時代から、その逆になりつつある今、自分の立ち位置とか、喋り口などを少し意識するようになったところ。とはいえこれは明らかに仕事上からくるものなのだろうが、以前にも記したように常に「頭を下げる」を繰り返してくると、周囲の方が若くても、なんら不思議なく平身低頭する自分がいることに気づく。ようはどれほど自分が年老いたとしても、この感覚がわたしから消えることはないのかもしれない。

 さて、歳を重ねるほどに見たところも老いるものなのだが、それは個人差のようなものがある。とりわけ現代では、80歳を遠に過ぎているというのに若わかとしているひとが少なくない。もはや見た目だけで歳を判断できないことも多い。それでもその個人差が部位によって出る人もいる。見るたびに気になるのが、ある政党の代表をしている方。ちょっと前に話題になったころは若々していたのに、どうしても顔の一部位に老化なのだろうか、気になる感じが。もしかしたらその部位は成形でもしていたのては、と思うような変化。同じようなことは、意外に芸能関係者に見られる。いつまで経っても若々している方もいるいっぽうで、よく見れば、と思うような方も。もちろんそれを感じるのは人の顔に限られるが。

 かつてお世話になった人に会っても「変わっていないなー」と思うことはたびたびある。もう辞められて20年も経つというのに、ちっとも変わっていない風貌に、こちらが参ってしまうわけだ。子どものころ世間で見えていた年寄り感などというものは、今の老人にはほとんどない。100歳に手が届くほどにならないと、かつての老人の風貌は訪れない時代になったのかもしれない。これがどういう理由なのか、いろいろあるのだろうが、腰の曲がった老人がいないことからも、その理由はなんとなくみえてくる。

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