Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

千社参り

2007-11-01 12:09:06 | ひとから学ぶ


 伊那市美すずは天竜川支流の三峰川沿いに展開されている地域で、古くは三峰川の本流があったような場所に古い集落がある。ほぼ現在の三峰川と同じくらいの高さにあるということからも、洪水に絶えず見舞われてきた地域といえるだろう。その地域の西、とくに現在の三峰川に近いところに展開する青島という集落の東よりに青島諏訪社という神社がある。その神社の道端に石碑群があるが、そこから少し東よりの道端にも「庚申」碑がいくつか並んでいる。そうした石碑の前面に小さな紙が貼られている。伊那市内を廻っていると、このように石碑に紙が貼られている姿をよくみる。そうした姿を始めて意識したのは、飯田線の下島駅に電車が停まると、西側の傾斜地に並んでいる石碑郡にそんな紙が貼られている姿を見つけたときだった。誰が、何のために貼るものなのか、またそうした信仰がこの地域にあるものなのか、とそんな疑問を持っていたわけだ。

 こうした石碑に紙を貼る姿は稀であるが、神社や寺の建物に千社札が貼られている姿は誰でも見て認識していることだろう。「千社札お断り」という看板を見ることもある。ようは札が貼られることで建物が見苦しくなること、建物そのものが傷むということもある。寺社に千社札というものもけして不似合いのものではなく、例えば浅草寺などには札が貼ってある方が「趣がある」と見る人は多いだろう。

 写真でも解るように、紙には「奉納 千社参り 青島区」とある。当初は個人的な理由で貼られているものかと思っていたのだが、「青島区」とある以上、地域が一体とって行われている行事だと解る。この地域の人たちに聞いてみる必要もあるだろうが、たまたま検索しているとこのことについて触れているページがあった。それによると、古くから三峰川の洪水に悩まされてきたということが、続けられてきた要因のようだ。「千社参り」といって、毎年7月20日に行われていたという。どこでもそうだが、決まった日だと平日になることもあって、このごろはその日に近い日曜日に行われるという。青島区の役員が準備をし、隣組ごとにくじ引きをし、九つの巡拝の地区が決まるという。「昔はどんな遠い場所が当たっても歩いて廻った」というところから察すると、くじ引きでお参りする地域か神社、あるいは石碑が決まるのだろうか。それほど広い地域ではないので、何を目標物として決めるのかはその紹介文では解らない。また「余ったお札は天竜川や三峰川の橋の上から水神様へ奉納して終わる」と紹介されているが、「橋の上から水神様に奉納」というのはどういう意味だろう。青島地区の最寄の場所の橋となると、区外ということになる。ということは、「巡拝の場所」には地区外の場所も含まれているのかもしれない。また「橋の上から水神様」という言葉から川そのものを水神様と捉えているようにも聞こえる。

 現在では車で廻るなどといわれているところからも、下島の駅から見える千社札も青島の人たちが貼ったものなのかもしれない。信仰の意図として固定したものが見えないだけに、どういう経過、どういう意味をもって行われてきたのか興味深いところである。

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