Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

「サバー送り」の記事に思う

2017-10-05 23:01:39 | 民俗学

  「家の前に突如、謎のわら人形 捨てるなかれ、山口の伝承」という記事を朝日新聞デジタルに見た。同じような報道がいくつかウェブ上に掲載されている。山口県の指定無形民俗文化財である「北浦地方のサバー送り」に関する記事である。県のホームページに掲載されている「一般向け説明」というものを下記に引用する。

 これは、北浦地方(長門市・下関市)において、田植え終了後、「サバーサマ」と「サネモリサマ」という、騎馬武者姿の藁人形2体を、住民がリレー式に順次、居住地域外に送り出し、害虫を追い払う行事である。いわゆる虫送りと呼ばれる行事の一つである。
 送り継ぎ開始の約一週間前に、飯山八幡宮社務所にて、当社の氏子区域内の藤中(ふんじゅう)地区の人々により、藁人形2体が作られる。送り継ぎ開始前々日までに、藁人形には、当社宮司により、和紙に書いた顔、和紙で作製された兜、羽織の代わりとされる和紙、木の刀が着けられ、騎馬武者姿に仕立てられる。なお、兜及び羽織の代わりの和紙には、毛利家の印である「一○」が記される。この後、送り継ぎ開始当日までの2日間、虫除けの神事が行われる。
 送り継ぎ開始当日、その年の当番にあたる地区の氏子が神社に集まり、飯山八幡宮で虫除けの神事が行われる。この神事の前に、2体の藁人形の腰に、「オゴク」と呼ばれる白御飯が、和紙で作製された袋に入れ、取り付けられる。神事終了後、鉦(かね)、太鼓、幟(のぼり)、藁人形の順に列を組み、神社境内を出発する。途中、境川地区の2軒の家に立ち寄り、「オゴク」を渡す。この後、長門市日置上長崎(ながさこ)の送り継ぎ地点まで藁人形を運ぶ。
 長門市日置上長崎以降は、各自治会や子供会などにより、数週間をかけ、各地域を送り継がれていき、下関市豊北町粟野に達する。粟野以降の順路は不定であるが、最終的には海に流されることが多い。
 虫送りは、全国的に見られる行事であるが、このようにヒトガタを用いて行われるものは県内では数少なく、広域にわたり送り継がれる例は全国的にも稀であり、貴重な行事といえる。

 以上である。この行事について認識をしていなかったが、飯田市の竜東で2月のこと八日周辺に行われている「コトノカミ送り」と同じような行事であることがわかる。千代芋平で作られた藁人形を乗せたミコシが集落ごと送られて、最後は上久堅の市境を超えた喬木村富田に入ったところで捨てられて(送られて)行事は終了する。サパー送りは長門市飯山神社から50キロも離れた下関市豊浦町宇賀まで送られるという。50キロ離れた地までなぜ送られ、そしてなぜそこで終了となるのか、疑問点はいくつも浮かぶ。前記した解説の中で送り継ぎの具体的な場所は触れられていないが、コトノカミ送りでは村境が共通的な送り場=中継点となっている。村伝いに中継していく行事の流れから同じような場所がサバー送りでもあてられているのだろうが、興味深い点である。虫送り行事としていることから、時期は異なるが、悪い神様を送るという考えは共通している。そして「送り継ぐ」というところに、現代の悩みというか問題点が現れているところが最も興味深いところだ。記事になった所以のひとつに、今年は途中でサバー様が消えてなくなったというところもあるのだろう。記事によれば年によっては送り継がれないこともあるという。このあたりについては「道ばたに「わら人形」な、なんで? 山口の伝統行事「サバー送り」」という9月27日のwithnewsの記事が詳しい。最終地点にある宇賀八幡宮宮司は、人形を海に流す際に立ち会って神事を行ったというが、「最後に神事をしたのは、11年前」という。ようは近年はゴールまでたどり着いていないというわけだ。そもそもそこがゴールだと分かっていて発したわけではないだろうから、村境まで送ればその村にとってはエンドであったはず。したがってなぜ終着点ができたのか、あるいはその終着点に意味があったのか、分からないことは多い。記事によれば「人形が下関市内に入ったとたん、運ぶルートは海側と山側の二つに分かれ、いずれを通るのかあいまいになる」という。文化財に指定されているのは長門市分のみだという。ようは下関に入ると毎年一定していないから「文化財」の要件に該当しないのだろう。このあたりの考え方も一考が必要なんだろう。そもそも50キロも先まで送られるという伝承と、毎年一定していなくてもどこかまでは送られるという現在の姿に注目するべきだろう。そして現代の人々がそれをどう受け止めているか、そのあたりまで見てみたい、そう思う。

 朝日新聞デジタルの記事の最後にこう記されている。「今年の人形は、9月20日ごろ、二見地区から姿を消した。だが、終着点に住む人々に尋ねても、人形を見た人はいなかった。2回ほど人形を運んだことがある農業の男性(67)は「今年も無事、誰かがどこかの海で送ってくれたと思いたい」と。そもそも「海まで送りたい」という意識はいつから生まれたものなのか。図からもわかるように、海沿いを中継しているからいつでも海に送ることは可能だ。現代の藁人形送りの意識の背景が興味深い。

 下図はウェブ上に公開されている図を引用させてもらった。 

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