Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

結局、自家用車通勤に・・・

2017-04-04 23:56:15 | つぶやき

 結局のところ通勤に電車を利用しようとしていたものの、今年から会社で高速料金を通勤手当に加算してくれるということになって〈もちろん条件があるが〉、提出した通勤届を差し替えて、自家用車による通勤にすることに。おそらく以前であったら迷いなく電車だっただろうが、朝の通勤時だけでも高速を利用すれば、一般道の半分ほどの時間で通勤が可能となる。今まで起床していた時間が1時間も早くなって、さらには息子の弁当を作るとなると電車の時間を意識してもっと差し迫った感じになる。そのことを思うとある程度時間に柔軟性のもてる自家用車による通勤は選択肢として魅力があった。加えて高速料金を実績分支払ってくれるとなれば、迷いが膨らむのも無理はない。そして何より母が入所している特養に、平日の帰宅時に寄ることができる。電車通勤ではなかなかそれは難しい。特養に寄ってきたいと思えば、その日は車で通うことに。飯田に電車通勤していた際にも、定期券を購入しながらも月に10日ほどしか利用せず、定期券のもとを取れないこともあった。そんなことが続いて結果的に次の段階には回数券に変え、最終的には自家用車の通勤になってしまった。元を取るには最低何日は乗らないと、と計算するほど際どいと、結果的にクリアーできないこともあったりする。電車から遠のいていくのも無理はなく、帰途用事を足すという状況が多ければ採算がとれなくなる。そうした状況をかんがみ、自家用車の通勤を選択することになったわけである。迷いの中には、1時間ほどの電車内でかつてのように日記を記すことかできるということがあった。今は就寝前のひと時にこれを記すことが多い。ただでさえ転寝をしていて、目覚めると深夜ということも多く、それから気持ちが合えば短文をここに記している。最近は忙しまぎれのものが多く、深くもの考える余裕もなくなっている。しばらくは電車内で日記を記すことができると思えば、少し気楽さが生まれると思っていた。これも捨てがたいと思っていたから迷いも生まれた。しかし、結果的に採算のとれないようなことになったら、半年9万近くもかけて購入する定期券が無駄になってしまう。ということでいろいろ悩んだ末の結論である。

 電車には切りの良さみたいなものがあって、時間がくれば帰る、という判断を否応なく求められる。自家用車のように時間的制約を受けないと、だらだらたと仕事を続けてしまうこともある。基本的に勤務時間が終われば帰る、そうスタンスを持っていない限り、無駄な時間を費やしかねないかもしれない。事実転勤してここ数日、帰路母のいる特養に寄ってみようと日々考えていたのに、結局寄れずじまい。この時間までには会社を出ようと思っていても、あと少しが重なって「もう遅い」につながってしまうのだ。制約のないことがこれほどルーズさを生んでしまうとは情けないものである。

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