Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

ムラ境のお札

2017-07-12 23:46:36 | 民俗学

押場下お札

 

田舎の風北のお札

 

 「押場の観音さん」は中川村と飯島町の境界からすぐの飯島町側にある。主要地方道伊那生田飯田線の中川村飯沼-飯島町日曽利間を好き好んで走る人はほとんどいないが、ここを通ると意外に県外車と出くわすことが多い。一応主要地方道だから、初めての人もこんなに道が狭いとは思わずに入ってくるだろう。とりわけひとつ間違えば落石に遭うなんていうこともなくはないわけで、危険な道。地元の人はそれを解っているから、選んでこの道を通ることはない。とは言うものの、わたしは中川村竜東から駒ケ根方面に行く際には、今もよく利用する。自分が今いる場所がたまたま中川村で、北上するとなると必ずその選択肢に入る道。4月30日には母の入所している特養に顔を出し、帰りは中川村経由で家へ帰った。特養は駒ケ根市竜西でも比較的天竜川に近いところにあることから、母のところに自宅から行く際にも時おりこの道を利用する。押場の観音さんへ上る道を過ぎたところで、道端にお札が立っていることに気づく。太い木の根元に立っているからその木との関係なのかどうか、そんなことも思ったが、ムラ境ということもあるから、これは村境を守る神様なのではないか、そう思った。

 その後も何度か通りかけてはそのお札を目にしていたのだが、先日やはり特養に向かう際に近くで聞いてみることに。休日ということもあって道端で作業をされている方がおられて聞いてみると、松福寺という日曽利にある寺の檀家総代さんたちが「お日待」と称してやっているという。総代さんの家を教えていただき訪ねると畑に仕事に行っているという。畑の場所を教えていただき行ってみるが姿が見えず、代わりに総代さんのお父様という方がおられたので聞いてみると、「昔はやっていなかった、ここ1、2年のこと」だという。すでに90歳代と思われる方が言われるので少し残念な気持ちになったが、そうはいっても、ではなぜ始めたのだろう、そんな疑問も浮かんで、「昼なら家にいる」と言われるので、特養の母を訪ねた後にもう一度伺うことに。

 ということで昼どきに再び訪れると総代さんに話をうかがうことができた。今年は2月6日の夕刻にお日待を行ったといい、お札を立てたのは翌日以降だという。松福寺は中川村大草にある常泉寺の末寺で、ずいぶん前から無住だという。お日待には常泉寺の住職が来て経をあげるという。言ってみればお札への魂入れのようなものか。お札は版木があって自分たちで刷るという。ということはここ1、2年に始まったことではないよう。松福寺に鈴木さんという方が住んでいてその方が経をあげていたようだから、ある程度昔から行われていたと考えられる。このお日待は旧正月に行っていたという。お札の主旨は魔除けだといい、日曽利の周囲というか境界域ともいえる4箇所に立てられるという。南は中川村境の押場下の主要地方道沿い、西は天竜川の日曽利橋を日曽利側に渡ったところ、北は日曽利の北側にあるかつて水田地帯だった現在は「田舎の風」というキャンプ場の北はずれ、東は奥まったところにある山の田という集落の林道に立てられる。1年間立てておき、翌年のお日待の際に焼いてしまうというが、実際に立てられている4箇所をよく見てみると、以前に立てられた残骸が残っている。したがって古いものの処理はとくにしていないようだ。お札の正面には「御月待寳牘 松福寺」と書かれている。その中に札が納められていて写真のようなものだった。


 

 

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