Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

賽の川原

2017-04-18 23:17:22 | 民俗学

冥途への道

 

線彫りの仏様

 

石尊大権現拝殿裏中央に建つ不動明王。大山阿夫利神社は、もとは天平勝宝4年(752)に良弁により神宮寺として雨降山大山寺として建立され、本尊として不動明王を祀ったという。

 

大日堂東にあつ十三仏。十三仏の石仏は珍しい。

 

 「石尊信仰の今を訪ねて・前編」で触れた石尊大権現の拝殿は、東御市祢津の長命寺裏山にあった。隣に江戸時代初期の延宝7年(1679)ころに建てられたといわれる大日堂がある。昔は布引観音の祭りとともにこの地域ではよく知られた、通称「祢津の柿祭」が旧暦の9月28日に開かれたという。なぜ長命寺境内に石尊講の人々の建物が建てられたかは定かではないが、現在もこの建物に関しては石尊講、現在では祢津東町の人々によって管理されている。長命寺裏山の空間は独特な空間で、段丘崖のような空間に雑然と向きを異にした建物や石造物が点々と建てられている。整然とした配置ではないのである。例えば大日堂の東側に建つ石造物も南を向いているものもあれば西を向いているものがあったりと向きは様々なのである。裏山にはさまざまな石造物が点々とあるが、それらの向きは向きを変える段丘崖に沿ったものもあれば、段丘崖面に反したものもあって、建立者がそれぞれの思いのままに建てたというような印象を与える。大日堂の近くは県宝の歌舞伎舞台を有す祢津日吉神社もあって、ここでは現在でも歌舞伎が上演されていることで知られている。

 長命寺と大日堂や石尊大権現の拝殿のある空間の間には小さな尾根があるが、その尾根の麓、長命寺の脇を小さな川が流れている。現在はコンクリート現場打の三面張水路に整備されていて、家庭雑俳水が入り込むのか流れている些少な水は白濁していて少し汚さを抱かせるが、長命寺の裏山に至るこの川の際に「賽の川原」の看板が建つ。それによるとここを賽の川原と呼んでいて冥途へと続く道を模しているという。看板の脇に大きな石が横たわっていて、看板に「石仏を彫りつけてある」とあってその存在を知る。大石をよーく見てみると確かに仏と思われる像が、まさに「彫りつけて」あるという感じ。線彫りのその仏様は、この看板がなかったら気がつかない。「かつては葬式の行列は必ずその「じゃんぼんみち」と呼ばれる道を通って墓地へ行った」と看板にはある。この線彫りの仏様がから奥の段丘崖に墓地が点在している。この世とあの世の境界線にこの石仏が建っているよう。そして脇にある川はまさに賽の川原を示していたのかもしれないし、その川に沿ってある小道は冥途への道だったのだろう。

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