Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

舞台を張る

2017-08-28 23:17:27 | 民俗学

〝たかが「呼び方」なれど…〟より

 舞台張り班による準備は、1週間前に舞台庫である青年会館より引き出されていた舞台に船の骨格となる柱やハゼギを結わえ付ける作業である。かつては9月に入ってから(本祭りは秋分の日)準備をしたというが、中心的な作業を休日に行うようにすると、実際に作業のできる日は限られてくる上に、雨が降っているとできないということもあって、余裕をもって準備できるように、8月のうちから準備に入るようになったという。今年は8月20日に船を舞台庫から引き出しを行った。前年並ということならもう1週間遅い8月27日からだったのだろうが、前倒しとなったよう。重柳八幡宮祭り保存会には4つの班があり、①笛、②飾り付け、③小屋掛け、④舞台張りという具合に分かれている。基本的に班に入るとずっと同じ班に在籍するため、ほかの班のことは正確にはわからない。笛は曳行をする際の囃子を担当する。飾り付けは船の釣り付けを担うわけで、中心となる人形の制作のほか背後の山岩作りと腹と言われる船の前後の幕を張る作業を担う。小屋掛けは神社境内に小屋を掛ける班。そして舞台張りは前述したように船の骨格を作る班となる。飾り付けと舞台張りが船そのものを作り上げていく班で、片方が遅れるともう片方が遅れるということになる。舞台張り班なよって舞台の骨格ができあがった翌週に飾り付け班による山岩を作りが行われ、その後の休日に舞台張り班によって前後に幕が張られ、宵祭り直前に飾り付け班によって人形が乗せられ仕上げられる。それぞれの班が交互に作業をしていくような形だ。ほぼ1ヶ月に及ぶ準備はそれぞれの班ごと計画的に日程が組まれる。とりわけ笛班は子供達が担う太鼓の練習を9月1日から祭りの前日まで繰り返す。祭りの準備に1ヶ月ほどかけて労力を掛けるというエネルギーには圧倒される。

 保存会は前回にも触れたように、昭和53年に43名で発足した。それ以前は青年団によって担われていたようだが、青年団が解散すると祭りに船を引くことができなくなった。青年団に入る年齢、抜ける年齢というものがあったようで、青年団として最後に担っていた人たちが船が曳かれなくなったことを残念に思い、保存会として復活することを願ったようだ。数年船が途絶えた後の昭和53年の11月に船の曳きまわしが行われた。例大祭では曳けなかったが、少し遅い11月に再出発し、翌年からは再び例大祭に船は曳かれるようになった。保存されているノートには、神社総代と伍長が担っている役割はそのまま継続すると書かれている。今後はっきりしなくてはいけないことだろうが、宵祭りに曳かれる舞台はそれ以前から伍長によって準備され、曳かれていたよう。現在も伍長によって舞台が担われているが、おそらく青年団が船も舞台も担っていた時代があったのではないだろうか。青年団がなくなっても舞台は伍長が担っていたため、途切れることなく継続したと考えられる。そしてそれ以外の青年団が解散するまで担っていた部分を保存会が担うことになったと思われる。保存会は現在90名ほどいると言うが、実際に班の作業に参加されるのは半分以下のようだ。会長、副会長、会計、総務の四役。班は4つの班に加えて最近催事班というもが増えたという。庶務雑務を担うようだ。船の保存会ではない。「祭り」の保存会なのである。

続く

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