Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

たかが「呼び方」なれど…

2017-08-27 23:07:56 | 民俗学

 友人は安曇野市三郷中萱熊野神社のお船祭りの調査をしたことについて触れたが、わたしは同じ調査で同市豊科重柳八幡宮の船を担当している。そもそもお船祭りと言われるものをそれほどたくさん見たわけではない。穂高神社で行われるものが最も知られているわけだが、ここを中心にこの平には「お船」と呼ばれるものがたくさん登場しているようだ。ところが必ずしもみな同じ形をしているわけではない。国の選択無形民俗文化財に選択されたことから調査が実施されることになったわけだが、今回は穂高神社で行われているお船祭りの船の系統を調べるということになっているが、なかなか難しい。

 重柳がどこかも知らなかったわたしだから、もちろん重柳の船がどういうものかも知らなかった。今日は舞台張り班によって「舞台作り」が行われるということで、朝8時から準備に同行した。そもそも「舞台張り」と言われるあたりから紛らわしくなってくる。作るのは「船」である。にも関わらず「舞台」とはどういうことなんだう、ということになる。この地域にたくさん登場する船を「船」と呼んでいるにもかかわらず、これまでの文献を見ると「舞台」とか「山車」とか「屋台」とか、なんとも紛らわしいことになっている。おそらく地域によっても呼び方がいろいろだし、同じ地区内でも違う呼び方をする人がいたりする。でも最終形は「船」なのである。

 例えば重柳のことを記した平成11年に発行された『豊科町誌』別編(民俗Ⅱ)にある「重柳八幡宮の祭礼と壮大な「祭り舟」」を紐解いてみる。この中で本祭りに曳かれるお船のことは、一貫して「お船」と記述している。ようは曳かれるものは「船」である。そして重柳では宵祭りには船ではなく、「屋台(舞台)」が曳かれるとされる。これは船とは別のもので、同書の中では「屋台(舞台)」の表現は冒頭のみで、後半は「屋台」の表現になる。とすれば重柳では「屋台」と呼ばれていると判断するが、実は宵祭りに曳かれるものについて、重柳八幡宮祭り保存会会長さんは「舞台」と呼ぶ。今日1日いろいろ話を重ねた結果、舞台とお船の枠は同じところから、元は「舞台」と呼ばれていたかもしれないということになった。そのため現在の船を作ることの「舞台張り」の呼称が残ったのではないかと…。同書の中でこう記述されている部分がある。「(重柳では)「船」より確かに「屋台」の規模は小さいが、町内の他の社が同等のものを祭りの中心たる「山車」「舞台」としていることからもわかるように、この「屋台」も「神を招いてそれを招ぎ代にのせ祭場に練り込んでくる」「山車」であることになんら変わりはないのである」と。ようは豊科町内のほかの神社では「船」と呼んでいるかは定かではないが、「山車」とか「舞台」といって曳いている例が多いということになる。とはいえ重柳のものを「屋台」と記述しているから何が本当なのかさっぱりわからなくなる。今日調べた限り、宵祭りに曳かれているものは「舞台」だと思うのだが…。そもそも地元の人たちにも「舞台」と「屋台」と「山車」といずれも違ったものだという認識があって、そのイメージは共通化されたものでは無いようだ。

 現在の保存会は昭和53年9月19日の総会で正式に発足した。その時から宵祭りに曳かれる「舞台」については保存会の範疇ではなかったという。現在この「舞台」の準備も曳行も、重柳区の伍長さんたちが担うという。役割分担がこうなった原点に遡らないと、呼称の問題は解決しないようだ。

続く

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