Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

向方へ

2016-09-11 23:13:39 | つぶやき

 

 

 来春の民俗の会と信濃史学会共催例会の段取りをしに、天龍村向方(むかがた)まで足を伸ばした。飯田から50キロほどの位置にある向方は、天龍村とはいえ、旧神原村でも新野に近い位置にあるため、阿南町新野から入るのが最も近い。飯田から国道151号を南下して約1時間ほどの位置にある。天龍村の霜月神楽という名称て国の重要無形民俗文化財に指定されているのは、著名な坂部の冬祭りのほか大河内の池大神社例祭、そして向方のお潔め祭りの三つを指して言う。正月3日が向方、4日が坂部、5日が大河内という具合に3日間旧神原村のそれぞれの場所で行われる。面形の舞がある坂部のものが最も知られているが、それ以外の神楽は素面で舞われる。写真は平成2年の祭りに訪れた際のもので、当時この写真でも舞っておられた方を訪ねて、当日地元の方で話をしていただける方の調整をしてきたというわけだ。ことしは野沢温泉で同じ例会を開催したが、今度は南の端っぽでの例会。野沢温泉は新幹線の開通によって東京からも近くなったが、向方は飯田からでも車で1時間、飯田までがそもそも時間がかかるから、ことしのように県外から多くの方が参加するというわけにはいかないだろう。

 とはいえ、県南の県境域で行われている祭りはどこでも実施することそのものが厳しい。以前にも例会で企画した阿南町日吉のお鍬祭りのことについて触れたが、祭りを執行するだけの人が集まらなくなって指定文化財であっても中止を余儀なくされているのが現実である。向方でも先年、DVD制作のために本来の「お潔め祭り」を再現したが、例祭であっても人手は厳しい状況という。そんななか、東京から興味があって舞を習って参加する方もいるとか。地元の出身というわけではない。今はそういう人材も大事な人手となっているようだ。現在50戸ほどという向方であるが、一人暮らしの高齢者世帯も多いという。わたしもそうだが、「若い」と言われていた人たちがすでに高齢者の仲間に足を踏み入れるところまで達し、先行きはなかなか大変な様子。舞の保存伝承で中心的な方は、所帯は飯田にあり、そこから向方まで通いで働いておられるという。向方に山や農地があってその耕作のために通っているという。それも定年後にそうした通いを始めたというのではなく、若いころから出作りのように通っていたという。事例としてはあまり聞いたことのないタイプの暮らしぶりである。

 話をしていて知ったことは、盆のかけ踊りのこと。向方では8月14日と16日の夜、寺に切子灯篭が集まるとそこでかけ踊りがされ、念仏の後盆踊りも行われていたのだが、もう何年も前からかけ踊りは行われていないという。笛の方々が亡くなったり、かけ踊りを実施するだけの人がなかなか集まらないのだという。かつて訪れた祭りや行事が、気がつけば実施不能となっている、そんなことが今後増えるのかもしれない。

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