=HITORIGOTO=旅するココロ

 金沢→能登→東京…暮らしでのこと

老いを考える

2011-01-17 | ささやかなること
 会社から家までは、歩いて帰る。
 今の時期、帰る頃は真っ暗闇。
 先日のこと、そんな帰りの道すがら「家に帰ったら、何はともあれ、あったかいカフェオーレを飲もう」と考えながら、歩いていた。
 ふと、とある小さな四つ角の電柱脇で、うつぶせに倒れた年老いた女性が男性2人に抱えられながら、起こされている光景に出くわした。男性二人は自転車を近くに停めていたので、もしかして接触事故?かな…と思い、通り過ぎた。
 しばらくして、振り返ると、男性たちは、その場から去っていった。老女はその場にまだ立ったまま、動かない。
 少し歩いて振り返っても、その場に立ちつくしたまま。
 どうしたものかと、さすがに戻った。
 近くで顔をみると、頬から少し血が出ていて、口の中はかなり激しく出血しているようだった。思わずティッシュを一枚出して、渡した。
 聞けば、自ら転んだ…らしく、自転車の男性は通りかかって、起こしてあげていたのだと分かった。
 それでも、かなり強く転んでいる様子で、足かどこかを骨折していてもおかしくない。ほんとうに歩けるのかと、心配になり、御自宅まで送っていこうかと言ってみたけれど、「もうこんな時間ですし、御家族もお待ちでしょうから(それでも夕方の時間の範疇)…」といい、大丈夫だという。「私のほうは大丈夫です(ほんとうに何の予定もなかったし…のんびりとカフェオーレでも飲もうかと思ってた位なので…)」と言ったけれど、「自分でゆっくりと歩いていきますから、大丈夫です」と言われた。
 それでは、…と去る前に、この方が、買い物品が一杯詰まったカート以外何も持っていないことに気付いた。かなりの出血だったので、私の持っていたティッシュを全部手渡した。おそらく、近くのスーパーまで、財布とカート片手に買い物に出かけただけだったのだろう。
 携帯電話とかも持っていそうもないし、近くに公衆電話もなさそうなところだし、歩けないなら、救急車呼んだほうがいいのかな、それとも、おぶって連れて帰ってあげたほうがいいのかな…とも思ったが、大丈夫と言い張るので、一応、その場を立ち去った。
 一度自宅に着いて、コートも脱いでみたものの、あの老女のことが気になって、カフェオーレどころではない。連日の寒さ、あの中で動けずに立ちつくしていたら、凍えて…ということもあろう。
 気になって仕方ない…ならば…と、またコートを着て、あの場所まで行ってみることにした。
 もう、そこに姿はなかった。ゆっくりでも、自分のペースで歩いて帰ったのだろう。
 少し、ほっとした。
 思えば、80代で亡くなった私の祖母よりもずっと老いているように見えた。
 数十年後の自分の姿と重なってみえた。
 と思ったら、急に泣けてきた。
 人は、いずれ一人で死を迎える。
 一人で生まれて、一人で死んでいくのだ(双子とかは別として…)
 たとえ、家族や子供がいたとしても。
 誰かに老後の面倒をみてもらおうと思っていないけど、命尽きた時のこと、その時に至るまで、万一身体が思うように動かなくなるような時のことを考えてみた。
 迷惑をかけずに…というのは、かなり贅沢な願いかもしれない。
 どう考えても、大なり小なり迷惑を掛けてしまうことになる。
 それでも、命尽きるまで生きていかねばならない。そんなことを夕飯の支度をしながら、悶々と考えた。そこまで長く生きられること自体幸せなことだともいえるけれど、夫と二人、または一人生き長らえた時のこと、そして、死を迎えた時のことを考えると、途方にくれるような気持ちになった。
 少し遅く帰ってきた夫に、そのことを話すと、
「元気に老いなきゃ…」みたいなことを能天気にのたまう。たしかにそうだけれど…(20110117)

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