大脳皮質のジャンクヤード

トラック乗りのおっさんが自分の大脳皮質に落ちている思考のゴミをリサイクルして文章にしているブログ。

死者との対話

2017年07月31日 | 怪談
昨日の四時四十七分、女房の父親が逝った。脳梗塞で倒れてから約五年の寝たきり生活を余儀なくされ、それは体という牢獄に閉じ込められた辛い時間だったと思う。息を引き取ってから四時間後に彼の遺体と対面。確実に姿を見せると思っていたが、私には見えなかった。しかし今まで会話もままならなかったせいか、お喋りが止まらない。催事場の担当者を交えて様々な打ち合わせをしている間中、彼も積極的に話し合いに参加していた。それを逐一私が通訳する形で時は流れ、喪に服すと言うよりも、久しぶりに団欒を持てた楽しい家族の風景と言った感じで、笑い声が絶えなかった。遠くにいた家族も昨夜遅くに駆けつけ、今夜がお通夜。今回改めて、死は解放以外の何でもないなと強く感じた。はっきりと自覚のある死を迎えた人は、明らかに時を超えた空間に立つ。過去と未来が現在に集約されるので、香典返しや、必要になる引き物の数までも手に取るようにわかるんだな。お葬式のプランには様々なセットがあるのだが、お参りに来てくれる人の数を多めに予測して無駄が出てしまうこともある。しかし未来が見えている人が的確な数を指示してくれるのなら、残された家族は大助かりだ。今回は自分の遺体に着せる着物の色や、棺にかける生地の色、遺影に使う写真まで全て本人の霊の立ち会いの下で選択した。明日は朝から告別式。慣れ親しんだ体を燃やすのは寂しいが、私たちは笑顔で彼を見送る。「忙しいのに悪いね、色々ありがとね...」と、ひとつの物事が決まる度に、彼は皆に感謝していた。
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