人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

切れ切れの記憶ー中島飛行機?ー

2016年09月30日 | 日記

一年生で福岡に引っ越した時

確か「中島ヒコーキ」の社宅に

住むことになったと

記憶しているのは

とても不思議なのです

というのは父が勤めだしたのは

長崎の炭鉱事務所だったから。

姉は「それは中島炭鉱」よと

いうのですが

それならなぜ私は

「中島ヒコーキ」という名を

覚えることになったのか

わからないのです。

確かに炭鉱に勤めていた父ですから

飛行機であるはずもありません

幼い私の強い記憶の中では

どうしたって「中島ヒコーキ」なのです

福岡は雑餉隈

そしてとても立派な社宅

いくつも並んでいました

今はヤフー地図で見ると

マンションがびっしりのようです

でも

私にとってはやっぱり

「中島炭鉱」よりは

「中島ヒコーキ」のほうが

懐かしいのです。

戦争の始まった頃で

そろそろ食料が

尽き始め

やがて日本が恐るべき時代に

突入してゆく

その少し前

「嵐の前の静けさ」

の時代のはなしです・・・