蕃神 義雄 部族民通信ブログ

部族民の精霊信仰、異界交流など独自の世界観は今も人の心奥に潜んでいます。彼等の心情と感性で今世界を批判したい。

猿でも分かる構造主義 7

2017年04月25日 | 小説
猿でも分かる構造主義 7

知性は存在=本質=を規定するとデカルトが語り、これが西洋哲学の底流となりました。存在も知性も神が創造した物(被創造物)なので、神の創造原理を語るのが哲学です。この考えはスピノザで特に顕著です。メルロポンティは領域と信号は共生=co-existance=すると規定し、神が創造した「領域」を神から与えられた知覚(perception)で解析し、信号=本質=を探る現象学を主唱した。
構造主義とはこれら伝統の哲学を一線を画します。
知性(idee)と存在(etre)を対立する二重性(dualite)としてとらえている。対立するとは互いが相手を必要としている相互性(reciprocite)を言います。よって本質は知性にも存在にもあるのでなく相互性に潜むとしています。
すなわちヒトは神から知性を授かったとの西洋哲学の根底を否定しています。レヴィストロースは無神論者ですから、これは当然の結論です。
ではヒトの知性はどこから来たのでしょうか。
歴史学者ミズンは「心の先史学」でオーストラロピテクス(人の系統とされる)がサル(チンパンジー系統)から分離した400~500万年前から、人は知性を獲得していたと主張している。この説を構造主義から説くと分かりやすい。イヌをイヌとして認識するにはイヌの存在があるだけでは成り立たない。イヌという思想(あるいは表象)を人が持たないとイヌはどこにもいない。これはイヌネコサルの話で前述したが、それを借用して「構造主義的」知性の起源を説明したい。
オーストラロピテクスはヒトの祖先とされる。彼らが住んでいたアフリカオルドバイ渓谷で発見されている石器をオルドワン式というが、その造りは後世の石器と比べて原始的である。これら石器の制作者をオーストラロピテクスとして(学説ではホモハビリス250万年前からとされるが)、どの様に石器を作ったかを省察したい。
ネットから写真を拝借した(著作権の問題があれば指摘してください)
この石器、握斧を完成するまでに至る行程は:
1まずオーストラロピテクスが洞窟をはい出して石がごろつく渓谷をうろつく、普段通っている草原や森林に行っては、餌は探せるけれど石が見つからないから駄目だ
2握るに手頃な大きさの石を探す、大き過ぎても小さくても駄目
3斧になるには砂岩系は柔らかすぎる、火成岩を選ばなくては
4打ち台となる平坦な石も探す、5打ち石も探す 6石を平坦台に7正しく乗せる 8打ち石を振り下ろす 9正しい箇所に10正しい角度 11正しい力で 何度か(おそらく10回以上だがとりあえず10とすると、21行程) 22刃先が使用に耐えられるか確認する
ざっと22の行程を経ている。22の各行程で0(OK)か1(NG)の選択を強要されている。NGを理解できず、たとえば握るのに大きすぎる石や柔らかい砂岩を選んで「何とかなる」で後工程に送ると、それは石器として役に立たない。
22の全行程は1日では終わらない、2日かかるか3日か。またがそれぞれ0か1の選択であれば、2の22乗、420万回の選択があり得る。それを3日かけて、どの一つにも誤った選択をしては石器とならない。
そこで想像するに、とっても暢気なオーストラロピテクスがオルドバイ渓谷で生きていた。暢気な訳は他のサルとは異なる行動をはじめたからだ。
「天気が良いから散歩するわ、石ころでも拾ってやるか、どんどん叩いてやるぞ」夜になったから洞窟に帰る。翌朝、腹が減っているが草原に立ち寄らず、また渓谷に出てきて「昨日の続きをして叩いてみるか、何かできたぞ、刃先が揃っている。獲物の皮を剥ぐのにぴったりだ。万歳~」
となるには420万匹の暢気なオーストラロピテクスが、500万年前のある日、一斉に3日間をかけて、うろつき探し叩いて、その内の一匹が石器をモノにして「こうやるんだ、一つでも間違えたら終わりだぞ」と皆に伝えるか、一匹が420万日の3倍1260万日、3万4520年かけてナントカ石器を作れるにいたるか、3万4520匹が3年の間、ひたすら石を探して叩き続けるかしかない。
いずれも不可能です。
石器は、たとえオルドワン式の加工度の粗いモノでも偶然では作成できない。
石器が世に出るためにはヒト(オーストラロピテクス)の頭に石器の「思想」が芽生えて、渓谷には都合の良い石ころがごろごろしているという「存在」があって、それらが相互に構造的依存が形成されていないと、石器はできない。これはイヌの思想と存在で考察したとおりで、構造主義です。
サルあるいはチンパンジーの知能についてヒトの幼児並みとの研究を一頃、聞きました。チンパンジーにない知恵は思想と存在の構造的依存です。あるいは原始的な思想は持っていて、まっすぐな棒をシロアリ塚にさして、アリ釣りする程度の「思想」を持つかも知れないが、石器を思い浮かべる思想は持たない。ヒトとサルとの差です。

猿でも分かる構造主義 7の了(4月25日)
(これまでの出稿4月5,6,8,10,13、16日、次回予定は30日)
ジャンル:
小説
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 猿でも分かる構造主義 6 | トップ | 猿でも分かる構造主義 8 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。