女一人で地球散歩

2016年11月6日よりスタート!!!本能のままに!地球散歩へ行ってきます:)

惨劇を繰り返さないために

2016-12-12 22:19:49 | Poland🇵🇱
12/11




旅に出る前に見た映画があった。



「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」

実話に基づいた映画でフランスにある学校が舞台になっており、問題児だらけのクラスに
あるベテラン女性教諭がやってくる。
彼女は全国歴史コンクールへの参加を生徒たちに提案。
そこで彼らは「アウシュビッツ」をテーマにすることになる。


この映画の中に、実際のアウシュビッツ収容所からの生存者の方か登場する。

収容所に着き、彼はそこで父と別々の列に並ばされた。彼の父は足が不自由だった。
彼の父は笑顔で「またあとでな」と言った。

それが彼が父を見た最後だった。



アウシュビッツ。


ホロコースト、ユダヤ人大量虐殺

恥ずかしい話しだが、私はあまりアウシュビッツのことを知らなかった。
ポーランドに行くと決めたのは、アウシュビッツに行くためだ。

アウシュビッツの公式ツアーを予約しようとしたが、すでに満席のために現地のツアー会社を利用した。
バスに乗り込みアウシュビッツ収容所跡に到着する。
ガイドさんの話を聞きながら、博物館のパネル等を紹介された。
どのように輸送されたから、どのようなひとが連れてこられたか、どの国から連れて来られたら、等。

パネルには当時の写真が残っている。

死の選別



アウシュビッツに到着し、人びとはまず選別を受ける。

右か左か。

右に行った人は、そのまま2度と帰ってこなかった。
子供、お年寄り、障害を持った人たちはほぼ右に行ったという。
左に行った人は、「労働力」として、辛い生活を強いられることになる。

辛い肉体労働をさせられるが、食事は粗末なもののみ。
そんな環境で長く生きられるわけがない。
ここに着いて、女性は2、3ヶ月。男性は半年以内に命を落としたという。

亡くなった人たちの髪の毛が大量に保管されていた。
この髪の毛でマットを作ったという。

子供たちの靴、眼鏡、靴磨きまで。
鞄には名前と住所が書かれていた。
ガス室で使われた猛毒の缶。








この持ち主達は、苦しみながら亡くなったんだろう、そう思うと胸が締め付けられた。


死の壁。
何人もの人たちが銃殺されたという壁。
前にはたくさんの花束が手向けられていた。

集団絞首台。
見せしめとし多くの人たちが一度に絞首刑となった。

建物を進むも、亡くなった人たちの一部の写真が飾られていた。
みんなボーダーの囚人服を着せられている。
胸には番号が印刷された布が貼り付けられているら。
ここに来た瞬間、彼らは名前を失い、この番号で呼ばれることとなった。

トイレは1日に数回、なんのついたてもない穴の空いた部屋に連れていかれ、全員同時にすることを強要された。


シャワー室と呼ばれる、ガス室に行った。
中に入ると、打ちっ放しのコンクリート。
上に天窓のようなものがある。
ここから猛毒が入れられ、なかに閉じ込められた人は、二、三十分ほど苦しみながら絶命したという。


その隣には焼却室。
毎日300人以上がここで焼かれ、常に煙突から煙が上がっていたという。



どうしても写真が撮れず、ネットから拾った写真を。


当時はダミーのシャワーヘッドがあったらしい。

そしてこの遺体の焼却、運搬をしていたのは、同じ囚人達だ。


この遺体はもしかしたら自分の妻かもしれない、子供かもしれない、友達かもしれない

そう考えずにいられなかったのではないだろうか。

そして次はビルケナウ収容所へ。
よく見る門の中にレールが敷いてある写真は、ビルケナウのものだ。
最初はアウシュビッツのみだったが、すぐに手狭となり、第二収容所のビルケナウが作られた。
ビルケナウもアウシュビッツと同じ「死の工場」だ。

入ってすぐに、破壊されたガス室の跡がある。
戦後に証拠隠滅のために破壊されたという。



張り巡らされる有刺鉄線。
当時は高圧電流が流され、見張り台には銃を構えた監視兵がいつもいたので、逃亡は不可能だったという。






彼らが寝泊まりしていた小屋は、とても人が寝る場所では無かった。
暖房器具などもちろん無く、粗末な木製ベットに藁をしいて寝る。
シングルベットより狭いベットに二、三人が寝ていたという。


ビルケナウ収容所に着いてから、雨が降って来た。
風も強く、手袋をしていても指先の感覚が無くなる程だ。



寒い…


しかし当時の人はどうだっただろうか。


雪の日もあっただろう。
灼熱の日もあっただろう。
死が待つのみの生活。
辛い日常の中で、どんな思いだったのだろうか。



映画の中に出てくる生存者の彼の、



「父の姿を見たのは、あれが最後でした。」

そう言って、涙を流した姿が脳裏に浮かんだ。



想像できるだろうか。
人間の尊厳を奪われ、日常の生活からこのような場所に連れて来られる人たちがいたことを。
大昔の話ではない、ほんの70年弱前の話しだ。

ほんの少しの知識程度でここに訪れたが、心が苦しくなる場所だった。



収容所までの道のりは、田畑が広がるのどかな景色だ。
多くの人はどんな気持ちでこの景色を眺めたのだろうか。


行き先も告げられず連れて来られ、家族と離れ離れになり多くの人が殺された。

わかっているだけで、150万人の人が亡くなったそうだ。
実際はもっと多いと言われているらしい。




帰りの途中、雨が吹き荒れる中で、有刺鉄線の中に立ち並ぶバラックを振り返った。


アウシュビッツ、ビルケナウ収容所は年間数十万人の人が訪れる。
そのうちの日本人はわずか一万人にも満たないという。


多くの人が、このアウシュビッツ収容所の存在を知っているだろう。
しかしそのうちの何人が実際にこの場に訪れているだろうか。

行けるのであれば、実際にこの場所に行って欲しい。
この場で実際に起きたこと、惨劇を目にして欲しい。


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