女一人で地球散歩

2016年11月6日よりスタート!!!本能のままに!地球散歩へ行ってきます:)

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災い転じて…?

2016-12-14 12:22:11 | Poland🇵🇱
12/12

今日は3泊したホステルをチェックアウトする。

今夜の夜行バスでウィーンに行くので、時間を確認するためにチケットを見直した。

確か12日の23:40発…





ん?




12/13 23:40発






ん?






やっちまったーーーー







バスの日にち間違えたーーーー




というわけで、クラクフにもう1泊することになった。
そして中央駅近くのホステルに引っ越すことにした。
今度のホステルは中央駅から400メートル!
しかしお値段は545円!
最高!


チェックアウトまでオーナーの娘と遊ぶ。
ポーランド語のため何を言っているかわからないが、そんなの関係なく遊んだ。



言葉は通じずとも、楽しく遊べるもんだな。

なかなかパワフルな子だった。

子供がパワフルなのは世界共通なんだなぁ。

途中で見つけた。
おにぎり…?



名残惜しいがチェックアウトをし、今夜のホステルを探した。




無い…


中々見つからず右往左往。
ようやく見つけ出し、荷物を預けて市街地に散歩に行くことにした。
ちなみにここのホステルに、地球の歩き方が置いてあってビックリした。
海外のホステルで見たのは初めてかも。


市街地までほんの五分程度。

再び雨が降る。
ヨーロッパの街並みに飽きたと文句を言っていた自分だったか、クラクフの旧市街地の街並みは美しかった。
城壁に囲まれた街の中には所狭しとお店か並び、まっすぐ伸びる道の先には城のような建物が。








そこから1キロほど先にある城を目指す。
木が立ち並ぶ公園の中を歩く。
犬の散歩をする人、ベビーカーを押す人。
クラクフに住む人も使う道なのだろう。
日常の生活を垣間見れたようで、嬉しくなった。








城についた。










城壁の中に佇む城は、荘厳な美しさを放っていた。
寒いと思っていたら、いつのまにか雪が降り出した。
そりゃ寒いはずだよ…

しかしせっかく来たのだから、気力を振り絞り広場の周りを散策する。

ワッフル屋さんを見つけ、早速購入。



うーん。
ドイツのワッフルの方が美味しかったなぁ。
店員の姉ちゃんも感じ悪いw

寒さが限界に達したのでスーパーで買い物をしてからホステルに帰る。

コロナも買ってみる。


今回のホステルのスタッフのお姉さんはとても感じが良かった。
引っ越して良かった。


キッチンで夕飯食べながら一人で晩酌。
大人になったもんだ、と1人でシミジミしていると、前の席にバーレーン出身のおじちゃんと、海外放浪一年目の日本人の青年が座った。
バーレーンのおじちゃんはニコニコして癒された…
日本人の青年はとても穏やかで話しやすく、生き字引の如くの知識の保持者だった。
今後の国の情報交換をし、眠りにつく。


12/13

朝早めに起床。

今夜の夜行バスでオーストリアのウィーンにいくのだが、夜行のためほぼ一日観光が出来る。

というわけで、シンドラー博物館に行くことにした。
「シンドラーのリスト」という映画を見たことがあるだろうか。



ドイツ支配下のポーランド、クラクフ。
そこに一儲けを企んで、オスカー シンドラーというドイツ人実業家がやって来る。
ユダヤ人を働かせ、事業は大成功。
しかしドイツ兵のユダヤ人に対する残虐な扱いを目の当たりにし、彼のユダヤ人に対する気持ちが変わって来る…


簡単にいうとこんな感じ、らしい。
実は私はこの映画を見たことがない。

このシンドラーが経営していた工場が、今は博物館として保存されているらしい。
この博物館のことは、クラクフのホステルに泊まっている他のゲストから聞いた。

朝一がいいと聞いたので、早速行くことにした。
博物館までは約3キロ。
もちろん歩いて行く。
通勤中の人たちに紛れながら、クラクフの街の中を歩いていった。
日本にいるときは、めんどくさくてあまり歩かなかった。
しかし旅に出ると、歩いた方がゆっくりとその街を感じることが出来るので、なるべく歩くようにしている。





行く途中の店で、水を購入した。

用心深く、慎重に選ぶ。
たかが水一本購入に15分ほどかけた。





はい、炭酸水でしたー!!!!




くそっ、未だに間違えるのか私は


仕方ないので二店舗目で水購入。
今度は水だった。ほっ



歩いて歩いて、ようやく近くまで来た。

こんなところにあるのか…?

不安がよぎる。



工事中のゲートを抜けると、表示が現れた。
どうやら合っていたようだ。




入場券購入、21PLN。約580円。


戦時下のクラクフの様子、どのようにドイツ軍が進行していったか、当時のユダヤ人達の様子、ゲットーの内部の再現などが、事細かに再現されている。

ドイツ軍の進行が始まり、街はヒトラーのハーケンクロイツのマークに染まる。





この大きな旗が出て来たときは、ギョッとした。
兵隊が闊歩し、ユダヤ人は次第に追い詰めらてい
く。

シンドラーのリストにより助かった人たちのVTRも流れていた。

本当に盛りだくさんで、じっくりと見ていたら、1日かかってしまうくらいだろう。


博物館を見終え、上着を着ようとしてカメラを置いた。







ゴトッ





鈍い音がした。





ヤバい



思った時には既に遅し。

カメラが床に落ちていた。
ヤバい、落とした。


血の気が引いてカメラの電源を入れると、正常に作動した。



血の気が引くとはまさにこのことだろう。
ホッとして、博物館を後にする。



映画を見てくれば良かったなあ、若干の後悔と共に…



橋を渡り、川沿いを歩いていると、白鳥がいた。
写真を撮ろうと思いカメラを構える。







ん?





ピントが合わない



ボタンを押してもジージーと虚しく唸るだけ。




嫌な予感がした



さっき落としたとき、レンズから落ちたんだ。




ヤバい









カメラが壊れたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ






壊れたというか、壊したんだけど…



まだまだこの先旅は長い



今度こそ本当に血の気が引き、駅前にあるショッピングセンターにある大型家電量販店を目指す。
修理は受け付けてくれるだろうか、
受け付けてくれたとしても、今夜のバスでウィーンに行かなくてはいけないのだ。

一人でテンパりながら急いで向かう。

しかしその途中で面白いものを見つけたので一応スマホで撮影する。






どうして私はいつもこう抜けているのだろうか。
思えば小笠原諸島に行ったときも、2日目の夜にカメラを落として壊している。


自分のアホさ加減に悲しくなりながらも、量販店に到着。

しかし修理は受け付けていないとの回答。


絶望だ…

カメラ無しの旅なんて考えられない。

新しくコンデジでも買うか?

いや、せっかくの旅なんだから一眼レフでなくては…

悶々としながら、カメラに詳しい友人に救いを求めた。


レンズを外してシャッターは切れる?

友人のアドバイス通りにレンズを取ってシャッターを切ると、通常通りに動いた。
つまりレンズが壊れていたのだ。

同じショッピングセンター内にカメラの専門店があり、カメラを持って店員さんに泣きついた。

カメラを軽くいじり、店員さんは

「レンズを修理するより、新しいレンズを買った方が安いよ。似たような性能で一番安いレンズだとこれかな?」

といって、指したのがタムロンの18-200m。

今のレンズよりだいぶ性能がいいではないか!!!!


プロテクター込みで約3万円。



さんまんえん…



予想外の出費によろめきそうになったが、まだ旅は続く。
この一眼レフ無しでは考えられない。
この先のことを考えれば、撮影の幅の広がるレンズを買った方がいいではないか!!!


そう思うと、いい買い物のように思えて来た。


というわけで、急遽レンズが変わった。

店員さんは親切に色々とアドバイスしてくれた。



カメラが若干重くなったが、いい写真が撮れると思えばいいもんだろう。
撮影が楽しみになってきた。

我ながら単純だと思う。





新しいレンズに若干テンションが高くなりながら、ホステルに帰宅。



昨日の青年と、今夜からチェックインした青年と三人で市街地へ。









その日の夜は、青年がカレーを作ってくれた。
カレーってこんなに美味しいのか…
真底思うほど美味しかった。
異国の地で食べるカレーは、こうも美味しいものなんだなあ。



三人で今後の予定などを話し合った。
みんな似たようなルートだ、もしかしたらまた別の国で会うかもしれない。


こうして出会い、別れを繰り返す。

一人旅だが、出会いに恵まれ楽しく過ごせている。
彼らはバス停近くまで見送りに来てくれ、ビビりながらも23:40のバスに乗車。





どうなるもんかと思ったけど、カメラ本体が壊れていなくて良かった…




明日はウィーン。


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惨劇を繰り返さないために

2016-12-12 22:19:49 | Poland🇵🇱
12/11




旅に出る前に見た映画があった。



「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」

実話に基づいた映画でフランスにある学校が舞台になっており、問題児だらけのクラスに
あるベテラン女性教諭がやってくる。
彼女は全国歴史コンクールへの参加を生徒たちに提案。
そこで彼らは「アウシュビッツ」をテーマにすることになる。


この映画の中に、実際のアウシュビッツ収容所からの生存者の方か登場する。

収容所に着き、彼はそこで父と別々の列に並ばされた。彼の父は足が不自由だった。
彼の父は笑顔で「またあとでな」と言った。

それが彼が父を見た最後だった。



アウシュビッツ。


ホロコースト、ユダヤ人大量虐殺

恥ずかしい話しだが、私はあまりアウシュビッツのことを知らなかった。
ポーランドに行くと決めたのは、アウシュビッツに行くためだ。

アウシュビッツの公式ツアーを予約しようとしたが、すでに満席のために現地のツアー会社を利用した。
バスに乗り込みアウシュビッツ収容所跡に到着する。
ガイドさんの話を聞きながら、博物館のパネル等を紹介された。
どのように輸送されたから、どのようなひとが連れてこられたか、どの国から連れて来られたら、等。

パネルには当時の写真が残っている。

死の選別



アウシュビッツに到着し、人びとはまず選別を受ける。

右か左か。

右に行った人は、そのまま2度と帰ってこなかった。
子供、お年寄り、障害を持った人たちはほぼ右に行ったという。
左に行った人は、「労働力」として、辛い生活を強いられることになる。

辛い肉体労働をさせられるが、食事は粗末なもののみ。
そんな環境で長く生きられるわけがない。
ここに着いて、女性は2、3ヶ月。男性は半年以内に命を落としたという。

亡くなった人たちの髪の毛が大量に保管されていた。
この髪の毛でマットを作ったという。

子供たちの靴、眼鏡、靴磨きまで。
鞄には名前と住所が書かれていた。
ガス室で使われた猛毒の缶。








この持ち主達は、苦しみながら亡くなったんだろう、そう思うと胸が締め付けられた。


死の壁。
何人もの人たちが銃殺されたという壁。
前にはたくさんの花束が手向けられていた。

集団絞首台。
見せしめとし多くの人たちが一度に絞首刑となった。

建物を進むも、亡くなった人たちの一部の写真が飾られていた。
みんなボーダーの囚人服を着せられている。
胸には番号が印刷された布が貼り付けられているら。
ここに来た瞬間、彼らは名前を失い、この番号で呼ばれることとなった。

トイレは1日に数回、なんのついたてもない穴の空いた部屋に連れていかれ、全員同時にすることを強要された。


シャワー室と呼ばれる、ガス室に行った。
中に入ると、打ちっ放しのコンクリート。
上に天窓のようなものがある。
ここから猛毒が入れられ、なかに閉じ込められた人は、二、三十分ほど苦しみながら絶命したという。


その隣には焼却室。
毎日300人以上がここで焼かれ、常に煙突から煙が上がっていたという。



どうしても写真が撮れず、ネットから拾った写真を。


当時はダミーのシャワーヘッドがあったらしい。

そしてこの遺体の焼却、運搬をしていたのは、同じ囚人達だ。


この遺体はもしかしたら自分の妻かもしれない、子供かもしれない、友達かもしれない

そう考えずにいられなかったのではないだろうか。

そして次はビルケナウ収容所へ。
よく見る門の中にレールが敷いてある写真は、ビルケナウのものだ。
最初はアウシュビッツのみだったが、すぐに手狭となり、第二収容所のビルケナウが作られた。
ビルケナウもアウシュビッツと同じ「死の工場」だ。

入ってすぐに、破壊されたガス室の跡がある。
戦後に証拠隠滅のために破壊されたという。



張り巡らされる有刺鉄線。
当時は高圧電流が流され、見張り台には銃を構えた監視兵がいつもいたので、逃亡は不可能だったという。






彼らが寝泊まりしていた小屋は、とても人が寝る場所では無かった。
暖房器具などもちろん無く、粗末な木製ベットに藁をしいて寝る。
シングルベットより狭いベットに二、三人が寝ていたという。


ビルケナウ収容所に着いてから、雨が降って来た。
風も強く、手袋をしていても指先の感覚が無くなる程だ。



寒い…


しかし当時の人はどうだっただろうか。


雪の日もあっただろう。
灼熱の日もあっただろう。
死が待つのみの生活。
辛い日常の中で、どんな思いだったのだろうか。



映画の中に出てくる生存者の彼の、



「父の姿を見たのは、あれが最後でした。」

そう言って、涙を流した姿が脳裏に浮かんだ。



想像できるだろうか。
人間の尊厳を奪われ、日常の生活からこのような場所に連れて来られる人たちがいたことを。
大昔の話ではない、ほんの70年弱前の話しだ。

ほんの少しの知識程度でここに訪れたが、心が苦しくなる場所だった。



収容所までの道のりは、田畑が広がるのどかな景色だ。
多くの人はどんな気持ちでこの景色を眺めたのだろうか。


行き先も告げられず連れて来られ、家族と離れ離れになり多くの人が殺された。

わかっているだけで、150万人の人が亡くなったそうだ。
実際はもっと多いと言われているらしい。




帰りの途中、雨が吹き荒れる中で、有刺鉄線の中に立ち並ぶバラックを振り返った。


アウシュビッツ、ビルケナウ収容所は年間数十万人の人が訪れる。
そのうちの日本人はわずか一万人にも満たないという。


多くの人が、このアウシュビッツ収容所の存在を知っているだろう。
しかしそのうちの何人が実際にこの場に訪れているだろうか。

行けるのであれば、実際にこの場所に行って欲しい。
この場で実際に起きたこと、惨劇を目にして欲しい。


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引きこもり

2016-12-10 21:10:57 | Poland🇵🇱
12/10
目覚めると11時近かった。
随分寝たなぁ。
旧市街地に散歩に行くつもりだったが、片道3キロだ。


面倒臭い…



ダラダラしているうちに昼近くになってしまった。


このままではダメだ!!


とりあえず起きて朝昼兼用の食事を取る。



食べすぎて苦しくなった。


ちょっと休憩しよう。


2時近くになった。




………。




どうして私はこう面倒臭がりなんだろうか。


もう外出するのが面倒臭くなり、今後のルートを決めることにした。

ポーランドのあとのルートを全く決めていないのだ。

出来れば陸路でオーストリアのウィーン、もしくはすっ飛ばしてスロベニア。



正直言うとヨーロッパの街並みに飽きている。
街並みはもういいから別のものがいいなぁ。


ウィーンは音楽の都と言われている、立ち見なら格安でウィーン国立歌劇場でオペラが観れるらしい。(そもそもちゃんとした席はそれなりの服装でないと入れないので、私は無理だが)

物価は高いらしいが、2泊ほどならいけるのではないか…


ウィーンに行こうかな。


早速寝台列車を探すがすでに売り切れ。
他の列車は三回も乗り換えなければならない。
直前に決めるからこうなる。

さてどうしたものか。

探し続けると、夜行バスがでて来た。

クラクフ23:40発
ウィーンに翌朝の6:40着



クラクフからウィーンまで、10€。







10€!?




安すぎる


寝台列車は一万近くするのに…


不安になり調べまくり、ヨーロッパに詳しいお方にも聞きまくる。




……



ラオスでオンボロバスに耐えれた私なら、きっと大丈夫だ!!

意味不明な自信が湧いて来て、10€の夜行バスで行くことにした。

とりあえずチケット確保。
どんなバス旅になるのだろうか…






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学ばない自分

2016-12-10 15:34:30 | Poland🇵🇱
12/9
朝イチの列車に乗るため、6時に起床。
パッキングを済ませ、イビキに苦しんだドミを後にする。

ホステルを出たのは朝7時頃。
プラハ中央駅までは約1.5キロ程なので、30分も見れば余裕なのだが、ザックを担いでいるし早めに出発した。

まだ薄暗いプラハの街中。

変な奴でもいたらどうしよう、念のためタクシーを拾おうかしら、とドキドキしていたが、似たような観光客や地元の人がたくさん歩いていたので安心して徒歩で駅へ向かった。


プラハ中央駅到着。



バス移動だったため初めて来たが、けっこう大きく立派な駅だった。

電光掲示板で自分の列車のホームを探す。

英語表記は無く、出発時刻で探した。
8:11、あれだろうか。



よくわからないままとりあえずホームに向かうが、誰もいない。
本当にここなのか、仮に違っていたとして、ザックを背負って走る体力は私にはない。

不安が募るが、奥にはすでに列車が停車していた。
よく見ると奥にもベンチがあり、数人が待機していた。
列車には予約した会社のロゴがちゃんと入っていた。
どうやらここでよさそうだ。
安心して待つことにした。





Leo express

車内はWi-Fiと電源も完備。
電車に乗り込む。
またボックス席だった…
しかも相席、周りはガラガラなのに何故…

ここではチケットの確認がなかった。
ヨーロッパはこれが普通なのか?


3時間半程列車は走り、国境付近の駅で停車した。
ここからはバスに乗り換えだ。

駅を出るとすぐ近くに同じ会社のバスが停車していた。
ここではチケット確認をされた、かなり適当だったが…
バスはほぼ満席。

バス内は賑やかだった。
今まで何度かバスに乗ったが、賑やかなバスは久しぶりだった。


雪が残っているところもチラホラ。
寒いのだろうか、少し不安になる。


バスターミナルに着いた。



8カ国目、ポーランド



ポーランドもEU加盟国だか、€は使えない。
通貨はズウォティ(zloty)。
噛みそうな名前だ。
1PLN=27円


ザックを拾いあげ、ホステルを探す。

今回のホステルは若干駅から遠い。
しかしキッチンがあり自炊ができるので、そのホステルにした。
マップを開く。

駅から約3キロ。
ノルウェーと違って雪道な訳じゃないし、とうにかなるだろう。


しかしすぐに後悔した。



ザックを背負って3キロはけっこうキツイ。


どうして私は同じ失敗を繰り返すのだろうか…
ザックの重みが肩にのしかかる。
重い…
しかも雨が降って来た。
なんちゅうことだ、のんきに休憩などしていられなくなった。

疲れた体に鞭を打ち、必死に歩いた。
オーバーに聞こえるかもしれないが、本当にキツイ。
もともと体力がないから尚更だが、前後に背負って歩くのは中々疲れる。


ホステルは三階にあった。階段なし。
息を荒くしてようやく到着した。

オーナーに部屋を案内してもらってから、すぐにベットに倒れこんだ。

夕方になってから、近くのスーパーへ買い出しに行った。
ノルウェー以来のコーンフレークをゲット。
そして間違いなく牛乳も。


ホステルに帰り、パスタを茹でる。
購入したソースは、お湯を加えて混ぜるだけの簡単なものだが、ポーランド語のためよくわからないのでホステルのオーナーに読んでもらった。



「これは、炒めた肉を加えて、お湯を混ぜて煮込むみたい。肉は買った?」


…え?肉?




お湯を加えるだけじゃなかったの?




ただのトマトソースか…
まぁ別にそれでもいいや、と思っていたが、哀れに思ったのかオーナーの奥さんがソーセージをくれた。

しかもソースの準備まで全部やってくれた。



ありがとうございます…



ポーランドのパスタは、モチモチしていて美味しかった。
ただのレトルトのパスタソースだったが、とても美味しくて満足した。
最初に写真を撮り忘れた…




6人ドミだが、今夜は私1人。
ゆっくり寝ることができた。




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