Trips with my RV.

RVでの小旅行。

体外離脱? オマケ

2012-02-26 18:15:14 | 独り言
ヘミシンクは危険だと・・・御指摘を頂きました。毎度の事ながら言い訳めいてしまうけど・・・私は、特にヘミシンクの使用をお薦めしたツモリも無いし、私自身はヘミシンクを使った事は無いので効能の実証報告にも成り得ません。ヘミシンクの危険性について書かれた多くのWebサイトのURLを教えて下さったので、読んではみましたが、私には真偽の程は良く判りません。私信の転載は致しませんので、ヘミシンクの危険性を拙ブログでも公表すべきだと思し召しならコメント欄へお書き下されば、そのまま掲示されます。又、「ヘミシンクを使った人が脳障害を起こしたと医療関係者が報告して」いる・・・とお教え頂いたエピソードはWeb上で複数確認しましたがWeb上に書かれている事が事実か否かは、私には判りません。

今回は「低級霊」に憑依される危険性云々を、ネタとさせて頂きます。

どちらかと云うと今回の記事はモンロー研やヘミシンクには好意的な記事では無かった筈なので、信奉者様からのクレームを想定したのですが、否定論者様から叱られるとは想定外でした。モンロー研のWebページを一昨日見てみて低級霊云々の記述に驚いたのですが、否定論者様もモンロー研と同じく低級霊に憑依されると云う危機感を煽るんですねぇ。

何を以て、低級・高級とするのかは良く判りませんが、人を惑わす霊を低級霊・人を導く霊を高級霊と呼ぶのか、又は、人より知能の低い霊を低級霊・人より知能が高い霊を高級霊と呼ぶのしょうか?因みに・・・、私の子供時代の体外離脱や、成人後の体外離脱「体験」や明晰夢に於いて、低級霊と名乗る存在には遭った事が無いのです。確かに、そんな風に思える存在に会う事は在りますが、妄想=幻想としての体外離脱体験の中で出遭う悪意の存在は、自分自身のシャドー(自分の影)に過ぎません。

シャドー(影)とは、個人に於いて生きてこなかったもうひとつの側面であり、意識にとって許容できない自分の暗黒面の事です。シャドー(影)は、しばしば悪や恐怖の対象としてイメージ化され否定的な意味合いを持つ場合が多いのですが、シャドー(影)を恐がり避けるのではなく向かい合い、自分自身の生きなかった側面として理解する事で得体の知れないシャドー(影)への恐怖の大部分は消えます。このシャドー(影)との対峙の際に「共に戦い励まし助けてくれる存在」に出会う事も在りますが、それも高級霊と云うモノではなく自分の一部分です。それが証拠に、指導者の役割をする存在が現れた場面では、自分自身を外からの視点で見ている筈です。恐怖は消えても、シャドーとの対決に簡単に勝利し統合が出来るとは限りません。シャドーは、自分自身の生きてこなかった側面ですが、闇に潜みながら自分に代わって外に出るチャンスを常に狙っています。

洋の東西を問わずシャドウとの対峙対決を描いた創作物も多いです。古くは、荒れ野で修行中の釈迦を誘惑しようとした魔王の娘達、荒野で修行中のイエス・キリストを誘惑し続けたサタン、エデンの園で「禁断の樹の実」を食べるようにイブを誘惑したルシファー、映画「スパイダーマン3」の黒いスパイダーマン、邦画『ゲド戦記』における「影=名なき者」、映画「スターウオーズ」でアナキンやルークの前に現れたダークサイドからの者・・・等々も、シャドー(影)です。フィクションの中でも壮絶な戦いを経て、それらフィクションの中では(イブ以外の)主人公はシャドーに勝利しています。

釈迦やイエスやスパイダーマンではない一般人である我々が、自分自身のシャドー(影)と対峙対決する機会は、それこそ体外離脱「体験」の中や明晰夢の中でしか起きません。日常生活の中では、自分自身のシャドー(影)は自分自身や他者に対する悪意として現れる事は在るのですが、向かい合って直接対決する事は希です。ですが・・・、日常生活に於いて対峙対決するシャドー(影)は自分自身に悪意を持つ他人のシャドー(影)である場合の方が多いカモ知れません。シャドー(影)との対峙対決に勝利する方法は、体外離脱時に於ける仮想現実内の自分自身のシャドー(影)に対しても、現実社会に於ける自分自身のシャドー(影)に対しても、他者のシャドー(影)に対しても、同じ手段で戦い勝利する事が可能だと思っています。

それは、先ず1人で戦う姿勢を見せる事です。シャドー(影)との対峙の際に「共に戦い励まし助けてくれる存在」として自己の一部が登場する事が在ると書きましたし、恐らく、それを高級霊として自らを導き助ける存在としてモンロー研や他の体外離脱を奨めるサイトでは良い評価をしています。ですが・・・、誰かに味方して貰いたいと云う甘えや同情や共感で自分を助けて貰おうとすると負けなくても、絶対に勝てません。

助太刀無しで1人で戦うのがセオリーですが、シャドー(影)は卑怯な狡い頭脳プレーで攻撃してくるので、衆目の中に戦いを晒け出す事です(例えば、いじめっ子に立ち向かうのは教室の中で行うべきで、体育館の裏で立ち向かっては駄目です)。体外離脱「体験」の中での戦いは明るい光の中に引き摺り出し、現実社会の中での戦いは衆目の中に引き摺り出すのです。シャドー(影)が狡い卑怯な戦いが出来ない(出来にくい)様に多くの視線の中で戦います。

戦い方は、シャドー(影)のレベル(同じ土俵)で戦っても消耗戦となってしまうので、毅然とした態度で大人として接します。シャドー(影)は、人が成長する過程で抑圧した自我の典型例として幼児性を残した子供です。子供じみた妥協案と云った理不尽な要求を繰り出してきますが、大人として、上から見下して徹底的にNoと告げます。シャドー(影)に妥協したり、同情したり、取引をしては駄目です。

シャドー(影)の弱点は、無視され捨てられてしまうかもしれないと云う恐怖です。シャドー(影)の本心は自分という存在を無視しないで欲しいと云う愛情への渇望です。恐れない事、毅然と接する事、大人としての厳しさを自分自身にもシャドー(影)にもキッパリと突き付け、大人のルールに従わないシャドー(影)を徹底的に無視する事です。シャドー(影)との戦いで、相打ちを恐れてはいけません。逆に、自分が無傷の完全勝利を収めると確信して一切の妥協をすべきではありません。

シャドー(影)との戦いの目的は、物心ついてからの自分が、大人になる(社会性を身につける)課程で切り捨てて抑圧してきた自分の分身を、自分の「心」の奥底に隠して自分自身も忘れてしまった「生きられなかった、もう1人の自分」であるシャドー(影)を見つけ出し、掬い上げ、労り労いつつ、共に大人としての厳しさを課し、自分自身の人生を切り開く力となって貰う為に統合する事です。

文学的素養が無いので、シャドー(影)の戦い方は、映画「スパイダーマン3」や邦画『ゲド戦記』等、その他フィクションをを見て頂いた方が早いカモ知れません。

悪い霊や怖い霊を何故見るのか?夜道や暗闇では何故幽霊が怖いのか?ですが・・・、兎に角、人とは見たいと思っている風に見てしまう・・・いや、その人が信じたい風に見てしまうものなのです。体外離脱「体験」で訪れる世界は、良い霊や悪い霊等と云うのが勝手に存在している物質世界から超越した多次元の世界ではありません。何れにしろ、低級霊に憑依されるとか・・・と云うビジョンを見たとしても、それは自分自身のシャドー(影)の仕業だと思います。体外離脱「体験」で訪ねる世界は大部分が脳内の仮想現実に過ぎません。

自分の脳内に単一の『私』あるいは『自己』が存在すると云う概念は単なる幻想で、貴方の中には貴方の気が付かない別の存在がいて、貴方の知らない或いは気付いてないところで、その存在の為すべきことをしているのです。その単一の『私』以外の存在こそが、良い霊であり悪い霊の正体です。恐れるべき悪霊が物質世界を超越した体外離脱「体験」で訪れる世界で待っているのではなく、それは初めっから貴方の脳内に、何かを果たす為に物心ついた頃から存在しているのです。

それと一連の記事では書きませんでしたが、側頭葉辺縁系には「神の座」と呼ばれる部位がある事が知られています。この部位に損傷があって癲癇症状を引き起こす患者は度々霊的体験をし、宗教的な問題に取り憑かれる事が知られています。こうした側頭葉癲癇を発症した患者が現す特徴を「側頭葉人格」と呼びます。特徴として「ささいな出来事に宇宙的な意味を見出す。」「ユーモアに欠け、ひどく尊大で、毎日の出来事をことこまかに日記に記録し続ける傾向(過書字と呼ばれる特徴)がある。」「患者の一部は、理屈っぽくて細かいことにうるさく、そして哲学的、神学的な問題にとりつかれたように没頭する。」と在ります。

この「側頭葉人格」について書いてしまうと、歴史上の宗教上の聖人達を左半球側頭葉辺縁系の癲癇患者に貶めてしまう事になってはマズイと思って避けていました。又、側頭葉癲癇でない健常者でも、強力な磁気刺激装置(MRIの様な装置)で左脳側頭葉を刺激した時に不意に神を感じたと云う報告がカナダの心理学者 M.パーシンガーがしていたとV.S.ラマチャンドランが書いています。臨死体験をさせる脳の部位、死後の体験をさせる脳の部位、体外離脱体験をさせる脳の部位・・・の他に、神の実在を感じる脳の部位が、総ての人に存在すると云う事は、先に書いた様に歴史上の聖人を貶める恐れと同時に、洋の東西を問わず総ての世界の総ての人々に神の概念が存在する理由だとすれば・・・宗教さえ貶めてしまう事に成るのカモ知れない。だが、因果関係の未知の原因を担う超越する存在は,善悪の普遍的基準を背負うためにも必要不可欠だとも云えるのカモ知れない。だとすれば、神を信じる事が集団にいる人の生き残りに有利になる・・・として聖人の痕跡器官を持って人類は産まれてきたと考える事も出来ます。(但し、不遜の極みかも知れませんが・・・).

余談だけど序でに書いてしまえば・・・、1997年のポケモンショックで知られている通り、1秒間に 20~50回程度の激しい光の明滅と云う光刺激で癲癇発作が誘発される例や、ドラッグや機械に頼らない体外離脱のトリガーとして使われる過呼吸も癲癇発作を誘発するとして知られています。一部のα波バイオフィードバック装置は当に光刺激を使用しているので体質によっては危険です。凡そ、1回のみの急性発作に終わる事が大部分らしいのですが、急性発作が再発した場合は今後も痙攣が再発したり重積する可能性が残ります。私には未確認ながらヘミシンクも同様の危険性を秘めている可能性を否定出来ません。場合に依っては、発作に至らない癲癇症状を引き起こす事で、臨死体験や、体外離脱体験や、神等の超越者の実在感を感じさせる装置だとすれば長時間・長期間の使用は確かに危険かも知れません。

危険と云えば、私発案のお手軽体外離脱「体験」ごっこにしたトコロで、何の危険性も無いとは言い切れません。トリガーに使うのは、自分の体の中に魂が入っていると云う錯覚との違和感・・・と云うソフトなシロモノなので大きな脳障害には発展しないと思うし、自律神経訓練法ではネガティブな(御自身の今後の人生にとってマイナスに作用する)詠唱や祈念させしなければ大きな害は無い筈。そもそも、体外離脱「体験」をすると云う無理難題を最小限のリスクで行う方法なんだけど、最小限でもリスクはリスクかも知れない。この方法を教えたのは2人だけだが、2人とも1~2ヶ月で自分の体からの分離飛翔に成功したそうなので・・・興味の向きの方は自己責任でお試し下さい。質問は・・・メールよりはコメント欄にお寄せ下さい。

#この手の妄想系ネタは・・・些か面倒なので・・・もう止めようかと思っています。
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-02-27 11:45:26
体脱は妄想だと思うけど、アルファ波が悪いなんて世の中の常識に反します。訂正したら?
Re: Unknown (軽薄な店主)
2012-02-27 12:13:10
コメント有り難う御座います。

> 体脱は妄想だと思うけど、アルファ波が悪いなんて世の中の常識に反します。訂正したら?

α波に関する世の中の常識・・・って云う奴を私は詳しくは知らないのですが、特に、α波が悪いと書いたツモリはありません。

α波の正体には諸説あって、(1)視床部のα波の発振回路(ペースメーカー)に誘発されて無活動状態のニューロンが同期して発振している状態。 (2)大脳皮質と脳幹視床部との間の反響回路。 等々と云われています。何れにしろ、神経回路を長時間無信号状態に置くと同期して立ち上がる事が困難になる(時間が掛かるので)・・・一種の暖機運転なのカモ知れません。

α波優位の状態とは、脳が覚醒していて休んでいる時の脳波だと云われています。α波優位・・・と面倒な言い回しをするのは、もし脳波が総てα波だけだと脳が活動していない=意識がない状態です。又、脳が活動している時は総てがβ波だと云う訳ではないなので、手慣れた仕事をしている時等は、活動している部分はβ波を出していても活動に支障が無い部分はα波を出している=全体としてα波優位の状態となります。そんな時の事をリラックスしていると呼ぶのでしょうね。手慣れて鼻歌交じりで出来る作業ばかりやっているとα波優位の状態になるのでしょうが、そんな生活をしていると早くボケるカモ?α波に関連する世の中の常識・・・を似而非科学とは申しませんが、少なくともα波優位の状態とは、論理性が弱まり被暗示性が高まった状態です。理性に邪魔されて出来ない「アイディア」を閃くには良い状態なのでしょうね。

これは昨今の脳トレブームの真逆のブームだと思います。

脳トレ・・・と云う訳ではないけれど、脳を激しく使っている時は、α波は消失しますがβ波も大幅に減少(脳波計上)します。脳の部位毎に並列的に分散処理が活発になるので脳波の電位は下がってしまうのです。トポロジーマップでは周波数毎に2次元マップで分かり易く表示していますが、どう云った設定で表示しているかで見た目は大きく変わります。

尚、バイオフィードバック等に頼らなくても、多分リラックスしている時は誰でもα波優位の状態になっている筈ですよ。意図的にα波優位の状態にしなければならない理由・・・と云うのが私には理解できないダケです。もしそれで心の平安が得られるのだと思われるのなら、お好きになさるのが良いと思います。尤も高齢になると・・・α波優位の状態が多くなるので、年を取るのも良いのカモ?

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