『守破離』

『つかさんダイアリー』

私のダイエット…食事制限

2012年07月30日 | Weblog

先週末は、ふるさと茂木町にある八雲神社の夏の例大祭「祇園祭」でした。


お祭りとか、イベントごとはダイエットにとって、とっても厳しいですよね…お酒に、ご馳走…
今朝、体重計に乗ってみると、76.7kgかろうじて76kg台をキープしておりました。
しかし、ちょっとまずい傾向なので、本日からも気を引き締め直してがんばります。
(って今日の夜はJCの集まりがあるんだよなぁ…)

さて、昨年の11月から17kgのダイエットになんとか成功しましたが、皆様から「どうやったの?」という質問が一番多くいただきます。
私のダイエットは、
93kg→80kgは、食事制限 (11月~5月)
80kg→76kgは、食事制限を緩やかにしつつ、筋トレ中心のトレーニング (5月~現在)
という感じで進めてきました。

本日は、私のダイエットのメインの取り組みの「食事制限」について、恥ずかしながら公開させていただきます。

いろいろダイエットに成功した人に聴くと、やっぱり摂取カロリーと消費カロリーのバランスが一番ということがわかりました。
ただ、摂取カロリーの減らし方を間違えると、身体が飢餓状態を起こして、身体に脂肪をため込もうとすることもわかりました。
つまり、栄養のバランスを考えながら、いかにカロリーを減らすかということですが、これがなかなか難しい。

結果から言うと、
1.朝食、昼食、時には夕食など、一日一食~二食を、プロテイン栄養ドリンクに置き換えた
2.栄養補給、細胞活性化、免疫力向上、デトックスに有効な「クロレラミン」を食べた。
3.夕食時は炭水化物をできるだけ少なくした。
4.お弁当などは、ご飯を半分にするようにした。
5.一日2000kcal以下くらいを目安にした(これはかなり適当な計算)
6.食べなければ周囲の雰囲気を壊してしまう時は、食べて、二日間もしくは三日間のトータルカロリーで考えた。
7.お酒は控えていません…

これだけで5月までに93.7kg→80.0kgになりました。
最初のころは、朝食はほとんどプロテイン飲料でした。
昼食は弁当食べながらのランチミーティングが多いので、できるだけご飯を半分残したり、揚げ物を残したりしました。
何も予定がない昼食はプロテインにしました。 飽きた時は素うどんとか…
夜は炭水化物を取らずにおかずのみ、できるだけ少なくしました。

特にJCでは、夜の会議(だいたい19:30~22:00)では、おなかが減ってしまうので、ダイエット開始前までは、会議の前に、そばとかカレーとかおなかに入れてから、会議に臨み、会議が終わると、みんなで飲みに行って、最悪はそれからラーメンまで食べていました。
ダイエット始めてからは、会議前に、このプロテインドリンクを飲むだけ、飲みに行っても、おつまみは極力減らし、ラーメンはご遠慮させていただきました。

ちなみに、私個人としては、ダイエット商品に頼るのは、それまで完全に否定的でした。というか、嫌いでした。
・なんだかこういうのに頼るのって、自分に負けている感がする。
・人工的なもので、健康的なイメージでない。
忘れもしない昨年の11月18日、家内の買い物でドラックストアに立ち寄った時に、ダイエット商品売り場の前で、ふと足がとまりました。
「こういうのに頼るヤツは、自分にまけているんだよな」と、立ち去ろうとした私に、
「そういうお前は、太り続けていて、すでに自分に負けているんじゃないか? くやしかったら痩せてから言え」
と、どこからともなく声が聞こえたような気がしました…

ううう…、まいりました…買わせていただきます。
絶対やせてやるぅぅぅ!

これが、私のダイエットの始まりなんですよね…

こういう商品は、賛否両論だと思います。
ある人からは「こういうのって、リバウンドがすごいからやめた方がいいよ」とも言われました。しかし、リバウンドって、痩せてから考えることで、まずは痩せられないのに、リバウンドのこと心配しても仕方ないじゃんと感じました。

それでも、やっぱり人工的なものだし、減量なので、体力が落ちたり、免疫力が落ちたりすることが心配でした。

そうです、そんなときは! ジャーン! クロレラミンがあるじゃないか!(弊社で販売しております)
これはすごいです! 減量中も、全然体力も落ちないし、栄養バランスが整うから、へんな腹の減り方はしませんでした。
お問い合わせは私まで(^^


特に、急激なダイエットで、身体が飢餓状態を感じると、肝臓が脂肪を貯めようとがんばってしまうようです。
だから、カロリーを抑えても、食事のかなの脂肪分を、一生懸命取り入れようと身体が頑張っちゃうみたい。
だからカロリーを減らすだけではだめで、栄養バランスを整えるのが重要。
クロレラミンは、栄養バランスを整えるのはもちろん、脂肪を吸収しにくくしてくれる働きがあるんですねぇ。
クロレラミンそのものにダイエット効果があるというよりも、効果的にダイエットできるような身体にしてくれるということですね。
試してみたい方はご連絡くださいね(^^)v
(ものすごい営業トークになってるな…)

これまでの私は、「減量」をすると、身体に悪い!というイメージ先行で、やっぱり食べないといけないよなと考えていました。
で、結局は単なる「食べ過ぎ」なんですよね…
これまでの食事量の半分にしても、十分生きていけるカロリーは摂取している(どんだけ食っているんだって感じですが)
むしろ、栄養バランスの方に集中して、量は本当に少なくすることを心がけました。

最初のころは本当にみるみる体重が落ちました。
やっぱり、仕事でも勉強でもスポーツでも、努力が結果に表れるって、うれしいもので、やる気が増してきます。
周囲から「あれっ?痩せた?」なんて言われると、よりうれしくなっちゃってもっとがんばっちゃいます。

ただ、過度なダイエットは、続かないどころか、身体にも危険なので、「ちょっとだけがんばる」を「ずっと続ける」ことが重要じゃないかと思いました。

私がダイエット始めたのが、11月の中旬。 そう、忘年会のシーズンが始まるときですよね…
そうでなくても、私のような経営者であり、JCのような団体にいくつも所属していると、飲み会が多い…
生活も不規則になりがちです。
それなのに、どうやって減量できたのか?
なぜ今まで減量できなかったのか?

そんなところは次回、「私はこうやってピンチをしのいだ」編とでもしてみましょうか?


私のダイエット方法公開…リバウンドしないために…

2012年07月27日 | Weblog

昨年11月18日からダイエットを続けています。
「ダイエットするぞ!」と周囲に大声で宣言したときは、ことごとく失敗してきたので、こっそり心に決めて、取り組んでみました。
ダイエット中、途中経過を面白おかしくブログに書くと、失敗したとき格好悪いと思って、書けませんでした。
それから約7か月、93kgオーバーの体重は、な、なんと、17kg減の目標体重の76kgになったではないですかぁっ!

我ながら、よくやったもんだ。 でも、あまりきつかった感はなくて、けっこう楽しく続けられたんです。
じゃぁ、今まではなんだったんだ? という感覚だが、とりあえず、目標はクリア。

昨年のお祭りの写真があったので、おもしろおかしく、ビフォーアフター的にフェイスブックに掲載したら結構ウケました。



友人から「ダイエット方法教えてくれ」というリクエストもいただいたので、もういったん成功したから、ダイエット方法を公開しようかなと思い立って、ずっと休んでいたブログを再開しようと考えました。

今になってダイエットのプロセスをブログに書く理由は、
・自分のダイエット方法を公開することで、リバウンドできないプレッシャーを自分自身に課す。
・ダイエットをやっていてつくづく感じたのが、けっこう経営とか自己成長に通じるところがあるなと思って、プロセスをまとめてみたい。
・「忙しい」、「飲み会が多い」という言い訳の中、ダイエットすることすら考えようともしない経営者(特にJCメンバー)に、いやいやそんなことないみたいだよと言いたい。
・ダイエットしたら、血液検査の値も、ほぼ正常になって、健康的になったので、人生の折り返し地点である同年代の方に勧めたい。

ただ、注意点は、まったく自己流のダイエット方法で、とりあえず結果がでたので、やってきたことを書くだけなので、もしかすると間違っていることを書く可能性があります。その時は、ぜひご指摘なりアドバイスください。
これは、会社経営も同じで、誰か成功した経営者のマネをすることは、とっても有効だと思いますが、成功を約束するものではないと思います。
自分自身の体調とか、生活環境とか、好み(これが一番大切だと思いました)に合わせたやり方が一番だと思います。

私のダイエット方法は、ごく簡単にいうと、前半は「はやりもの」を取り入れた食事制限と自己流の理屈でのカロリーコントロール。
後半は食事制限だけだと飽きるのと、なかなか体重が減らなくなったので、やはり「はやりもの」を中心としたエクササイズで体を絞りました。
一度に詳細まで書くと、えらく長くなってしまうので、これから何回にわたって詳細を書いていきますね。

とはいいながら、私もやっと肥満体重のエリアから、標準体重のエリアに足を踏み入れたばかりなので、これからは無理せず少しずつ、より健康的な身体づくりに励みたいと思います。

では、詳細は次のアップより(^^)v
ブログも、ダイエットと同じく、続けることが大切だということはわかっているんですが…


40歳の節目に パート2

2012年03月09日 | Weblog

前回からの「続き」のアップです。

伊那食品さんでの、貴重な経験は、本当に私の心に深く刻まれました。
本当に感謝感謝です。

あ、そうそう、私たちがお邪魔させていただいている同じ日に、会社説明会が開催されていました。
大卒の採用は12~13名程度とのこと。 そこに、な、なんと、2800名の応募があるとのこと…
長野県伊那市ですよ…  全国からいらっしゃるそうです…  恐れ入りました…

研修の後は、かんてんぱぱガーデンの「さつき亭」で美味しい昼食をいただき、その後、しこたま寒天商品を買い込んで、伊那食さんを後にしました。

続いて向かうは、「夢ケーキ」で有名な菓匠Shimizuさん。
こちらは、急きょ清水シェフと私の対談形式の設定になり、鬼澤先輩に補っていただくということで進行しました。
こちらも、参加者には事前に著書「世界夢ケーキ宣言」を読んでいただいています。
清水シェフのここまでの道のりの心の変化や、そのきっかけなど本音で語っていただきました。

・親に感謝できない経営者は、社員にもお客様にも本物の感謝ができない。
 そんな経営者がいい会社をつくれるはずがない。ということを、自分の戒めにしているとのこと。
・社員が自ら育つ、スイッチが入るチームにするには特別な技術なんていらない。
 対話の絶対的な量の問題で、清水シェフは、とにかくメンバーと対話することを実行している。
・対話の量は、会社だけでなく、家族も同じこと。
 家族を大切にできない人が、本当にいい仕事はできるはずがない。
 だから会社として親孝行をとても大切にしているし、家族を呼んだ感謝祭を実行している。

んんん、対話の量…  
自信をもって足りていると言える人はどのくらいいるだろうか…(会社も、家庭も…)



本当に素敵なお店で、スタッフの方々もイキイキと輝いていました(^^


さて、40歳の節目の誕生日に、このようなすごい体験をするというのは、偶然なのでしょうか?
私は、サムシンググレートの声がはっきりきこえました。
「わかっているよな? これからお前がやるべきことを!」と…

「人」である。
「人の幸せ」である。
まだまだ、現状は程遠いかもしれないけれども、そこに向かっての旅にでる。
遠く、厳しい道のりかもしれないけれども、目指す場所ははっきりした。

一人の旅ではない。
仲間がいる。家族がいる。

そんなことも強くかんじさせていただきました。

一日目の懇親会です。
本当に多くの方に誕生日をお祝いしていただきました!



なんと、菓匠Shimizuさんのケーキ!

そして…


原伸介さんのお座敷の会でお互い日本酒好きを認め合った伊那食品の田中さんから…
すごいお酒をいただきました!!

 

なんと、ラベルと説明書きを私のために作ってくれたとのこと!
見えますかね? すごいです!!

で、
 こうなって…

こうなっちゃいました…

この後、スピーチをさせていただき、みなさんの前で、
社員から「この会社で働いていてよかった!」
お客様から「あなたの会社に頼んでいてよかった!」
地域から「あなたの会社があってよかった!}
という会社を作りますと宣言させていただきました。



さらに、さらに!
二日目の菓匠Shimizuさんの研修が始まると同時に、ものすごいものが!!!


これです↓



な、なんとぉ!! トラックのケーキではないですかぁ!!
一緒に行った、芳賀通運の永山課長が、菓匠Shimizuさんと打ち合わせをして注文してくれたとのこと。

こちらがパティシエールさん(っていうの?)


今回同行してくれた、芳賀通運・宇東梱包運輸の頼もしいリーダーたち。

これは、完全にやられました! 
興奮して、大はしゃぎしてしまいましたが、席に着いた途端、胸が熱くなりました…

本当に本当にありがとうございました!

清水シェフと仲良しのゆう姐からも、素敵なクッキーのプレゼントをいただきました!


これは、もうやるしかない!


研修の最後に、鬼澤先輩から、またありがたいアドバイスもいただきました。

鬼澤先輩:みんな、すごく勉強になって、明日から劇的に変えてやろうと思ってない?
私: (完全に思っている)
鬼澤先輩:そんなに簡単に組織が劇的によくなるものではない。
            劇的な変化を期待すると、あまり変わらないときに、ダメじゃないかとあきらめてしまう。
       そうじゃなくて、変化は少しずつおきるものだ。 
       そして、ある臨界点を超えた時に、大きな変化が現れるんだ。
私: …汗 (前にも同じことを何度も聞いているのに、すっかり忘れていた…)

鬼澤先輩:みんな、とりあえず明日、できることから始めようと思っていない?
私: (そりゃできることから始めますよ!)
鬼澤先輩: 「できることからはじめよう」と簡単に思う人がはまる落とし穴がある。
        それが、「できることしかやらなくなる」ということ。
私: …ギクっ (今の自分がそうかも…)

つまり、今回のベンチマーキングを通して、あるべき姿、どんな会社にしたいのか、自分がどうなりたいのか、何のためにそうするのか?
という本質、根本のところを考えることが大切。
明日から、そこに向かう一歩を踏み出すという意識が大切。
そうじゃないと、いつまでたっても「できることだけやる」という繰り返しで、やらないよりはいいけど、継続的な成長ができない。

行先が決まれば、そこに行くために、できないこともできるようにするだろうということですね。



さぁ、40歳のスタートで、新たな旅の一歩を踏み出しました!

でも、すぐぶれる私… 
この弱さとも40年間つきあってきました。

だから、学び続けます。 
私には、良い師匠、良い仲間がいます。
これからも、生かされていることに感謝して、精一杯歩き続けたいと思います。


40歳の節目に!

2012年03月08日 | Weblog

昨日、40歳の誕生日を迎えることができました。
これもひとえに、父母が私を生んでくれたおかげ、多くの方々に生かされてきたおかげと、
感謝感謝でございます。

40歳の節目の誕生日は、宇東梱包運輸が所属する事業組合の青年部の仲間と、伊那食品工業様
に研修にきております。鬼澤先輩に同行していただこうと日程調整をした結果、偶然3月7日に信州
伊那地域経営研究会の勉強会で伊那に来ているとのこと。その日程に乗っからせていただき、
一日目は、伊那食品工業様の塚越専務を中心に勉強会、夜は信州伊那地域経営研究会に混ぜて
いただき、勉強会の後は、合同の懇親会。
二日目は、朝から、伊那食品工業様の朝の掃除、朝礼、ラジオ体操に参加。
そしてなんと塚越寛会長との勉強会を90分もいただきました!
その後、新入社員・3年目・6年目の社員さんを囲んで勉強会をさせていただきました。
その後、お昼をはさんで、「夢ケーキ」で有名な菓匠Shimizuさんで、清水シェフを囲んで勉強会。
なんと、濃密で、素敵な2日間なのでしょう!


 

一日目、塚越専務にご案内いただき、会社の概要のご説明や、工場や施設をご案内いただきました。
塚越専務とは、2004年日本JC経営資質開発委員会で一緒に学んだ仲間で、私たちを温かく
迎えてくださいました。
それにしても、伊那食さんは、その敷地に足を踏み入れるだけで、穏やかで優しい空気が流れている。
社屋に入り、社員さんにご挨拶いただくと、一流ホテルのおもてなしを感じる…
ここにいて、息をしているだけで、自分に何が足りなくて、何をすべきか教えてくれます。

夜は、信州伊那経営研究会との合同勉強会。




講師は鬼澤さんです。
・ファシリテーターとは何か、なぜファシリテーターが必要な時代になったのか。
・将来がある程度分かっている変化が比較的の少ない時代は、中央集権トップダウンでよかった。
・トップも将来がわからない変化が激しい時代は、現場で考え、話し合うことが重要。
 (変化は現場でおきている)
・「日本人の社員は優秀だ。課題を与えれば高いレベルで遂行する。
  しかし課題がなにか見つける力がない」(カルロスゴーン)
・リーダーがまず自分に問いかけなければならないこと
 「この状況の中で、自分はどう貢献できるのだろうか」
 「私は人の成功のためにどう貢献できるだろうか」
 リーダーシップは、リーダーのものではなく、メンバーの目の中にある。
・よきリーダーになるためには、まず自分をリードする。そして、人をリードし良いチームをつくる。地域の人をリードし、良い地域を創る。
・リーダーシップに大切なのは「共感」

んんん、まさに「共感」が足りないように感じた…

合同勉強会の後は、合同懇親会!
これがすごかった!  のちほど書きます…

二日目: 朝7:50から掃除、朝礼

伊那食さんの掃除は、本当にすごい…参加させていただきましたが、掃除するところがない…




毎日の掃除で、高所作業車が出動して、赤松の皮むき作業をしていたのには驚きです!


休みの日でも有志の社員が出てきて、敷地を掃除しているのだといいます…

ラジオ体操も半端ないです! 本気のラジオ体操です。
みなさん声出してます、でも気負った感じは全く感じません。(塚越会長が一番声出していました…)




9:30より、今回のメイン塚越会長を囲んだ勉強会。 
参加者には、事前に著書「いい会社をつくりましょう」、「年輪経営」を読んできてもらい、最初から質問形式での対話型勉強会。
なんという贅沢なのでしょうか…

一番ぐっときたお話しを紹介すると。(うまく書けるかな?)
会長: 会社というのは、倒産するものだ。 倒産するのが自然で、永続というのが不自然なんだ。
私: …? (理解できない)
会長: 飛行機に例えると、落ちるのが自然でしょ?
私: …? (まだ理解できない)
会長: つまり何もしないと、重力で落ちるよね? だから一生懸命飛んでるんでしょ?
私: そういうことかっ!!
会長: つまり、会社も放っておくと必ず倒産する。
     だから、みんな一生懸命、倒産しない方に会社をもっていかなければいけないんだよ。

なぜ、会社は倒産に向かうのか、それは人の欲だ。
経営者は私腹を肥やそうとする、社員はできるだけ休みたいし、給料は上げてもらいたい。
これは人間して自然に発生する欲だ。
だから、放っておくと、必ず倒産する方向に向かうのだという。
だから、そうならないように、人の心を正しい方に導くことが大切なのだということだろう。

言ってしまうと確かに当たり前のように聞こえるが、全然そんなこと考えたこともなかった。

・まず人ありき、売上も利益も、人の幸せのためにある。
 製造工場でありながら、ほとんどの方が正社員だという。製造業ではありえないのではないか?
 正社員として終身雇用できるように、売上も利益も少しずつ増える末広がりの年輪経営だという。
 売上や利益から、必要な人や人件費のありかたを考えるのとは、まったく逆の発想だ。



次に、新入社員・3年目・6年目の社員の方との勉強会。
本当に、会長が言っていることは浸透しているのか? 
実際現場では、違うこともあるんじゃない? (なんて思っている参加者は少なからずいたと思います)



参加者: 土日これらる人は掃除のために出社すると聞きましたが、押し付けられているって感じたことない?
3年目社員さん(女性21歳):
 ん~、やだと思ったことは最初はありましたけど、先輩たちも皆一生懸命やっているし、
 それに「私がやらなければ誰がやるんだ」って価値観を自分で持っているので…
 掃除をしないと、リズムが乱れちゃうんです。
参加者一同: … 
新入社員さん(女性22歳):
 土日は会社は休みでも、かんてんパパガーデンはやっています。
 土日の方がお客様多いのに、掃除する人が少ないっていうのは違うんじゃないかと思います。
一同: …

参加者: 今、会社では課題とか問題とかないの?
6年目社員さん(男性): 
 甘さがあるということですかね。 私たちは会社から守られています。
 普通の会社からみると、甘い環境にあると思います。 
 ゆでガエルにならないように危機感を持っています。
3年目社員さんも、新入社員さんも全く同じ意見…
参加者一同: …

絶対答えを仕込んであるに違いない!(と思った参加者は少なからずいたと思います)
塚越専務: 
 この子達には、昨日、時間空けといてとだけ言ってあって、何がおきるか何も知らせていません。
 とくにこの3人は、人前で話すのは初めてだと思います。
一同: …

すごすぎます…、これが伊那食品なのでしょう。
参加者一同、のけぞっていました。  

ううううん…ここまで書いて、あまりにも、長くなるので、 続きということで…
              


地域の魅力発見!

2011年11月06日 | Weblog

本日は、自分たちが住む(はたらく)地域の魅力を発見しよう!
ということで、塚本商会のメンバーとカヤック体験をしました。

きっかけは、保育園のパパ友達で茂木町役場の古田土君と飲んでいた時に、カヤックで那珂川下りの魅力を語られたこと。
地域密着の仕事をしているのに、地域のことを知らないのはよくないよな、ということで、社員みんなで体験しようということになりました。

社員とともに5名で、那珂川ステーションにお世話になりました。
会社から10分で行けるオートキャンプ場です。



参加者全員カヤックは初体験。
どきどきしながら、まずは流れがない入り江で練習。
インストラクターは古田土くんです。

なかなか面白い!!



休憩をはさんで、いよいよ那珂川を下ります。
本日は、鮭釣りの人が多い茂木地区ではなく、茨城県側を下ることになりました。



これは、面白い!!
両岸に紅葉が広がる那珂川を下ります。
川には鮭が遡上しています。 
鮭が本当に近くを泳ぎ回って、跳ねています! 「おぉっ!!」


静かに流れているようで、結構流れは速い!
ちょっとした瀬にさしかかると、けっこう盛り上がります!

おぉぉ!っと思っていたら!! 「沈!」
ひっくり返ってしまいましたぁ(>_<)
冷てぇ~! 誰か助けてぇ~!
メンバーは大喜びです…

ずぶ濡れになってしまいましたが、最高に楽しい川下りでした。





川下りから上がって、シャワー借りて、着替えて…

やっぱりアウトドアの締めは、BBQですよね。




会社から10分。

地元の魅力を本当に楽しませていただいた一日でした。

みんなで、この魅力を伝えていきましょう!!


がんばっぺ祭り!!

2011年09月04日 | Weblog

本日は、ここ数か月準備してきた、震災復興事業の「がんばっぺ祭」が開催されました。

昨日まで、今日の降水確率90%…
「絶対大丈夫だ!」という根拠のない言葉をみんな信じて、準備をすすめてきました。

で、結局、雨は降りませんでした!!
っていうか、晴れっ!!

当初、2000人の参加者を目標に掲げたときに、メンバーからは「ちょっと多すぎるんじゃない」という声もありました。

で、結局…数えていないのですが、軽く1万人を超え、1万5千人は来場していただいたということでした!

今、全て終わって、近くの旅館で懇親会中…

ですので、とりあえず写真でご報告です。



フードフェスタをはじめ、ブースの前には長蛇の列!
でも、みんな笑顔!!

みんなが期待していたハガグンジャーが降臨!!
めちゃめちゃ盛り上がりました!!
ショーのあとは、子どもたちから握手攻めだったようです。



印象的だったのは、ブースを出店してくれた方々が、みんな本当にステキな笑顔だったということ。

震災で元気がでなかった地域に、元気と笑顔を少しだけお届けできたと思います。

詳細は理事長のブログとか、真岡JCのHPとかで報告されることと思います。

 


次世代リーダーシップ育成講座

2011年08月22日 | Weblog

久しぶりのブログ更新で恐縮です。

土曜日に、弊社が所属する事業協同組合で「次世代リーダーシップ育成講座」を開催しました。
講師は、なんと水戸の鬼澤慎人先輩にお越しいただきました!!

「栃木県トラック運送事業協同組合」は、加盟11社で、普段より各社ともよい関係を築いてきた組合ですが、だんだんと後継者が30代~40代になってきて、各社の後継者が勉強しなさいといことで、今年の春から正式に「青年部」が設立されました。

その取りまとめ役として、理事会よりご下命を受けたのがこの私…
「勉強したいのであれば、まず全員、青年会議所に入会しましょう」と、言いってはみたのですが、なかなか受け入れられず、独自に勉強する場をつくりましょうということになりました。

正式な設立の前段として、今年の2月に、沖縄研修旅行を企画して、その事前勉強会として1月にセミナーを開催いたしました。
私の企画ですから、沖縄研修旅行は、鬼澤先輩が、2月に肝高の阿麻和利の卒業公演に行かれる日程を知っていたので、その日程と同じ日程にさせていただき、鬼澤先輩とともに、阿麻和利を鑑賞させていただき、沖縄教育出版様の朝礼に参加させていただき、川畑社長のお話しを伺い…ととっても贅沢な研修をさせていただきました。
もちろん1月の事前勉強会も鬼澤先輩にお願いいたしました…(自分で書いていながら、なんというずうずうしさなのだろう…)

そうしたところ、沖縄研修に参加した各社のメンバーから、
「是非、定期的に鬼澤先輩の勉強会を開催してほしい!!」
という強い要望が出て、正式に青年部が設立したということも受けて、一年目は、ぜひ鬼澤先輩に4回シリーズのリーダーシップ育成講座をしていただこうということに決定した次第です。

1月の事前勉強会で鬼澤先輩のお話しを聴いていた社長様方から、
「青年部メンバーだけじゃなくて、各社の次世代を担うリーダーも参加させてほしい、できたら俺たちもオブザーバーでいいから参加させてくれ…」ということで、総勢45名の参加者となり、活気あふれる勉強会となりました。

 


4回シリーズの第一回目ということで、今回は「変化を知る」「変化を知ることの大切さを学ぶ」ということから、その変化の時代に求められるリーダーシップの形とはどういうものかを、分かり易くお話しいただきました。

二度の世界大戦を経て世界の主役として躍り出たアメリカ、戦後奇跡の復興を遂げた日本、日本の台頭によって製造業から金融と軍事で世界を席巻しようとしたアメリカ、「グローバルスタンダード」の名のもとで世界を牛耳ろうとしたアメリカ、行き過ぎたデリバティブスの破たん、景気が良いとか悪いということではなく、世界で何が起きて、日本で何がおきて、そこから考えるとこれからどうなるか…。
これだけのことを、1時間足らずで、分かり易く説明していただけることは、参加者一同経験したことはないようで、食いつくように説明を真剣に聞いていました。

それだけでなく、リーダーシップの勉強の前に、話し合いの大切さ、リーダーシップを学ぶにあたっての心構え、ものの見方、考え方、について、いつもの通り、お互いの話し合いを通じて、参加者の価値観をすり合わせていきます。
どんどん場の雰囲気がよくなります。




私自身、鬼澤先輩に初めてお目にかかってから8年になり、それこそ数えきれないくらいお話しをうかがっていますが、今回も多くのことを学ばせていただきました。

学ばせていただいたことを、書くと、自分がどこまでわかっていて、どこまでわかっていないかが明確になるので、お話しの一部を書いてみます。 

『リーダーの仕事は、やっぱり「成果を出す」こと』

そのために、やらなければならないことは、
①「なぜそれをするのか」 メンバーに目的をしっかり伝えること。
②「何を実現(達成)しようとしているのか」目標を伝えること。  
この二つがメンバーに伝わっていないと、力が出ない。
そして、その実現のために、取組みや仕組みをつくって、生産性や効率を考え、自分達の仕事のやり方を変えていく。
ということをしていかなければならない… しかし、これだけでは成果が上がらないことが多い。

ここまでは「管理」であり、管理をすることは必要不可欠。
しかし、成果を上げるためには「管理できない」こともあることに気づかなければならない。

それが「人間」そのものであり、人の気持ちややる気は管理できない。
「仕事は管理できるけれども、人や組織そのものは管理できない」ということでしょうか。
やる気がない人に「やる気出せっ!」って言っても、やる気が出ないといことですね。

そこで必要になるのが「リーダーシップ」
仕事(取組み・仕組み)  …管理
人・組織            …リーダーシップ

管理できない人や組織の状態をよくするのが、職場の空気と雰囲気。
重い雰囲気⇒後ろ向きになる、できない理由を考える
明るく暖かい雰囲気⇒前向きになる、どうしたらできるか考える
「やる気」がでるかでないかは、その人の物事の捉え方次第できまるので、どんなピンチでも、前向きに考え、打開策を考えられる人と組織にするには、そういう空気・雰囲気でないといけないということです。
なでしこジャパンも、決勝のPKの雰囲気よかったですよね…

そして、職場の雰囲気に大きく影響するのが、リーダーの雰囲気。
現在、多くの会社で、業績を上げるのがとても難しくなってきている。
業績が悪いとどうしても職場の雰囲気が悪くなる。
その悪くなりがちな雰囲気をどうにかして、前向きになる空気・雰囲気にするのがリーダーの役割じゃないか。
雰囲気悪い時に「おまえらぁ、雰囲気悪いぞ!、もっと明るくやれ!」って怒っても雰囲気はよくならない…

と、いうことで、次回のセミナーまでの宿題は
①職場の雰囲気をよくするために、何をしていますか?
②自分自身の雰囲気をよくするために、何をしていますか?

次回からは、リーダーシップについて、学びを深めていきます。
「人や組織を輝かせる、未来を創るリーダーシップ」を、仲間たちと学ぶのは、本当にうれしいですね。
目を輝かせて、食いつくように鬼澤先輩の話しを聴く参加者の雰囲気をみて「本当にやってよかった」と思いました。


セミナー終了してからの、懇親会もとってもよい雰囲気で、横のネットワークを広げておりました。


弊社からも多くのメンバーが参加させていただきました。
多くの仲間と、厳しいけど素敵なリーダーシップの旅を一緒に歩くことができると思うと、なんだか胸がときめきますね。

鬼澤先輩、本当にありがとうございました。



南三陸町 平日炊き出しミッション

2011年06月14日 | Weblog

一か月ぶりの宮城への炊き出し活動です。
5月より真岡JCでは、塩釜の矢部先輩のお導きで、平日の炊き出し活動を展開しようと、チームを組んで交代で炊き出しに行く活動にシフトしています。
やはり平日というと、なかなか身動きがとれないメンバーも多いので、3~4チームを組んで、一チームが一月に一回程度活動し、真岡チームとしてできるだけ毎週行きたいと思っていますが、結果的には2週間に一度くらいのペースになってしまっています。
でも、必要とされているのであれば、できる限りのことを着実に続けていこうという佐藤理事長の思いもあって、ローテーションを組んで活動を続けさせていただいております。
(活動の様子は真岡JCウェブサイトで…)

本日の行先は、南三陸町の志津川高校。
ここから撮影された津波の映像には、本当に衝撃を覚えました。

南三陸町にはもう何度も足を運んでおります。
確かに町のがれきは以前に比べると撤去されているのがわかりますが、それにしても、訪れるたびに言葉にできない情景です。

特に志津川高校は、町の中を通り抜けて行くのですが、かなり高台にある住宅も跡形もなく破壊されている。
「こんなところまで…」という感じです。



本日の炊き出しには、弊社から女性3名が手を挙げてくれて同行してくれました。
結果的には、料理の面ですべて助けていただき、もし男だけだったらどうなっていただろう…というところ。

今回のメニューは、前回別の避難所で好評だった「にっこうや」さんの野菜たっぷり鶏丼。
野菜は切ってあるし、タレまで仕込んでくれているので、現地に行って、用意したものを鍋に入れて煮るだけなのですが、やっぱり男だけだと、なんとなく不安…
今回は初めて味噌汁にも挑戦しました。
こちらもお湯沸かして、具を入れて、味噌溶かすだけなのに、やっぱり男性陣は頼りない…
結局、すべて女性陣に助けてもらい、男性陣は、テント張りや、荷物運び、そして、味見役です。
よく見渡すと「味見役なら任せて」というメンバーしかいないのですが…

いや、本当においしい鶏丼ができました。
おかげさまで、避難所の方々、ボランティアスタッフの方々に大変喜んでいただけました。


今回も、メッセージ入りのお盆は、大変好評で、
「こういうのって初めて!」、「すごく元気をもらえる!」、など大変うれしい言葉をいただきました。
たくさんの方が、「これからも使いたいのでください」と言ってもらってくれました。

思い返せば、このお盆を準備するときもいろいろと議論をいたしました。
「下手にメッセージを伝えるのはかえって失礼なのではないか」
「『がんばれ』という言葉は、かえってプレッシャーを与えるのではないか」
など、みな被災地の方々を思いながら、どうしようか真剣に話し合いました。

でも、理事長の
「俺たちの真剣な思いは伝わるはずだから、真摯な気持ちで自信をもってメッセージを伝えよう」
という言葉で実現したこのメッセージお盆。
今や炊き出し先では、毎回とても喜ばれるアイテムとなっています。


「私にもそのお盆ちょうだい。私も栃木から嫁に来たから、あなたたちとお話ししようと思って…」
といってテントにいらっしゃった一人の女性。
栃木県今市市から南三陸町に嫁いできて30年。 
家族の命こそ助かったけれども、それ以外はすべて失ってしまったというお話しをうかがいました。
志津川高校の正門坂のすぐ下にご自宅があったそうです。
町の中では高台なので、津波は襲ってこないだろう、警報が解除されればとりにもどればよいと、普段から持ち歩く貴重品のカバンもすべて家において、鍵をかけて高校まで歩いて上がってきたといいます。
すぐ下の家だから、車一台くらい、貴重品くらいとりに戻ろうとしたところ、旦那さんから「そんなものあとでとりにいけるんだから、ここにいろ」と言われたところ、ものすごい津波が襲ってきて、自宅が流されてしまい、いまだに何もでてこないということでした。
「でも、もし、あの時家にもどっていたら…」

高台にあるから大丈夫と、避難しなかった方々。
避難したけれども、貴重品をとりに帰ってしまった方々。
避難所に指定されていた高台の施設に避難したけれども、その施設ごと流されてしまった方々。
目の前で「助けて」というたくさんの声が聞こえたといいます。
自分の家が濁流に流されていくのをただ見ているしかなかったこと。
たくさんのお話しを、ただただ聞かせていただきました。

避難所で、テキパキと動いているスタッフの方々。
この方々も、ご家族を亡くされたかた、家を失った方、いまだに旦那さんが見つからない方など、本当に深刻な状況を生きていらっしゃいました。

ただただお話しを聞いているだけですが、どんどん話しがはずんでくる。
しばらくすると、旦那さんもいらっしゃって、いろいろお話しをうかがい、避難所の炊事を担当しているという息子さんたちもいらっしゃいました。
最後は「ぜひ避難所の中ものぞいて行ってよ。段ボールハウスつくるのがとっても上手な人がいるんだから。」と避難所の中まで案内していただきました。



3.11から3ヶ月。
ずっと、体育館で生活をされている方々が、いまも9万人もいらっしゃいます。

「全国からこうやって炊き出しとか来てくれることそのものが、本当に生きていく上での心の支えになっているんだよ」
という、前回の炊き出しでうかがった言葉が思い起こされます。

今あることに感謝し、いろいろな声に耳を傾けて、やるべきことに真摯に精一杯取り組んでいきたいと思います。


走りながら考える

2011年04月24日 | Weblog

震災後、6度目の宮城です。
今回は、初めて南三陸町での炊き出しです。
報道などで、繰り返し南三陸町の津波の様子と、壊滅的な被害の状況が報じられているだけに、今まで以上に緊張感を持って臨みました。

前回の炊き出しから、できるだけコンパクトでスピーディーな炊き出しの実行を目指しています。
行ける人が少人数で行って、温かくて美味しい昼食を提供させていただき、できるだけ早い時間に帰ってくる。
そうすることによって、炊き出しに行く人の前日や翌日の負担を少なくし、必要に応じて機動力を持って炊き出しに行ける体制をつくるのが狙いです。

前日までに仕込みをしますが、それは真岡JCメンバーの鈴木君の「にっこうや」さんにお願いしました。
だし汁を仕込んでいただきポリタンクに入れておく、野菜も鶏肉もカットしてそれぞれ梱包しておきます。
現場に付いたら、ずんどう鍋に具とだし汁を入れて加熱するだけで、プロの味を提供することができます。

そして喜ばれるのが、農家さんから直接いただいた新鮮なトマト(前回まではイチゴも)。
やはり現地では新鮮な野菜や果物が貴重なようです。

朝3:00過ぎに出発し、現地には9:00頃に到着、余裕を持って昼食を提供して、13:30には撤収することができました。
19:00頃には真岡に帰れると思います。(現在帰りの車の中でブログアップ中)

給油も東北自動車道の給油所が通常営業なので、行きの最後のSA(菅生)で給油すれば問題なく運行できました。


南三陸町に向かう国道沿いはそれほど大きな地震の被害は感じられませんでした。
とても素朴な中山間地域というか、わが町茂木の風景とよく似て、小川も流れとてもホッとする素敵な環境でした。

しかし、他の被災地と同様、津波の被災地に一歩足を踏み入れると風景が一変します。
今回ものどかな山道のカーブを曲がった瞬間に、車内の仲間たちが絶句してしまうほどの光景を目の当たりにしました。

南三陸町の町はまさに壊滅状態でした。

重機が入って瓦礫はかなり撤去されたと聞きましたが、それでも大変な状況です。


南三陸町役場。 手つかずのまま、津波の破壊力をものがたっています。


炊き出しは、入谷小学校。
一番多い時は300名以上が避難していましたが、現在は多くの人が二次避難をして、60名前後の方が残られているとのこと。
そのほか、復興スタッフや、隣の避難所(入谷公民館)へ、けんちんうどんをご提供させていただきました。



今回も、炊き出しの場所の決定や、何食分ご提供するか、など直前まで目まぐるしく変わり、臨機応変の対応を求められましたが、
多くの方のご協力やお導きのお陰で、避難所の方々に喜んでいただくことができました。

今回は今まで以上に避難所の方のお話しを伺う機会をいただきました。
「津波警報が解除されれば家に戻れるからと思って、何も持たずにとりあえず高台に行ったんだ。
 そうしたら全部持ってかれちゃったよ。 でも、それだから命だけは助かったのかもね。
 本格的に逃げようと思ったら、大事なものを持ち運ぼうとして少し遅れただろう。
 そしたら交差点で混雑して津波に飲まれただろう…  そういう人たちがたくさんいるんだよ。」

目の前で、人が乗った車が流されていく様子。
流れる家屋の屋根に乗って助けを求める人を助けることができない様子。
私たちはただただ耳を傾けるしかありませんでした。  
お亡くなりになられた方々に対して心からご冥福をお祈り申し上げます。

一週間前に仮設の送電線で電気が通るようになったそうです。
でも、暗闇で一カ月過ごした方々にとって、照明がまぶしすぎて、夜は電気をつけず、充電式懐中電灯を何か所か点けて過ごされているとのことでした。



これまで、物資支援、炊き出し支援と被災地支援を続けてきました。
何人かの方に、いつまで炊き出しを続けるの?と言ったご指摘をいただきます。
つまり、炊き出しして提供するだけではなく、被災地の方々が自立していくためにどうしたらよいのか、仕組みを考えて、新しいフェーズに進むべきではないかというアドバイスだと思います。

私もまさしくその通りだと思っています。
例えば、食事を提供するのではなくて、食材を提供する支援に移行していくなどが考えられます。
さらには、青年会議所は経営者や経営に携わるメンバーが多いので、被災地の復興と雇用を同時に貢献できるような仕組みを展開していく案もあります。

その一方、自社をとりまく経営環境も、リーマンショックの後にも増して深刻な状況に直面しています。
自社の経営をしっかり継続し、お客様と雇用を守り続けることが、第一義的な企業の社会的責任です。
それと同時に、東北地方の経済復興に貢献して行くことは、大きな目で見て、日本経済の健全な復興に寄与して、それは周り回って自社の経営環境にも影響してくる重要なことと考えています。

また、炊き出しもまだまだ必要だというご要望もいただいています。

走りながら考える。
自分たちの行動を振り返りながら、新しいフェーズ、私たちにできることを模索しながら、行動して行きたいと思います。


東北道を南下しながら、この記事を書きあげ、空を見上げたら、きれいな虹がでているではありませんか!
写真にはおさまりきれませんが、完全に繋がっている虹! しかもよく見るとダブルレインボー!!


がんばろう日本!!


とりあえず一カ月動きまくりました…

2011年04月14日 | Weblog

震災から一カ月が過ぎ、5度目の宮城です。
今回のミッションは「平日の炊き出し」。
真岡商工会議所青年部の小野さん・山口さんにもお手伝いいただきました。

南三陸町での炊き出し予定でしたが、貴乃花親方with力士50人が南三陸町6か所で炊き出しをしていて、もう十分ということで、急きょ石巻駅前で炊き出し。
石巻市内でも、石原軍団が炊き出しをしているようでしたが、負けずに頑張りました。
 



今日のメニューは「にっこうや」の鈴木君が仕込んだ「鳥けんちんうどん」300食。
今回も列に並んだ方々皆さんにちょうどいきわたり、とても喜んでいただけました(^^



3月11日に震災が起きて
「国難襲来す!」と思ったのと同時に、なにか動かなければという思いが湧きあがりました。
「ピンチのときこそ自分の出番だ!」という勘違いにも似た感覚でしょうか?
しかし、最初の一週間は、栃木県内も震度6強の地震に見舞われ、自分自身も足元を整理することで精一杯でなかなか動けませんでした。
同時に、あまりにも広範囲の深刻な状況に、何をどうしたらよいのか整理がつかず動けなかったという面もあります。
もしかしたら、あまりのショックに足がすくんでいただけなのかもしれません…

メールを見返すと最初の3日間は現状把握などに追われていたようです。
13日くらいからボランティアをどうしようかと仲間内で話し合いが始まっています。
14日に正式に地元の行政と災害復興のボランティアの話しが始まっています。
16日に真岡JCの執行部が集まり対応を協議して、友好JCのひたちなかJCに支援物資を送ろうと決めています。
17日の昼に塩釜の矢部さんが自ら被災しながら広域で支援活動をしていて大変だという情報が飛び込んできます。
17日の午後に塩釜行きを決めて、物資を手配しはじめたら、ものすごい勢いで集まって、
18日には、ひたちなかJC行きの便と塩釜行きの二便が出発します。

そして18日に現地に行ったことでスイッチが入ってしまい、そこから突っ走ったという感じでしょうか…

真岡JCとしての宮城県内への支援活動は以下の通り。
3月18日 ひたちなか2トン車、塩釜4トン車  物資輸送  
3月21日 塩釜・石巻4トン車           物資輸送
3月22日 塩釜・石巻 4トン車          物資輸送
3月27日 多賀城・石巻 バス・4トン車    炊き出し・物資輸送
4月3日  女川・牡鹿半島 バス・4トン車  炊き出し・物資輸送
4月10日 牡鹿半島   ワゴン車      炊き出し
4月14日 石巻  ワゴン車          炊き出し
(この内、5回に同行させていただきました)

真岡JCとしては、地元も被災地であるということで、真岡市や芳賀町、市貝町などの防災対策本部と連携して、瓦礫撤去などの災害復興ボランティアも展開しました。
3月19日 真岡市 瓦礫撤去
3月22日 真岡市 瓦礫撤去
3月25日 真岡市 瓦礫撤去
4月3日  芳賀町 瓦礫撤去
4月17日、18日も芳賀町、真岡市にて瓦礫撤去ボランティアの予定です。
(こちらはまだ参加していないので、18日には参加させていただこうと思っています。)

ここまで活動できるのは、真岡JCのメンバー一人一人が本当に真剣にこの危機に向かってくれていること。
そして、メンバーだけでなく、その家族や、会社の社員、そして地域の方々も、ものすごく協力してくれる。
地元の復興、さらに被害が深刻な遠い地域、メンバーは自分の会社や家の復旧と同時に本当に頑張っています。
そんなJCの仲間を持っていることを改めて誇りに思った一カ月でした。


活動の前提は、あくまで被災地の方々が何を求めているのかがスタートで、それに照らし合わせて、自分たちに何ができるかを検証しながら行動してきました。
実際は、完全に塩釜の矢部先輩の御用聞きに徹して、被災地が必要とする物資をかき集め、送りましたし、炊き出し活動も積極的に行動してきました。

ここまでの活動は、まさに今必要とされていることに耳を傾けて、ひたすら実行する、を繰り返してきました。
自分たちの行動は本当に役に立っているのか、被災地の秩序を乱していないか、継続的な展開をどうするか、を常に振り返りながら行動してきました。

今できることをする。
できる限りのことをする。
できないことはやらない。

塩釜の矢部さんや、各避難所などで集めた情報をまとめると。
・炊き出し活動はあと1カ月(5月中旬まで)は必要。
・4月7日の余震で、立ち上がろうという精神がくじかれている。
・避難生活が長期化しており、精神的なケアが必要になっている。
・ずっと同じものを食べている避難所が多いので、食材が欲しい。(野菜・肉・くだもの)
・下着類は欲しい(新品)
・食べ物はどんどんなくなるので必要
・南三陸町など被害が深刻な場所では、まだまだ物資不足が続いている。

被災地では、状況が日々どんどん変化しています。
場所によっても、求められている支援は全く違うようです。
テレビの報道は、取材した場所の状況を伝えているのであって、被災地全体を伝えているのではないことを、私たちは知らなければなりません。


ここ一カ月は突っ走ってきた感じ。
これからは腰を落ち着けて、息の長い支援活動を続けるための戦略を練ろうと思います。
具体的には、支援の環を広げること。多くの人と連携していくことで、一人一人の負担を少なくすることを中心に考えていきたいと思います。


当然、自分自身の足元をしっかり見つめながら進んでかなければなりません。
それこそ、JC活動で鍛えてきたこと。
仕事も、家族も、地域も、国家もよくしていく活動を、仲間と力を合わせて取り組んでいきたいと思います。